2024年5月19日日曜日

『最新 地学事典』掲載項目の「磐座」補注


地学団体研究会・最新地学事典編集委員会[編]『最新 地学事典』(平凡社)が2024年3月に刊行されました。

私は新規収録項目「磐座」を担当しましたが、定価44,000円のため実物に手が出せず、地元図書館に購入リクエストの上でこのたび確認することができました。

記事執筆に際しては200字を目安にとの条件がありましたので、極めて端的に磐座の説明を施しました。

今後、インターネットを含めた一般社会の中で「磐座」の正しい用法が広まるように、この記事で説明と1字1字に込めた真意を補注として掲載します。


磐座の定義紹介

以下、『最新 地学事典』p.108より引用。

いわくら 磐座

stones and rocks where spirits dwell

日本列島において、神や精霊が宿ると信じられた岩石。「座」の字をもつが、各地の事例における岩石の形状は必ずしも台座状ではなく一定しない。また、岩石の大小や自然・人工の別を問わない。磐座の表記は『日本書紀』が初出で、同時代の『古事記』では石位、『風土記』では石坐の字で表記される。現在では神聖な岩石全般を表す言葉としても普及するが、類語に磐境(いわさか)・石神(いしがみ)などが知られ、学史上ではそれぞれ意味が異なるとされる。[吉川 宗明]

 

補注

英訳 stones and rocks where spirits dwell
安直に Iwakura と書くことも考えましたが、Iwakura はイワクラ(磐座)学会が国際用語として普及を目指しており、同学会が提示するカタカナのイワクラの概念は狭義の磐座の概念とは異なるものとして意図的に設定されています。
そのため、地学事典に本来の用語として掲載する磐座は Iwakura を使用せず、用語の意味を正確に定義づけるものとしました。
「磐」は、出典の『日本書紀』において「石」との区別がほとんどされておらず、日本語における岩と石の両義を兼ねるものと考えられ、stones and rocks としました。
「座」は、日本各地の実例を勘案するかぎり座る様態だけを指さず、適切な表現として dwell(宿る)を採用しました。日本における神(カミ)概念は英訳において spirit(s) が望ましいと考えました。

日本列島において、神や精霊が宿ると信じられた岩石。
つまり、英訳 stones and rocks where spirits dwell に照応する端的な定義が上記です。
補記するならば、磐座概念は神道文脈であることを考えて日本列島限定の概念として取り扱うべきです。海外において同様の信仰構造を有する事例もありえますが、それを「磐座」という言葉で置き換える行為は、日本を中心に置いて他者を同一化する異文化理解からはかけ離れたものであり不適切です。
また、「信じられた」を挟むことは自明ですが、英訳ではこれ以上長くすることを控えて割愛しました。

「座」の字をもつが、各地の事例における岩石の形状は必ずしも台座状ではなく一定しない。また、岩石の大小や自然・人工の別を問わない。
磐座の一般的イメージと実情の乖離がこれ以上進まないように、200字の中で必要な説明と考えて加えました。
すべての磐座事例を踏まえるかぎり、磐座とは神の座石だけでも語れず、自然信仰の象徴として取り扱うのも不正確で、巨石遺構の代替語としてもありえないのです。ぜひお気をつけください。

磐座の表記は『日本書紀』が初出で、同時代の『古事記』では石位、『風土記』では石坐の字で表記される。
「磐座」「石位」「石坐」は史料上、同列で表記されていい「いわくら」の字です。
「位」「坐」をも内包した「クラ」の幅広い性格を認めつつ、本来的には字より音が先行するこの言葉が「磐座」という一語彙に押し出されていく流れに考えを巡らせたいものです。

現在では神聖な岩石全般を表す言葉としても普及するが、類語に磐境(いわさか)・石神(いしがみ)などが知られ、学史上ではそれぞれ意味が異なるとされる。

末尾のこの一文が重要と考えます。

客観に徹するため、現在の「磐座」概念が神聖な岩石全般を呼ぶ時にもっとも手っ取り早い用語として使用されていることは事実であり、このことはしっかり書いておかないとならないと思いました。

今回、「磐座」は社会に普及している地学関係の言葉として評価されたことから、「地学教育」の分野において新規収録されました。

であれば、どのようなイメージをもって社会に普及されているかを明記することは本事典に盛り込まれるべきであると判断し、私個人としては先述の経緯から誤ったイメージとは知りつつあえて書きました。この思いを感じとっていただければ幸いです。

それに続く磐座・石神・磐境の「学史上ではそれぞれ意味が異なるとされる」の一文で現状への疑問も浮かぶように配慮しました。石神・磐境の事典への立項は相成りませんでしたので、それ以上は人文系の各種事典に託された仕事となると思います。


なお、本事典には類語として「巨石文化」(p.373)も立項されています。

そちらの項目は巨石写真家で知られる須田郡司さんが執筆されており、建造物としての人工の巨石文化(おそらくこちらがパブリックイメージ)と、自然物に対する巨石への文化に大別しているのが特徴です。

人工の巨石文化を墓所、宗教施設、暦、天体観測所とみなして、自然物の巨石は信仰の拠り所として、注意深く前者と後者を分けて説明されています。

「岩質は花崗岩が顕著」と明記されているのは踏み込んだ記述と感じますが、巨石に限れば巨石を形成しやすい花崗岩がたしかに多いのかもしれませんが、いずれにしても巨石文化のデータ数の母数と、岩種ごとのデータを提示しないとなかなか恐くて明言できません。

また、巨石ではない岩石(巨石とは何か?の問題が常に浮上します)を含めるとどうなるのか、岩石の大小と岩種の関係は相関するのかなど、未解明のテーマは多いと言えるでしょう。


岩石に関する定義まとめ

関連事項として、岩・石に関する用語が『最新 地学事典』でどのように説明されているかをまとめておきます。

いわ 岩 rock

地質学分野でいう岩石に相当するが、主として土木工学の分野で使用する用語。(略)岩は土に対しある程度以上の硬さがあるものをいう。(略)[皆川 潤] p.108より

地質学の中では俗称としての位置づけにありますが、興味深いのは、岩と対比されるのは石ではなく土という点です。

土に硬さが加わることで岩になるという関係が描かれています。


いし 石 stone

(1)岩石、鉱物の俗称。

(2)海図図式の低質記号では St と表示され、径256㎜以上の礫。(略)[岩淵 義郎] p.84より

岩と同様に地質学では俗称として扱われます。この点で、学術用語としての総称は岩石そして岩石を含む鉱物が適切となります。

また、礫と石の大きさによる区分も説明されています。小礫―礫―粗礫―石という小大関係です。


がんせき 岩石 rock

地球上層部(地殻および少なくとも上部マントル)を構成する物質。数種(まれに一種)の鉱物の集合体。(略)鉱石は有用金属を多量に含む特殊な岩石。石炭・岩塩なども特殊な岩石。[端山 好和] p.320より

岩石は鉱物の集合体で、特に有効な金属を含む場合は鉱石として別で呼称されます。

私が使用する岩石信仰の概念を顧みると、地表に露出して人類が出会えることのできる鉱物の集合体に対して、実用的に有用か無用かとは別で信仰の心理を持つにいたるもの、という定義に収まるでしょうか。

岩が rock で石が stone で岩石になると rock になるあたりが、執筆者が異なるので何とも言えませんが面白くもモヤモヤします。

私はこのあたりの言語運用の曖昧さを包括するため、stones and rocks で岩石を表すことにします。


こうぶつ 鉱物 mineral

天然に産する無機質の均等物質で規則的原子配列をもち、ほぼ一定の化学組成をもつもの。ここで、ほぼ一定の化学組成と曖昧に定義してあるのは、固溶体を作るということに対応している。国際鉱物学連合(IMA)の新鉱物・命名・分類委員会としては鉱物を「地質学的な過程を経て形成された固形物質」と簡潔に定義。(略)[赤井 純治・宮脇 律郎] p.488より

岩石を構成する鉱物の定義。天然であること、地質学的過程を経ること、固形であること、そしてそれが集合した物質が岩石であると地学的に定義づけられると言えます。


本書は1648ページの本冊と、376ページからなる『付図付表・索引』の別冊の2冊をカバーに入れて合冊したものとなります。

「最新」の名を冠することからこれ以上の改訂を出版社として企図しているかは不明ですが、将来的には電子書籍化も検討されていると聞きました。

何かしらの形で、本書の知識が広く社会に普及すればと願っています。


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