2020年4月22日水曜日

貴船神社の岩石信仰(京都府京都市)


京都府京都市左京区鞍馬貴船町

鞍馬山と貴船山の狭間を流れる貴船川のほとりに鎮座し、水神・高龗神(タカオカミノカミ)をまつる水の聖地である。
一説では、古くは賀茂雷別神社の奥宮とも位置付けられてきた。

創始伝承は二系統あるようで、一つは、神武天皇の母である玉依姫命が難波の淀川から船に乗り、そのまま鴨川、貴船川と川を上っていき、水源となるこの地に高龗神を奉祭したというものである。
もう一つは、高龗神が神社裏にそびえる貴船山中腹にある「鏡岩」に降臨し、そこから山麓の貴船神社が創始されたというものである。

船形石


貴船神社奥宮(元来の鎮座地)の社殿傍に「船形石」という、直方体状に石積みがなされた構造物が目にとまる。
前述の玉依姫命が、川を上るときに乗っていた船を積石で秘匿したものであると信じられ、これが社名の貴船に由縁するともいう。


長さ10m、幅4m、高さ2m程で、確かに中に小船が入っていてもおかしくない規模だが、その成立年代は知る由もない。石積みの構造や加工の在り方を見る限りでは、古代にさかのぼる石積みとは見受けられない。

祭神の移動・鎮座の歴史を示す聖跡であると同時に、後世においては、船形石の小石を持って帰れば航海安全・交通安全の霊験をも有するようになった。

鏡岩


創始伝承に登場する「鏡岩」は貴船山の中腹にあるというが、貴船山自体が聖山として禁足地になっているため、実際に目にすることはできない(道らしい道もないとのこと)。
ただ、貴船神社発行の昔の社報にはその鏡岩の写真が掲げられたことがあるといい、神社ホームページに画像も掲載されている。定期的に神社関係者によって確認がなされている存在なのだろう。

写真を見るかぎり、岩全体の規模は不明なものの、複数の岩石が積み重なったもので、その石積みの隙間として、中央には室のような空洞になった部分が見られる。
鏡岩という名称から、鏡のような平滑光沢面を持った岩石なのかと思うところだが、全体が苔むしているので鏡面は確認できない。

この鏡岩の名の由来だが、まさに「光沢を持っていた岩だったからこそ鏡岩の名が付いた」といういわれの他に、「水神の怒りに触れた従神が、この岩に来て屈み(=かがみ)隠れながら平伏したから、屈み岩=鏡岩の名前が付いた」といういわれもある。

岩に光沢面があるかどうか不明なので、どちらが語源なのかについては決めがたいが、前者の伝承からは「岩自体が、神を降臨させるに相応しい外形聖性を持つ岩だった」ということが伝わり、後者の伝承からは「水神とコミュニケーションが取れる媒体として、この岩が描かれている」ということが読み取れる。

現在でこそ人の立ち入らない場所となっているが、祭神は当初鏡岩に降臨したということで、社殿創建前まではこの鏡岩が祭祀の場だったことがうかがわれる。
この鏡岩が山頂ではなく中腹にあるというのも、神の世界たる山頂にまで足を踏み入れず聖俗の境界として山腹の岩石を見出したという点で理解できる。

また、鏡石の前では今では定期的な祭祀が執り行なわれていないため、磐座としての純粋な機能は終えていることにも注意したい。
現在の鏡石は「昔、神霊の降臨する磐座だった」という聖跡に変容していると捉えるのが適当だろう。

つづみが岩


本社から奥宮に至る道の途中、奥宮の入口にある鳥居の横に、大きな岩が目に入る。
これがつつみが岩で、高さ4.5m、胴回り9mの規模を誇る。


由来は、貴船で採れる代表的な貴船石の特徴を持つ名石であるということから、社前で大切に安置されているという話である。
岩の名称は、鼓の形状に似ていることから取った名前で、他の自然石とこの岩を区別するために特別視した証である。

天の磐船


本社と奥宮の中間地点に、縁結びの霊験で有名な結社(ゆいのやしろ)がある。
その境内に置かれているのが「天の磐船」である。


名前を聞くと仰々しいが、これは近くの山奥から採出された船形の自然石を、ある篤信者の方が神社に奉献してこの名を付けたというものである。
捧げ物としての岩石である。

石庭「天津磐境」


本社の境内に「天津磐境」と名付けられた石庭がある。
これは、昭和40年に作庭家である重森三玲氏が作った庭園で、名前の通り、社殿祭祀以前の自然物祭祀の形である磐境祭祀をモチーフに作ったものである。


伝承にある貴船を意識して、船形に貴船石を直立させて並べ囲み、その磐境の中に常緑樹である榊を植え、その榊を神の降り立つ対象(=神籬)として見立てるといった構造で、まさに磐境祭祀の典型的な様式を忠実に再現したものと言える。
磐境祭祀の在り方を目に見える形で学べる庭園とも言えるだろう。

石庭の源流は、人為的・自然物に関わらず、こうした岩石信仰から端を発するものだとする解釈があり、美と聖の境界線を体感できる事例でもある。

蛍岩


貴船神社本社から叡山電鉄貴船口駅までの道路脇にある丸っこい巨岩を蛍岩と呼ぶ。
この岩の周辺一帯が蛍の名所ということで、言い伝えでは、当地にやってきた和泉式部がここで蛍を見て、和歌を詠んだという話も伝わっている。


蛍岩はそのような「蛍の名所」と「和泉式部の事跡」を伝える旧跡として機能しており、一種のランドマーク、言い方を代えれば人々の記憶のシンボルだと評価できるだろう。

烏帽子岩


本社と蛍岩を結ぶ道路の中間地点で、貴船川を挟んだ鞍馬山の山端にある岩だというが、私が現地で見落としてしまったので実物を確認できていない。

貴船神社にあったパンフレットによると「大宮人が、烏帽子を下して休息した岩」とある。岩自体が烏帽子の形状をしていることによる命名ではないらしい。

また、神社にあった案内板には「参拝者がここで冷水を浴びて、身を清めた」と書かれていたので、烏帽子岩は貴船神社という聖域に入るための境界の一つだったと捉えることもできる。

参考文献


  • 林宏 『鏡石紀行』 中日新聞社 2000年
  • 貴船神社ホームページ http://kifunejinja.jp/
  • 神社発行パンフレット、現地解説板など


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