2026年2月15日

滝ヶ洞の稚児岩(岐阜県土岐市)


岐阜県土岐市駄知町滝ヶ洞

稚児岩

石の大きさは長さ十八米、高さ十八米の壮大な花崗岩の岩である。
この岩の成因は、いわゆる地質学上の捨子石とみられ、この谷が出来上るとともに川水が岩石を浸蝕しながら、谷を掘り下げて谷を作り、今のように谷底にどっかとおかさまったのである。しかも地理学の捨子石から稚児岩と誰が名付けたか、ふさわしい名を付けたものである。
土岐市史編纂委員会 編『土岐市史』3 (近代社会・土岐市の文化財) 下,土岐市,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9572017 (参照 2026-02-15)

土岐市史は学術用語としての捨子石と民間で名づけられた稚児岩との親和性を説き興味深いが、稚児岩には次の伝説がある。


森長可(織田信長に仕えた武将。1558~1584年)の家臣に加藤彦右衛門という者がいた。
彦右衛門には妻がいたが子がおらず、ながらく子を切望していた。そこで、以前に長可からいただいた観音像に毎日祈りをささげたところ、ある時、観音像が「自分を滝ヶ洞にまつるべし」と述べた。そこで彦右衛門が滝ヶ洞に観音をまつったところ、谷底から赤子の泣き声がした。泣き声がした方へ行ってみると大きな岩があるだけだったが、後日、妻が妊娠して待望の子が生まれた。

また異説も存在する。妻が彦右衛門のことを亡き兄の仇と知って彦右衛門を殺してしまう。その後、妻は子供を産みすくすくと成長するが、その子供が稚児岩で遊んでいたとき岩から滑り落ちてしまい稚児が死んでしまったので稚児岩と呼んだという話である。

ほかに弁慶伝説も付帯し、稚児岩は弁慶が担いできた岩石であり、それをここで落としてしまったという。

これらが滝ヶ洞・稚児岩の伝説であり、話の筋書きはいずれも他で類例が認められる内容である。民話伝説の一種の「型」の派生事例と言えるだろう。


滝ヶ洞は地名であるが、現地地図を見ると「滝ヶ洞観音」なる場所がある。

稚児岩大橋に掲げられた現地看板

描かれた岩の絵の様子を見る限り、巨岩の間に形成された窟のような地形が想定される。

探訪時は稚児岩側ではなく稚児岩を上から見下ろす稚児岩大橋の上にいたため、稚児岩の方向に下って「洞」の存在を探そうとしたが、斜面の巨岩群には転石防止措置がされていたため深入りしなかった。稚児岩側から斜面を登る道があればそちらから観音へ辿り着けるのかもしれない。

稚児岩大橋ポケットパーク内には滝ヶ洞~稚児岩に至る巨岩群が散在する。

危険と判断

滝ヶ洞(左・山腹斜面)と稚児岩(右・道路沿い)の位置関係


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