2023年10月16日月曜日

湯殿山の御宝前と岩供養(山形県鶴岡市)


山形県鶴岡市田麦俣


御宝前


出羽三山の湯殿山は、岩石を「御宝前」と呼んで中近世には湯殿山大権現、明治以降は湯殿山神社本宮そのものとしてまつった。

松尾芭蕉が「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」と詠んだように、修験の秘所によってそこで見たことは他言無用といい、現在も湯殿山の神域で写真撮影はできない。

とはいえ、すでにこれまで著された数々の文献に湯殿山の記述や研究は散見されており、自治体史である『朝日村誌』1巻(1964年)巻頭には御宝前の岩石の写真が堂々と掲載されている。
(同様の写真はかつて絵葉書でも販売されていたらしい)

現・湯殿山神社本宮

湯殿山の北向いにそびえる品倉山の岩崖。湯殿山御宝前と成因・規模は非なるものだが写真として唯一擬することができるもの。

これより先は撮影禁止。

山本謙治氏は「湯殿山の陰陽石」(1991年) で、御宝前を陰と陽から成り立つ陰陽石とみなして、美術史研究の立場からその造形も含めて詳細を論じている。類書に比して具体的であるため、山本氏の表現を用いて次にまとめよう。


  • 陰陽石(御宝前)の高さは正面からみて目測3m前後、幅6mほど。
  • 輪郭は円錐形に近いが、頂上部は平らになっている。
  • 岩肌に鋭角面はなく柔らかな曲線で構成される。
  • 岩肌の色は赤土色であるが、それよりも、肉の内部の色という表現がふさわしい。
  • 岩石は全体が濡れ光り、頂から湯が流れ出して白煙がたちのぼる。
  • 陰陽石は、正面に見える円錐形の岩石と、右横に少し下がった所にコニーデ型の岩石が見えて、そちらは頂が平らではなく大きな窪みをもち、なみなみと湯を湛えている。
  • 陰陽石の左側から登り口があって、素足で巡拝できるが足裏には相当に熱い。
  • 上に登ってから正面の岩石の頂面を見ると、木立や覆いで正確にはわからないが、半畳よりは広い平面で、手前に三か所ほどの湯の湧出口が一列に並んでいる。


私が現地で目にしたのもこのような光景であるが、岩石の頂面を観察することは多数林立する梵天の存在によって難しく、湧出口を3つとも特定することはできなかった。また、山本氏は高さ3mでそこまで大きくないとするが、私の目測では5mはあるのではないかと思う。

ちなみに君島武史氏の湯殿山の観察報告(1996年)では、岩石の高さを4mほどと記している。今は3~5mほどという認識でいたい。


さて、これらの観察を踏まえて山本氏は、御宝前を正面の「陽」と右横に並ぶ「陰」を併せ持った神体石だと考えている。

では性神かと単純に判じるものではなく、かつて行者は御宝前から湧き出る湯穴を出湯の神やクナドの神などと唱えて拝んだという話から、クナド(岐)の境界神としての性格も混在していることも指摘している。

どのような境界かと具体的に問うならば、湯殿山が即身成仏のできるところや祖先に会うことができる場所としての信仰を考慮して、山中他界の境界としての聖地だったのではないかと推測している。


御宝前とはどのような場であったのか。このように温泉が噴出する特異な岩石信仰は類例を聞かないに等しい。

御宝前という語は仏教用語由来の一般名詞だが、岩石の手前のまつり場をそう呼んで後世に岩石を含めた名称となったか、岩石は神そのものではなく神体で岩石自体を御宝ではなく御宝前とみなしたのか、名称の解釈も考えどころである。

前者であれば岩石は神仏そのものであり、後者であれば岩石は山中境界としての媒体と言える。

少なくとも仏教・神道体系に組み込まれてからの御宝前は後者に近いだろう。岩石が神仏そのものではなく、信仰対象は大日如来であり湯殿山大権現であり、その霊威の可視的な顕現として岩石が存在するからだ。仏名・神名がつけられる前の時代の受け止め方はまた異なった可能性がある。


目に見える霊験として突出する温泉水はすでに科学的な分析がなされており、成分は炭酸含有食塩泉で温度は52℃という(安斎 1965年)。

52℃であればたしかに裸足の参拝で相当熱く感じるのもうなずける。私は8月の気温35℃の猛暑日に参拝したので岩肌の日光の照り返しでさらに熱く感じたものだが、季節によって感受する信仰要素はまったく変ずる。

冬場には雪で埋もれる湯殿山で、御宝前だけは温泉で常に雪解け、その肉色と白煙の奇観を曝し続けるわけである。安斎氏の前掲書では「冬になりますと、このご神体付近に温泉のぬくもりを慕って蛇がたくさん集まり、奇観を呈するといわれております」(安斎 1965年)とあり、なおのことだろう。

蛇については他に「湯殿山御宝前の梵天に蛇が集まると、出水の前兆で、小屋を片づけて下山するといふ」(西川 1943年)という俗信もある。御宝前の横に切り立つ御澤の滝なども含め、岩石単体のみならずそれに付随する自然環境の集合体として信仰聖地は成立し、そのなかで岩石信仰を位置づける必要がある。


岩供養


現・湯殿山本宮の拝所の東に隣接して「岩供養場」がある。

個人の戒名や先祖供養の字を記した紙(紙位牌/形代)を、水に浸したうえで霊祭所の側面に露出する岩肌へ貼り付ける。現状として無数の紙が貼りつけられて岩肌が隠れるほどである。

岩供養の風習については、山形県立石寺(山寺)などにみられる岩塔婆(岩肌に塔婆状の墓碑を彫るもの)との共通性を説く向きもある(大友 1976年)。


参考文献

  • 渡部留治 編著『朝日村誌』第1 (湯殿山),朝日村,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3015517 (参照 2023-10-15)
  • 山本謙治「湯殿山の陰陽石」 日本環太平洋学会 編『環太平洋文化 = Journal of Pacific Rim studies』(2),日本環太平洋学会,1991-04. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/4426199 (参照 2023-10-15)
  • 君島武史「報告 出羽三山大会(山の考古学研究会)に参加して」 『博古研究』(12),博古研究会,1996-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/4426444 (参照 2023-10-15)
  • 安斎秀夫 著『東北の温泉』,保育社,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2985535 (参照 2023-10-15)
  • 西川義方「出羽三山の重大使命」 『岳』,山と渓谷社,1943. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1043654 (参照 2023-10-15)
  • 大友義助「羽州山寺の庶民信仰について」 山形県立博物館 編『山形県立博物館研究報告 = Bulletin of the Yamagata Prefectural Museum』(4),山形県立博物館,1976-03. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3465749 (参照 2023-10-16) 


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