pdfはこちらから
https://www.yokkaichishibunkakyoukai.com/passion2.html
![]() |
| 鮒岩 |
![]() |
| 山の外から撮影 |
丸山(かつては甲山とも呼ばれた)という比高30mほどの独立丘の南面にある巨岩。全長7m、高さ5m、推定重量200tの規模を持つ巨岩が、山肌の露岩の上にゴロンと載る。現在は市指定天然記念物となっている。
鮒岩の傍らに丸山神社が鎮座する。江戸時代、水野某という藩士が白山神社の名で勧請し、後に山名を採り丸山神社に改称されたことがわかっている(東山道彦『恵那山をめぐる歴史と伝説』岐阜郷土出版社 1988年)。
神社と鮒岩の直接的な関係は明らかでなく、現地解説板によれば、新田淳『苗木村明細記』(明治16年)という文献に「丸山の内石に立ちたる大岩鮒の浮きたる形にしてまことに奇石なるべし」との評が記される以外、鮒岩に付帯する伝承や古記録が存在していない。
苗木城下の街道沿いに位置するため、城下町が形成された折からよく知られた存在だったことは想像に難くない。苗木城自体が巨石群からなる丘陵だったため、奇岩怪石溢れる当地でどの程度の存在感を放ったのかは想像しにくいところである。
長年の風化・浸食によって巨大な花崗岩に大きな亀裂の空間ができ、そこから真上を見上げると日中でも北極星を仰ぐことができることから「星ヶ見岩」の名前が付いたという。
星ヶ見岩以外にも全山に奇岩怪石が露出しており、目立つ岩石に対しては名前が付けられている。現在は遊歩道や案内板なども設置され、星ヶ見公園として整備されている。
江戸時代には「星ヶ宮」としてまつられ、星ヶ見岩の内部空間にまつられた妙見大菩薩には嘉永3年(1850年)の記銘が残る。星見の場所であり、妙見(北極星)信仰の場所であったことを今に伝える。
ただ、江戸時代に「星ヶ宮」と記した出典(地図?)が不詳であるのと、それより前の歴史記録の有無については確認できていない。
岩石信仰と天文の関係事例として近世の確かな歴史の残る好資料であり、さらなる研究の進展が待ち望まれる。
なお、星ヶ見公園の周囲には「ひょうたん池」と「神谷池」があり岩山の風景とあいまって美観をなすが、この2つの池は人工的につくられたため池であり、元来の景観と異なることに注意が必要である。
| ひょうたん池から望む星ヶ見公園 |
| 星ヶ見公園の巨岩群(写真中央が星ヶ見岩) |
| 星ヶ見岩には「北辰門」の字が刻まれる。 |
| 星ヶ見岩の亀裂入口 |
| 亀裂内の空間は妙見大菩薩の霊場を擁する。 |
| 内部空間から見上げた上空 |
| 星ヶ見岩と妙見大菩薩の位置関係 |
| 大小の二艘がある舟形の岩石を舟岩と呼ぶ。こちらは舟岩(小) |
| 舟岩(大)。全長約9m。 |
| お化け傘岩/お化けきのこ岩。逆三角形の形状を持ち、その異形から命名された。高さ5m。 |
![]() |
| 岩屋内に日光が差し込む時期と差し込まない時期があり、光が当たる底面の岩石の光の当たり方と形状から二至二分の時期を知ることができるという。 |
![]() |
| 2条の線刻とその上部に3つの横並びの窪みがあり、夏至になると窪みや線刻に日光が当たるという。 |
![]() |
| 春分・秋分に、写真のE岩とF岩の隙間へ太陽が沈む様子が観察できるという。 |
![]() |
| 上写真の岩石群の隙間に、冬至を中間とした120日間日光が差し込むという。 |
市井では,縄文時代に巨石を使って天体運行の観測などを行っていたという天体観測装置説が根付きつつあるので付言しておきたい。代表的な事例として岐阜県岩屋岩蔭遺跡(金山巨石群)が挙げられ,巨石の輪郭,隙間,重なり合い,岩肌の窪みなどを利用することで二至二分の時期や一年・閏年の周期,北極星や北斗七星の動きを知ることができるという(小林,2011)。
岩屋岩蔭遺跡は縄文時代早期と弥生時代の土器・石器,江戸時代の古銭が出土した県指定史跡だが,天体運行を観測できたという独自研究は史跡の評価とは別である。巨石を利用してさまざまな天体観測ができることは,実際に実験がなされているので間違いないがそこは問題ではない。本当の問題は,これが過去の人々によって意図的に編み出されたものなのか,それとも自然の景観が作り出した偶然の産物なのかというところにある。
すでに金山巨石群に対しては,地質学の立場から地滑りで巨石が動いて群集した自然現象という評価がある(宮下,ウェブサイト)。巨石群における観測の実態についても,夏至や春分を観測するのが1か所ではなく複数の地点に分散し,その観測の方法も日光の差し込みだったり岩石のどの位置に太陽が来ているかだったり,巨石の積み重ねを装置にしたと思えば巨石に「線刻・刻印」 を穿つ方法になったりと,統一感のある設計規格は見られず雑然としている。
考古学において天体観測の研究自体は現在まったく否定的ではなく,弥生・古墳時代では北條芳隆が考古天文学の立場で複数の遺跡の天体運行現象を論じている(北條,2017)。縄文時代でも,青森県三内丸山遺跡などで天体観測を意識したと推定される遺構が存在しており,人工的な遺構であれば当該期の天体への意識や観測を否定する立場ではない。
逆言するならば,岩石においては人工的な設置・加工の痕跡を証明できて初めて肯定的評価がなされるべきであり,自然のままの位置のみで天体や暦の観測ができるというのは証明にならない。それは,人が事物に対して無限大に意味付けすることを示すロールシャッハテストを持ち出すまでもないだろう。この点において,研究者自らの意味付けが恣意的でないかということに自己批判が必要なのであるが,いわゆる自然石を縄文時代の天体観測装置として取り上げる諸文献からはその自己批判を行った部分が読み取れない。このような現状に対して,地質学分野が岩石の自然・人為を科学的に判断していく意義は大であり,考古学や地質学がこれらの「縄文」歴史観の批判的検討を協業することで一般社会における歴史認識の醸成にも寄与できるものと提言したい。・小林由来(2011):暦学。渡辺豊和[編著]『イワクラハンドブック』,312-321,イワクラ(磐座)学会,大阪。・宮下 敦(ウェブサイト):岩屋岩蔭遺跡。http://earthprobe.blue.coocan.jp/megalith/iwaya.html[2022年8月14日閲覧]・北條芳隆(2017):『古墳の方位と太陽』。280ページ,同成社,東京。[引用元]吉川宗明「岩石信仰研究の視点」『変動帯の文化地質学』(京都大学学術出版会 2024年)
なお、金山巨石群の天文観測説を追究するため、遺跡指定されている地中を届出なしで掘ってしまった事案があるのはいただけない。無許可の発掘調査がなぜ推奨されないか、文化財保存とは何かという理念を学んでいないことがわかる一幕である。同好の方は厳に慎んでいただきたい。
岐阜新聞のコラムを読めて感謝ですが、5月28日付の内容に、金山巨石群の地中を半年かけて掘り出したと書いてあるのはいただけません。
— 吉川宗明(よしかわ むねあき) (@megalithmury) June 1, 2023
全編を通して感じるのは、考古学者の不在。文化財を守る、歴史をどう扱うかの問題はここにも根深く横たわる。
金山巨石群 岐阜新聞コラム https://t.co/0vCgTrg9j9
金山巨石群は天文考古学の代表的な事例として長年知られてきたが、近年では愛媛県松山市の海岸沿いにある「白石の鼻」を縄文時代の人為的な天体観測装置とする説も盛んである。最近、統計学的視点からこれを「0.55%の奇跡」と呼ぶ記事が公開された。
Kimono club氏によるnote記事「0.55%の奇跡|愛媛・白石の鼻巨石群は古代の天文台か?」がそれで、岩石にできた貫通孔(太陽の光を通す穴)が特定の天文現象の方向を向く確率は1/180(0.55%)である、と統計学の大学教員としての立場から述べている。
この記事は、白石の鼻で継続的に天体観測活動を継続されている松山・白石の鼻巨石群振興会のホームページにも「オススメ記事」として紹介されており、天文考古学と遺跡を語るうえでも最新の言説と言える。
ここで述べられた統計的確率について私には疑義がある。天文考古学的な議論において批判的な見解が言語化されることは少ないと見受けるので、ここでまとめておきたい。
前提条件として、1個の岩石の1か所の貫通孔で計算するから1/180というだけであって、本来の母集団は全国に存在するすべての岩石の貫通孔・隙間を加算しなければいけないのではないか。
1つの岩石において1つの貫通孔しかなくて1/180の確率でも、全国に広げれば岩石の貫通孔をもつ場所は増加していき、全国のどこかでその現象が偶然ヒットする確率は当然上がる。単純に貫通孔の事例が全国規模で180か所を超えて確認されれば、そのうちの1か所は任意の方角を指し示していてもおかしくない。
偶然か人為かを判断するのであるから、日本の地質活動において偶然に出現しうるのかという視点で分析しないとならない。ならば、特定の1か所で確率を示すことなく、日本列島という地質全体を母数に置いて論じられなければならないだろう。
次に、特定の方位を向くのを1/180と設定しているが、分子の置き方に疑義がある。
天文考古学では、夏至・冬至・春分・秋分の二至二分の日の出・日の入の方向が注目されることが多い。この場合の直線で言うと「東西線」「真北から60度のライン」「真北から120度のライン」の少なくとも3本に意味が持たせられている。
どれかに一致すれば天文考古学的に評価されるのが実情なので、分子は3/180 = 1/60に上がると言って良い(二至二分以外にも意味を持たせるならさらに分子は増えて偶然一致確率は上がる)。
分母も正確なところでは180とは言えない。
これはKimono club氏も言及しており、実際は方位角(平面)だけでなく立体角(垂直側)の光の差し込みも考慮に入れなければならない。立体角をかけ合わせればさらに分母はふくらむことになる。
同氏はその計算結果を示していないが、私も専門ではないのでここはGemini(AI)に聞いて参考とするにとどめたい。Gemini回答によれば、球面幾何学の積分公式で立体角の計算を行った上で現実の大気差と太陽の視直径による補正を加えると、1/10615となるらしい。
ここに、二至二分で意味を持たせられる3本の直線の存在を分子に置くと、3/10615 ≒ 約1/3538となる。おそらくこれくらいが、本当のところの「貫通孔がたまたま二至二分で意味のある方向を向く確率」だろう。
なお、金山巨石群では貫通孔以外にも岩石の窪みやでっぱりなどの輪郭や配置状態にまで意味を持たせているため、偶然一致確率がさらに上がることは言うまでもない。
1/3538とは、全国に散らばる自然でできた岩石の貫通孔のうち、平均して3538個に1個は二至二分の意味のある方向を向いていておかしくないという確率である。
仮に、そのような貫通孔の事例が日本で100個ほど見つかる場合、日本列島における貫通孔の総数が353800個以上あるとわかれば「当然の現象(=偶然)」であり、その数より少なければ「偶然とは言えない現象(=人為?)」と言える。
(1/3538の確率、貫通孔事例100個、353800個の数値はすべて仮定の話である。独り歩きしないように釘を刺しておく)
つまり、母集団となる日本列島の貫通孔総数がある程度の範囲で数値化できない限り、目の前で見つかった貫通孔が偶然を超えた存在かどうかを評価することはできないのである。この点において、前掲記事に冠せられた「奇跡」の見出しは主観的な勇み足が過ぎる。
もし、その貫通孔の人為的設置や加工の明確な根拠を提示できないまま統計的な見地から論じたいのであれば、単に意味ある貫通孔の実数を報告するのではなく、日本全国にあるすべての貫通孔の総数(母集団)も報告しなければならない。
貫通孔の母集団はいかほどの数に上るのだろうか。高山険所の多い日本で1つ1つ実地を巡って悉皆調査することは不可能だが、想像もつかないほどの途方もない量に上ることは容易に想像できる。
たとえば、こういう谷間沿いに集積した岩海と呼ばれるような地形1つとっても、いくつもの貫通孔が潜んでいる。
![]() |
| 岩石が重なるだけで、光の差し込む貫通孔は容易に生まれる(奈良県奈良市岩戸谷) |
| 岩海に形成された岩屋では、このように複数の間から光が差し込む(岐阜県瑞浪市関の岩屋) |
| 上写真の岩石1個だけで、地表と岩石の隙間に3つの貫通孔が生まれている(静岡県浜松市舘山寺) |
これらの岩石地形それぞれに貫通孔の存在が想定される。日本列島の代表的地質である花崗岩地帯では、数mおきに格子状の節理(割れ目)が発生し、そのたびに貫通孔の生まれる余地がある。先ほど例示したように、1か所の岩石でも複数の貫通孔が形成されている。
現に、ここでもあそこでも光が差し込む岩が見つかったという報告を目にするが、たくさん見つかるのは母集団が巨大であるために起きる偶然説の補強にすら思える。
いずれにしても、意味のある方向を向く貫通孔の事例を見つけていくという分子のほうだけ追いかけていても、分母の検討がつけられない限り統計的に論じることはできないだろう。
他に検討しないといけない観点もある。変動帯に属する日本列島において地質活動による岩石の位置変化がなかったという前提に立ち、現在の配置で天文現象の調査をしていることの危うさである。
現在、意味のある方向の光がピンポイントな立体角で入っている場所があって、それが縄文時代の産物だったとしよう。それは活発な地質活動を続けてきた日本列島で数千年もの間、安定的にいられ続けて、縄文時代の時と寸分たがわずその岩石の配置状態のまま来たのかという疑義がある。
岩がわずか1度傾いただけで、その天文観測装置が正確であればあるほど機能不全となる。現在の配置で人為説を立証する場合は、その場所では地質変動がなかったこと、あるいは激しい地質活動の中でも1度の狂いもなく現代まで維持できるのだという岩石構造の安定性を論じる必要もあるだろう。
また、なぜ人為説立証の本家本流のアプローチである「岩石の人為性」の方向で追究しようとしないのかが不思議である。
前掲のKimono club氏の記事では、白石の鼻がかつて陸上にあったという地質情報を紹介しているが、ならば、この巨石群が花崗岩の「玉ねぎ状風化」による自然成因によるものであるという地質情報も公平に紹介すべきである。
同じ地質情報に依拠するなら、都合の良い情報だけを抜き出し、都合の悪い情報に触れないのは科学的な姿勢ではない。そして同じく地質学的な学知に基づいて、白石の鼻は地質学的には説明できないことを論ずればよい。
そして陸上における遺構として評価するのであれば、現地の海底において縄文時代の考古学的物証をつかむか、巨石を加工・運搬した際に岩石側あるいは地層面側にできるであろう痕跡をつかむかを、これは「ある/ない」の「ある」側に立つ人為説側が立証するしかない。
以上、最新のホットな話題である白石の鼻を例に天文考古学の問題を取り上げたが、「0.55%の奇跡」というセンセーショナルな見出しに乗りかかることなく、科学の俎上に乗せるならまず自らに執拗と言えるほどの批判的精神を宿し、否定に否定を重ねても否定しきれないものがあるのかを冷静に見つめることが望まれる。
久居八幡宮に「石体」(せきたい)があるというので訪れた。
神社由緒書や神社ホームページで明記される石体は次の三体である。
鹿島大神(石体)
祭神 武甕槌命
茨城県・鹿島神宮と同じく、勝負、武運、地震除けの神様である。
| 鹿島大神(表面) |
| 鹿島大神(裏面) |
庚申さま(石体)
江戸時代から境内にお祀りされ、庚申の日にお参りすれば延命長寿の御利益があると伝えられている。
| 庚申さま |
山神さま(石体)
もともと村々の入り口にあったが、明治時代に神社に集められた。昔から子供達の守り神と言われている。
| 山神さま |
すなわち自然石を以て神をまつった事象を石体と称したものであり、ことに後二者は石造物の括りで語られる存在である。
石体は中世以降の神社神道や修験道において「石製依代」(山本2025)として位置づけられた存在であり、当社における石体も、いわゆる「石の御神体」としての意をもつものと思われる。
鹿島大神は人の背丈を超える立石であり、一見して自然石の形を活かした石碑然の佇まいだが、石肌には何も刻まれていない。
杯状穴は複数穿たれていることから、杯状穴文化が盛んだった頃から親しまれてきた岩石にちかいないが、いつごろ設置されたのだろうか。
久居八幡宮は、藤堂家が久居に城下町をつくるにあたって、南西約1㎞離れた小戸木村(旧鹿嶋村)の八幡宮を遷座して整備されたものと由緒を伝えている。旧鹿嶋村ということで鹿島信仰との関連もここから窺われる。
鹿島大神で地震除けの岩石信仰と言えば要石が想起される。当社の岩石は要石とは呼ばれていないが、たとえば宮城県加美郡加美町の鹿島神社では昭和48年に新しい要石を奉納したという話もあるように、鹿島信仰が先にあり、後から具現として岩石をまつったケースがある。
参考文献
神社縁起によれば、この神社はもと志摩伊雑宮から勧請し移されたもので、御神体は大石である。この大石はこの地に勧請された夜、突然一夜にして神社社頭に出現したもので、これは仙鶴の化身であると信じられた。仙鶴は勧請と同時に稲一株をくわえてこの地にとび来たったまな鶴で、里人は稲作を伝えた神として信仰してきた。今もこの大石は懸税(かけちから)の御霊石といい、瑞垣の内、社のうしろにあり、地上高さ約一・九メートル、長さ五・四メートル、短かいところで一・八メートルに及ぶ独立した花崗岩である。昭和の初め頃、この霊石の地深くから中世の神杯、竹へらなど土器が出土した。岡田文雄 著『久居市史』上巻,久居市総務課,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9540485 (参照 2026-07-26)
稲葉神社は『延喜式』神明帳に「伊勢国一志郡 稲葉神社二座」として記録され、二座を一社にまつったことがわかる。地元では左殿を伊佐波登美大明神、右殿を穂落大明神と呼んでいる。
一夜にして岩石が出現する類型説話をもつが、細かく見ると、社の勧請が先であり、その夜に後から岩石が出現したという流れになっているのが他例とは異なる特徴と思う。
懸税は稲の供え物のことで、仙鶴がくわえた稲に由来しての「懸税の御霊石」の名称だろう。稲作を伝えた神は地域の開拓神としての神格に通じ、神社鎮座地を稲葉山と呼ぶ地名もここから来ているとみて良い。
鶴は空から降臨する神のかたちを偲ばせるが、岩石の佇まいは地盤に根を張って、地表に岩盤の顔だけを出すかのような地霊の趣も見せる。
稲葉山の段丘は堆積岩の岩相だが、西方には花崗岩を含めた火成岩が広がり、その一部が当地に岩頭として残ったものと思われる。
「中世の神杯、竹へらなど土器」の記述については、竹へらが土器につながらず実態が掴みにくい。
昭和の逸話には正確な記録が伴わないケースが多いが、一応、神社一帯では中世の土師器が見つかった稲葉山遺跡と弥生時代の石器が見つかった稲葉垣内遺跡が確認でき、このうちの前者が前掲書の記述に相当するのではないかと考えられる。
両遺跡とも当地における古くからの人足を伝えるが、遺跡指定範囲を見る限りでは御霊石の場所からはわずかに離れており、稲葉山遺跡が境内入口の向かい側で稲葉垣内遺跡が境内東側に位置する(参考リンク:津市遺跡地図No.118)。
石の長者、木内石亭による石の博物誌『雲根志』に登場する石らしい。
力釘石
大和國大峯山の梺にあり諸書に出るゆへこゝに略せり
木内小繁 著 ほか『雲根志』上巻,日本古典全集刊行会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1259959 (参照 2026-07-19)
江戸時代、すでに有名だったことが窺われる。
しかし、詳細が略されたことで現在においては逆に追跡しにくい存在となりうる。幸運にも本石は吉水神社境内に存する「弁慶の力釘」と呼ばれているものを指すと考えられている。
大峯山の麓、力釘石は吉野郡吉野町吉水神社に弁慶の力釘石と言われているものを指すのであろう。苔むしたさしわたし70㎝程の緑色砂岩中に今はさびた鉄釘二本が打ち込んである。弁慶が力自慢のために打ち込んだものだと伝えられている。
日本地学研究会・地学研究編集部 編集・監修『地学研究』23(1/2),日本地学研究会,1972-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3222588 (参照 2026-07-19)
義経たちが潜んだ吉水神社は、当時は吉水院という修験者の寺で、瀬古川の渓谷の上の小高い地点にある。境内には「弁慶の力釘」とか「義経の馬脚跡」などの遺跡が点在
大塚雅春 著『歴史風土記』,潮出版社,1970. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12207844 (参照 2026-07-19)
義経の馬脚跡はおそらく岩石に蹄状の窪みが残った岩石と目されるが、探訪当時は存在を知らず見逃した。
釘を埋めた奇石に比べると知名度に差があり、それが同じ自然石でも文化の伝承具合に軽重が見られる一因となるようである。
| 力釘石/弁慶の力釘(柵内) |
| 2本の釘穴 |
NHK松山放送局の制作番組「ひめDON!」で、愛媛県大洲市の粟島神社が取り上げられます。
「巨石の上の神社」ということで取材協力いたしました。
制作の方々には文献調査なども精力的に取り組んでいただきました。おそらく従来の粟島神社の評価から一歩進んだ最新情報を提示できているのではないかと思います。
視聴方法が限られていますがよろしくお願いします。
6月27日からGoogleが Ad intents という自動広告を当サイトへ掲載してきました。
検索バーのような形の広告が、サイト画面上に表示されるタイプです。
試しにリンク先を踏んでみたら、ブラウザがウイルスに侵入されました系の詐欺サイトへ誘導を食らいました。
そこで即、この Ad intents が掲載されないように対応完了したことをお知らせします。
なお、簡単に掲載オフできず多少勉強しました。試行錯誤したため、同じく悩まされているサイト管理人の方々に向けて以下対応方法を記しておきます。
対応したこと
Googleに限りませんが、こんな詐欺サイト広告を承認して、自動で広告配信する時代はつくづく狂っていますね。
(しかも、掲載オフがやりにくいように設計されている)
私の目が黒いうちは、このようなユーザーエクスペリエンスを侵害するような広告設定は手動でオフにし続けていきます。
広告業者も毎日増殖していて、いたちごっこに際限はありません。完璧に防ぐことはできないかもしれませんが、当ブログ記事が読みやすいように良心的なサイト運用を心がけています。
本サイトの広告ポリシーについて
本サイトでは、ページごとにウインドウが出てくるようなオーバーレイ広告・全画面広告を閲覧の邪魔と考え、管理者権限で非表示設定としています。その分、ページの脇に表示されている広告(Google AdSense)をクリックいただきますと当サイト管理人に些少の謝礼が入りますので、当サイト運営継続のために応援をいただけますと幸甚です。
穂積裕昌氏の新刊『祭祀遺跡とは何か』(雄山閣)が2026年4月に発表されました。
穂積氏は「水の祭祀」の代表的遺跡として知られる、三重県城之越遺跡の発掘調査に携わった考古学者として知られます。
本書はその書名が題するとおり、特に弥生・古墳時代の祭祀遺跡の最新総説として読むことができます。
第1章 「祭祀遺跡」の誕生
祭祀遺跡概念の総合研究史。この章を読むだけで最新の祭祀遺跡の知見を一気に習得。
第2章 神と死者、そして祖
第1章の最後で論点に挙がった「祖」が古墳時代祭祀のキーとなる。祖、上祖、葬と祭の関係。大陸・東アジアのスケールで日本列島の祭祀を検討。
第3章 弥生時代の「祭祀遺跡」
弥生時代の大型建物、銅鐸を代表とする青銅器埋納、弥生時代の遺物に刻まれた絵画文様。これらが祭祀と言えるのかどうかの論点整理。
第4章 創祀の契機
穂積氏が力点を置く、奈良時代文献群から当時およびそれより前の時代の祭祀観念を読み解く章。
第5章 儀礼の場
第4章より明らかとなった、祭祀の前段として行われることのある卜占・誓約を考古資料で見出す。
第6章 荒ぶる神への対抗
奈良時代文献、特に風土記を紐解き、祭祀遺跡が設けられた祈願目的の解明に踏み込む。
第7章 井泉への信仰と祭祀遺跡
穂積氏の専門とする水の祭祀遺跡を取り上げた章。井と泉の具体的分類と、山岳、河川、集落内など様々な場における考古資料の列挙。
第8章 磐座・磐境・神籬の成立
岩石信仰においては最も注目すべき章。これまでの古典的見解の焼き直しではなく新知見に富む。特に磐境に関しての論説が充実しており研究史に刻まれること確実。
第9章 祭祀遺跡と建物をめぐる諸問題
第3章で提起された弥生時代大型神殿説の検討から、弥生時代における大型建物と井泉の親和性から祭祀の場の萌芽を評価。政治・権力の場における祭祀と自然の地霊に根差す祭祀の2系統から最終的に神社祭祀につながる道筋を論証。
終章 祭祀遺跡から神社へ
弥生時代における地霊・穀霊への祭祀、古墳時代における荒ぶる神への祭祀と守護者としての神の祭祀と大陸由来のその祭祀と人格神化、それらの系統が祭祀遺跡から神社へ発展していくという歴史観を提示。
詳細は同書をご覧いただくとして、本記事では岩石信仰の範囲に限って、私が読みながら思ったことを記録します。
まず、穂積氏の専門領域である「水の祭祀」における岩石の扱いです。
城之越遺跡は日本庭園の源流とも表現されるような存在ですが、遺跡内の立石と石敷については「聖」と「美」の関係で悩ましい存在でした。
もちろんサニワ(斎庭)の観念があることから、庭と祭祀の場が矛盾しないことは承知していましたが、人工的に立てたいわゆる配石遺構と、自然の地表から露出した大地の働きとしての自然石岩盤との差異があったのかどうかという問題です。
風土記には、人と大地(地霊)の相克と表現できるような、地霊の討伐に関する記述が指摘されています。では古墳時代以前ではどうだったでしょうか。
岩石という素材においても、石材、古墳、祭祀遺跡の分布を見ると、採られて石材化した岩石とどうやらそうならなかった岩石に分かれるようです。
石を立てて立石にしたら、外形的なイメージからその岩石を憑依物としての磐座として認定して良いと言えるかは微妙です。大地に根差す自然岩盤の磐座と同じかという躊躇があり、自然に根差さなくても人が人工的に設置したら同機能となると言っていいのかは、まだ慎重に検討されるべき課題です。
城之越遺跡は湧水点である井泉1~3を有し、数多の石敷が構築される中で、井泉3だけは貼石がないなどの差異も有します。このように「規格的」ではない自然のランダムさを内包する解釈の難しい遺跡ですが、発掘を担当した穂積氏の最新の見解が本書の祭祀遺跡論の随所にちりばめられています。
このような井泉遺構の貼石や集石について、本書では奈良県纏向遺跡辻土坑1は祭祀の廃棄跡とみなすほか、鳥取県茶畑山道遺跡の集石群を水溜めとみなす解釈も勉強になりました。
岩石が整然とした意図的配列なのか無造作なのか、その判断基準をどのようにみなすとよいかは気になるところです。
そして第8章の「石の祭祀」です。
磐境について、ここまで具体化できるとは考えもつきませんでした。読後感として、磐境の位置づけに異論ありません。
三ツ寺Ⅰ遺跡の石敷遺構は磐境と同種の「聖域表示施設」だろうと拙論でもぼかして匂わせることはあったものの、はっきり書くことはできないままでした。磐座以上にアンタッチャブルだった磐境を今後議論の俎上に載せやすくなったと言えるでしょう。
一方で、磐座・磐境中心の分析で石神への検討が少なかったように思います。拙稿にも言及をいただきましたが、私が磐座・磐境・石神に限らずそれ以外の岩石の機能を提示した論旨が本書で検討されていないのは、穂積氏があくまでも古典に立脚するという姿勢だったためだと理解しています。
私は、最大公約数的に全時代全地域でこのような岩石の使われ方が想定されると提示したので、各時代のアプローチにおいてどうだったかは演繹的に検討せざるを得ません。古典に立脚する立場をとる以上、文献に現れない名称・用語は機能としてカウントしなかったのでしょう。
穂積氏は磐座遺跡認定の可否の一例として、福島県建鉾山遺跡の高木地区の御宝前奥にある巨岩を「磐座」遺跡とみなさず留保する立場をとりました。
山頂の建鉾石については、巨岩上に登らないと認識できないという点で当時の人々が岩石の上まで登って祭祀したかというと同じく疑問ですが、巨岩下の高木地区まで留保するのは私には意外でした。
私も批判的に自然石と祭祀遺跡の関係を見る立場ですが、高木地区の現地に立って感得するのは、巨岩が見えそうで見えない位置に御宝前と呼ばれる空間が位置することです。絶妙な位置と表現したいです。
高木地区の遺物出土地点に立つかぎり巨岩の姿は見えませんが(植生・繁茂の状況によっては見えるかも)、わずかにでも山側に歩けば1分もたたず巨岩が姿を見せるので、さすがに高木地区は巨岩の認識ありきで、あえて巨岩から離した場所に設けた、あるいは、御宝前に散らばる岩石群を「目印」「境界」として形成した祭祀遺跡と評価しています。
(私は、聖山と崇める契機に山中に立ち入った前史があり、山中に神の顕現を認めた結果、それ以後は山中奥深くに立ち入らずに山腹・山裾・山麓で祭祀を行ったという立場です)
このような距離のとりかたを以て、離れた場所から祭祀する岩石を「石神」候補たりうるものと仮定しています。
深澤太郎氏「高木地区の磐座群」『國學院大學博物館研究報告』41, 2025年)では、高木地区に散在する大小の岩石群を俗と聖を分かつ境界としての「磐座」とみなしているようですが、空間的な広がりを持つ岩石群ですので「磐境」とも言えそうです。
石神を直接見ないようにするという意味では、これも穂積氏が本書で重視した「遮蔽」の場と言えます。
御宝前が遮蔽の磐境の空間とするなら、遮蔽物の奥に控える一大巨岩は磐境ではないことは自明で、目の前で神迎えして祭祀の装置とすることが前提の磐座でもなく、それらの可能性が除外された先にある石神という指摘が初めて浮上します。石神は遺物出土地域から外れる特徴を備えるという想定も可能かもしれません。
柳田国男・折口信夫が石の話をしながらも「磐座」の語に重きを置かなかったように、石神を含めた多様な岩石信仰を想定することは重要かと存じます。
私自身、考古学の最新の知識をアップデートできていないところが多いので、本書で多数の遺跡の存在とその考古学的解釈を勉強することができました。
それら祭祀遺跡から見えてくる神祭りの姿を本書は描き出しており、資料第一主義が貫かれた全体の論旨に賛同しています。
記紀・風土記の利用においても慎重に慎重を重ねられており、大略、当時の人々の心を抽出することで古墳時代に援用可能とする見解は、私も今後の研究においてより奈良時代文献を用いていく励みとなりました。
皆様におかれても本書を通して最新の祭祀遺跡の知見を得られることをお薦めします。
| 楽天 | Amazon | |
|
奈良県桜井市与喜山(2002年~2017年)、愛知県北設楽郡設楽町(2019年~2023年)に続く、次の調査地です。
前作でアウトプットできるものを大体吐き出したので、しばらく特定の地域に没入します。
特に、ある程度長期的な時間軸の中でそのフィールドに根差さないと、わからないことが多いという実感があります。
近年、アームチェア的なデータ分析が続きました。その反動で、今度は特定地域の特定事情を捨象せず拾い上げられないかと思うわけです。
昔どこかで書いたことがありますが、研究というより、「現在の記録」という視点にシフトしたいという気持ちが強くなってきました。
過去の前に、そもそも現在の理解でさえ雲をつかむようなところがあり、現在の岩石と人間の精神的関係にもうすこし目を向けてからでないと、過去の歴史を研究するのは「暴力的なものがある」と感じる段階に来てしまいました。
どうしても趣味の範囲でやるしかないので、専門研究者のように数か月間その集落で暮らせず(つまり参与観察に至れない)、休日に通える範囲でないといけません。今のところ候補地は
尾張本宮山地域(愛知)
都祁地域(奈良)
近江富士地域(滋賀)
いずれも隣県です。本当は三重県北部地域で見つけられればいいのですが、まだ出会えず(いつか巡り合う余地を否定せず)
尾張本宮山は断続的に調べているのですが、掘り下げるほどに興味深い地域です。『尾張名所図会』と現在の本宮山を見比べるだけでも複数の論点を見出すことができます。名所図会と現在の登山ルートが違い、今は山腹に広大な採石場があるので山の様子が辿りにくく、信仰と生業の関係性で現在も含めた歴史を語れるエリアです。
都祁地域は、数年前に映画取材の関係で掘り下げる時期がありましたが、都祁のみならず周辺の長谷・室生・奥三輪も含めると壮大なテーマです。かつて近接する与喜山地域をフィールドにしていた杵柄はありますが、大和高原は歴史的に「古代ロマン」に彩られたフィールドでもあるので、数多の通説に振り回されないという点では難敵かもしれません。
近江富士(三上山)地域は、先日の赤色立体地図の記事で妙光寺山の「前方後円地形」を取り上げましたが、奇しくも先日の報道も重なりました。滋賀県守山市伊勢遺跡を越える(?)弥生時代最大級の「神殿跡」と銘打たれた中畑・古里遺跡が、ちょうど妙光寺山の西麓なのです。当HPの「情報募集中」のページでも近江富士情報をいくつか募集していますが、これらがどのように絡み合うのか考えると調査の宝庫です。ただ、最新遺跡を含むのでこちらはしばらく推移を見ますし、考古学の専門の方に任せた方がいいのかもと思っています。
以上三地域の歴史に関して、何らかの情報をお持ちの方や、現地に詳しい方がいらっしゃいましたら、些細なことでもお聞かせください。皆様の情報も踏まえて調査地を決めます。
なお、現在学をやりたいという私の今時点の問題意識から言えば、最初に挙げた尾張本宮山が第一候補です。
それでも三地域を紹介した理由は、私の体は1つなので、ほかの方で調査していただける方がいればそれでもかまわないという思いからです。
私は、自分の研究や調査を独り占めしたいという欲望が薄く、調べたことや分かったことは公共に広く知られてほしいと思っています。だから、私の代わりにだれか解き明かしてください(でも誰もやってくれないなら自分がやる)の心持ちです。
昨年あたりから報道のとおり熊が出やすくなり、念のため山に行くのを控え続けています。
長野県の「郷土石特集号」の事例地を巡るという旅程も計画段階までは終わっているのですが、結局、行けないままとなっています(こちらは単純な探訪旅行です)。
このように、探訪もままならず牛歩的に時機を待つ日々ですが、当面は水面下で調査を続けます。いつかはこれらが結びついて巡り合う機縁もあるかと信じて書かせていただきました。ご情報などお待ちしています。
昨今、赤色立体地図を利用して古墳や城郭を発見する取り組みが活発です。
従来の等高線とは違い、航空レーザ測量による1m単位あるいはそれ未満での微細な地形の流れを確認できます。
古墳や城郭は大幅な地形改変を伴うため、自然地形に対して不自然な溝・段・平坦面などが残ります。面白いのは、人間の視野では現地で気づきにくい俯瞰的な地形改変が赤色立体地図だと浮かび上がるという点です。
それでは岩石の場合はどうなるでしょうか。
1m単位の地形の流れであれば、それより高さのある岩石の起伏が立体化されうるのではないかという狙いです。
これにより岩石信仰調査や自然石文化調査に援用できるのではないかという見通しを立てて、今回、いくつかの事例を皆さんと見ていきたいと思います。
ウェブサイト「全国Q地図」では法令上公開・活用が可能なさまざまな地図情報がまとめられており、赤色立体地図も全国版・地域版・都道府県別で使用可能なものが網羅されています。
下のページが特にわかりやすいです。
全国の赤色立体地図、CS立体図が閲覧できます! | 全国Q地図
今回は、この内の「基盤地図情報(標高)1mメッシュ(DEM1A)【Q地図】」の赤色立体地図を使ってみます。
私が過去に訪れた岩石祭祀事例の中で、地形的特徴をもつと思われるものをピックアップして確認してみました。
確認してみてわかったこととして、すべての場所に赤色立体地図があるわけではないのが注意点です。
たとえば、賀茂神社の神籠石(群馬県桐生市)、金鑚神社の鏡岩(埼玉県児玉郡神川町)、白山神社の巨大岩塊(福井県勝山市)、金丸八幡神社の列石(徳島県三好郡東みよし町)などはその場所一帯が赤色化されていなかったため確認不能でした(公開されている範囲で)。
悉皆調査することはまだできない前提で、その他の場所をいくつか見てみましょう。
![]() |
| グレー表示の部分が赤色立体可能エリア(DEM1Aの場合) |
一目見て、等高線地図では緩やかな楕円形に見える山容も、実際には緩急のついた起伏のある山中地形であることがわかります。
そして一大巨岩。山頂から北の谷間に向かって筋状に隆起しているのがそれです。特に白光りと鮮明な赤色表示をなしているので、周辺地形と巨岩とを判別できます。
建鉾山の例では、赤色立体地図で岩石地形を確認できるという結果になりました。
榛名神社の御姿岩(群馬県高崎市)ならどうでしょうか。
高さ50m弱といわれる立岩です。想定としては、明らかな地形起伏として描かれるのではないでしょうか。
作図ツールを使って黄緑色の円で囲んだところが、御姿岩のある場所です。
社地を設ける際に整地した地形は明確に浮き出ていますが、御姿岩は…思ったより…目立っていません。御姿岩は立岩状なので上から見ると「点」表示になると考えられますが、50mという高低差が図化されていない気がします。
建鉾山は山と同体化した岩盤地形だから描かれて、御姿岩は地表から浮いた構造物的な扱いとして図化されないのか、レーザ識別の「癖」を知る必要があります。
榛名神社の例では、赤色立体地図で岩石地形を確認するのは難しいという結果になりました。
岐阜県中津川市の巨石の宝庫として知られる星ヶ見公園はどのように見えるでしょうか。
こちらは探訪記事をまだ公開していないことに気づいたので、下に参考写真を掲載します。こんな山です。
大多数の方が「天白磐座遺跡」と通称しつづける、渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)です。
(棘のある言い方ですみませんが、学術的にここは譲れません)
今回は事前にここに岩石群の遺跡があることがわかっていて、事後的に赤色立体地図を見にいっているから「まあ、あるよね」くらいの感想ですみます。しかし、本来の趣旨である未発見の岩石群を地図上で探そうという用途で考えるなら、これではやや厳しいでしょう。実際に現地に行ってみないとそれが岩石かどうかはわからないと思います。
人間の視覚に訴えるA岩、B岩、C岩のトライアングル景観が、赤色立体地図上ではなかったことにされるのもいろんな意味で興味深いです。
岩Aは高さ7m強あり図化されていると思いますが、高さ7mない道幅の整地跡のほうが鮮明に写るというのが赤色立体地図の特徴のようです。
近江富士に北接する東光寺山の出世不動明王(滋賀県野洲市)は、谷間にこんもりと隆起する岩塊でありこれがどのように図化されているか気になります。
右下の小さい丸のほうが、出世不動明王の岩塊です。
これはくっきり存在しています。当初の予想に応える結果であり、このように地形の隆起として認識されれば強いです。
岩石と関係ないですが、それ以上に予想外だったのは左上に囲んだ部分です。
ここは妙光寺山の頂上です。妙光寺山城という中世の山城が確認されていますが、前方後円形に見えなくもない。主軸の長さは100mに達しようかという大規模なもので、前方部と後円部のバランスを考え合わせると古墳時代後期の前方後円墳の特徴にも見えます。
妙光寺山の山麓・山腹には群集墳が存在しますが、山頂の前方後円墳は文化財総覧GISを見る限り報告されていません。山城のほか、山名のとおり山寺の整地地形の可能性もありますが、念のため今の流行に乗っかり、前方後円墳候補としてここで報告しておきます。
梅ヶ畑遺跡(京都市)と言えば、京都市唯一の銅鐸出土地で岩石信仰との関係も取り沙汰される重要遺跡です。
日室ヶ嶽(京都府福知山市)の東斜面は今も禁足地で、内部の様子は不明です。
このように、立ち入ることができない禁足地内の岩石群の存在を赤色立体地図で把握することは、本来の趣旨に適う使い方でしょう。
山頂から東にかけての斜面に、相当数のポツポツとした隆起が存在していることが窺えます。これまで見てきた事例を踏まえれば、これらがすべて岩石である可能性は高いです。
日室ヶ嶽の東斜面がなぜ禁足地であるか、そして、日室ヶ嶽の「磐座」とは山頂ではなく東斜面を指すのではないかなどの示唆を与えてくれます。
緑色の丸は、天岩戸神社の御座石があるはずの場所ですが、川の中の岩石は地形ではなく構造物としてはじかれてしまう模様です。
御社尾(奈良県奈良市)は、都祁山口神社の裏の谷頭に位置し、二つの尾根が合流する特異な立地で知られます。
御社尾の岩塊(上の緑丸)は、なんとなく周辺より尖っているかなくらいの印象で岩石地形としては鮮明ではありません。小川光三氏が述べるような前方後円形も地形上では認められません。下の緑丸はハッチョウサン(八王山)と呼ばれる場所で禁足地とみなされています。ここに列石らしきものがあると同・小川氏が書き残していますが地図上ではその列石具合が確認できず残念。こういう時に活躍できるとよかったのですが。
ここで巨石の代表格・ゴトビキ岩(和歌山県新宮市)に登場願いましょう。
天磐盾に比定される神倉山の岩肌は、山塊の周縁にわたって明瞭に図化されていますが、それに比するとゴトビキ岩は緑丸の中で目立ちません。
高さ10mを超すと言われる巨岩ですが、存在していないような結果です。構造物扱いで除外されてしまったパターンでしょうか。このように岩石の「当たり」判定は微妙な位置づけにあるようです。
粟島神社の巨石(愛媛県大洲市)は、段丘上の高さ約4mの岩塊で人工説も出たことのある「ドルメン巨石遺跡」。
社地として整えられた平坦面に存在する巨石なので、そのギャップがどのように地図に表れるかの結果がこちらです。
緑丸の中にポツッと岩石の盛り上がりが見えます。見えますが、これは渭伊神社境内遺跡と同様に事前に知っているから事後的に識別できるだけで、事前情報なしでどれが岩石だと問われれば至難です。
高さ4mの「巨石」と形容される岩石で赤色立体地図上ではこの存在感ですから、岩石の識別に用いるには難しいという結論にならざるをえません。
最後に猪群山の「環状列石」(大分県豊後高田市)を上空から眺めてみましょう。
ポツポツと岩の群れは視認できますが、それよりも視覚的に引っ張るのは山頂を取り囲む人為的な溝。
これは明治時代に山火事に備えて作られた防火施設です。やはりこういう人為的な地形改変に赤色立体地図は強く、また、視覚的にもこの防火壁が「環状列石」を誤認させる要因であることは岩石群の分布と照らし合わせれば瞭然です。
いくつかの例を一緒に見てきました。
結論ですが、現状、岩石を見つけるのには適したツールとは言えません。
赤色立体地図では時に自然地形の岩盤として、時に構造物としての岩石として自動識別していることにより、一貫した調査に用いることができなさそうです。
しかし、その岩石が存在する場所の地面が、整地されているか自然地形のままかを判断する際の参考にはなります。
岩石信仰というのは自然風景と人の歴史の狭間の存在であり、単なる自然石として扱われることもあれば、真偽不明の人工物として持ち上げられることもありました。これまでは主に研究者の主観の問題領域でしたが、地図情報においても狭間・周縁の存在になりやすいのだと感じた次第です。
「しゃこちゃんのお部屋」が閉鎖されていました。
しゃこちゃんのお部屋とは何か?
青森県つがる市が呼びかけた縄文ファンの部室「しゃこちゃんの部屋(仮)」ではありません。
これより前の1990年代から存在する老舗巨石サイトです。
私が初めて出会った思い出の巨石サイトとして過去記事でも紹介しました。
磐座で有名な場所はどこですか?~磐座巨石本から決定版を決める~
ここ数年は更新されていなかったと記憶していますが、個人サイトはアーカイブとしても残らず無念です。
現在はAI最適化のAIOの時代ともいわれますが、ネットの表示上位を見ても広告スポンサーとドメインの資本力の嵐で、いわゆる磐座・巨石分野の上位ラインナップを見ても質的には正直疑問です。
このような現状はインターネットユーザーの総意ではなかったはずですが、内容が充実していても個人サイトは軒並み敗北です。
![]() |
| こんなサイトもありましたがweb上ではすっかり痕跡も辿れませんね |
インターネットはこんなもんじゃなかったよ、ということで、今回は個人サイト特集です。
近著で「2001年からホームページを始めて、インターネット上の情報発信を続けながら各種プラットフォームの栄枯盛衰を目の当たりにしてきた」と書きました、不詳私めが磐座・巨石分野の現存サイトを選定いたしました。
現代のプラットフォーマ―たちから作為的に存在感を消されているだけで、まだ良質なサイトは存在します。
古き良き「リンク集」としてどうぞご活用ください。
この手の老舗サイトの中でも、2000年頃にはすでに王者の風格でした。掲示板が梁山泊の如き様相。サイト更新は停止状態ですが、現行掲示板は何とか生きています。正確には神社総合サイトですが「磐座いこら」のコーナーに磐座がまとまっています。
「アカデミカ」です。歴史系総合リンク集でした。インターネット黎明期にお世話になった方も多いのではないでしょうか。リンク切れまくっていますが検索画面が生きていて、「磐座」「巨石」で検索すると1996~2000年頃の懐かしページ名がぽろぽろ見つかります。これこそが老舗サイトです。
https://www2m.biglobe.ne.jp/~Accord/AKA/index.htm
独自の視座に立ちながら定期的に更新されています。さぞ一家言ある方とお見受けしています。ドメインパワーも強く、現在の磐座・巨石系個人サイトの代表格に数えて差し支えないでしょう。
https://megalithtrek.web.fc2.com/
一定の更新ペースを守りながら現役稼働しています。モノクロ岩石写真の魅力。『日本のパワースポット案内巨石巡礼50』著者の岡田謙二氏のサイト。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/
更新は終了されたようですが、アーカイブを残していただいています。「求道者」と言えばかつての巨石サイト代表格の一角であり勝手ながら「戦友」でもありました。
https://hatazoku.d.dooo.jp/sub0.htm
日本語版をhtml→pdfでアーカイブ化していただいています。巨石サイトと呼ぶよりも、もっと大きな括りとしての超古代系サイトの重鎮でした。日本ピラミッドや神代文字もすっかり下火になった感があります。
https://www.gainendesign.com/taizan/
2016年に解散した岡山県の郷土団体ブログですが、新プロジェクト「岡山の磐座位置経路探索記録」が稼働しているのをどれだけの同好の士がご存じでしょうか? 駐車位置のマップコードをマップ化しているとはなんと有難い心遣いなのでしょう。
更新は終了されていますが、「巨石の森」は瀬戸内地域の巨石ソースとして豊富な知見を得られます。Googleマイマップ「西日本巨石スポット」も有用。
https://www.gd.il24.net/~shamon/
古くから検索にかかり存じていました。中根洋治氏の『愛知発巨石信仰』の大部分転載が認められますが、オリジナル部分との区別は比較的明瞭。中根氏著書を未所持の方で愛知県の磐座・巨石を知りたい方は参考大でしょう。
https://www.hm.aitai.ne.jp/~kuensan-2/kyosekikensaku.htm
越後国延喜式内社・三宅神社を出発点に「磐座=穴」説の立場に立つ。新潟の知られざる岩石信仰を知るならここしかないと思っています。拙サイト掲示板晩期に交流させていただきました。HP&ブログ更新が途絶えてしまいましたが待ち望んでいます。
https://koshi-miyake.hatenablog.com/
諏訪の"たしかな"岩石信仰をたくさんこちらのサイトから教えていただきました。諏訪七石に関する記事を捲るだけでも精緻冷静な調査に拠ることをご理解いただけます。
宮城県旧伊具郡(丸森町・角田市)の巨石サイト。古くから存するサイトで相互リンク先でもありましたが、運営元はなんとお寺(曹洞宗金龍山瑞雲寺)ということを知り驚きました。
「いぼ石」(疣石)情報No.1と私が思うサイト。皮膚科の医院さんのホームページだったようです。効能に関する記述の保証は持てません…。
https://hiramatu-hifuka.com/iboibo/ibozen1.html
「力石」研究の第一人者・高島愼助氏のサイト。現在も精力的に運営されています。奇しくもも高島氏と同じ四日市市在住ですが、これまで接点のないままーー。
https://www.za.ztv.ne.jp/takashim/
イワクラ学会が解散して現在は日本天文考古学会理事の平津豊氏のサイト。イラクラ学会の会報アーカイブ事業にも取り組まれています。イワクラペディアの拡充に期待。個人的には、「岩石遺構」「岩石信仰」の名称採用をいただいたことに感謝します。
イワクラ学会理事だった江頭務氏のサイト。1にも2にも「巨石のある祭祀遺跡地名表」の仕事が有効活用されるべきです。学会解散により、早期にサイト内容のアーカイブ化が各人推奨されます。
https://yamauo1945.sakura.ne.jp/iwakura.html
イワクラ学会理事だった高木寛治氏が2005~2008年のみ更新されていたブログ。石の哲学とはこのことです。全貌は高木氏が上梓された書籍を参照(当HPの「カタログ」で紹介)。
http://makabekt.cocolog-nifty.com/makabekt/
『磐座百選』著者の池田清隆氏の晩年コラム。逝去された後も出版社ページに保存されています。ご自宅に据えられた「磐座」の歴史記録をたどれるのは最早ここだけでは?
http://www.demadosha.co.jp/Column-Ikeda.html
磐座・巨石分野のネット情報として唯一と言って良い、地学に基づいた岩石の構築原因が解説されています。東日本の代表的な磐座・巨石の多くが自然成因で説明可能であることがわかります。西日本版も欲しかったと高望みを記しておきます。
本庄範光氏作成のGoogleマイマップ。地方別に磐座MAPを用意されていますが、数多ある磐座・巨石マップでは最大級の収録数です。ブログはスピリチュアルしていますが、このマップ作成に注いだ情熱に対しては脱帽せざるを得ません。ご存じの方は皆さん陰ながら参照してますよね・・・?
https://ameblo.jp/norimitsuhonjo/entry-12242379280.html
㈱石文社 石文化研究所運営の石情報サイト。『月刊石材』発行元ですので石材系の情報が多めですが、広く岩石に関する文化を情報化しようという試みが窺われます。現在、岩石と文化の関係を結ぶ活発的な団体は少ないので貴重。
磐座・巨石ブログ界の最大手はこちら。運営者の方も知る人ぞ知るこの道の大家ですが、好んで公表されていないようですので控えます。いつまでも斯界の先達としてご教示賜りたく思います。
http://sazanami217.blog.fc2.com/
X界における総合ポータル。変わらぬ最新情報発信&シェアに感謝です。私はXを撤退したので、毎回いいね押すのを遠慮して数か月に1回押すようにしています。
YouTubeに有益情報はないのかということで推したいチャンネルがこちら。盆栽・水石界の重鎮である森前誠二氏が主宰。ご本人解説の水石文化の動画は有料級情報。再生リスト「水石」からどうぞ。
https://www.youtube.com/@WABICHANNEL-kf5xf
水石系サイトからもう一つ。水石ブームの歴史的経緯から、「現代」の水石のありかたを模索するところに特徴があります。さらなる継続的更新を期待しています。
思い出したり新たに見つけたりしたら追加します。
歴史研究者が学ぶべき最も重要な統計手法は「カイ二乗検定」といわれます。
カイ二乗検定などの意義については、過去の記事で紹介しました。
統計学まなびはじめ(『人文学のための計量分析入門』『基礎から学ぶ統計学』)
かつては手計算するしかなかった統計検定も、現代ではオンライン上で必要なデータを入れれば自動的に計算される時代です。
高等数学や統計学を修めた一部の人々しか扱えなかった検定が、今は門外漢でも利用できるということです。
では、歴史学でカイ二乗検定を扱う場合、どのような手順を踏んで算出まで導けばいいか?
書籍『自然石祭祀遺構の基礎的研究―巨石遺跡・磐座遺跡の時代を越えて―』で統計検定を使用した私が、実際にどのような試行錯誤を経て使用ツールとプロンプトを用いたか、備忘録と今後利用したいと考えている皆様へ向けて記録を残しておきます。
※2026年5月時点の情報です。めまぐるしく変わるweb環境のため、永久に使える方法とは限らないことをご了承ください。
大前提として、検定で使用する「分割表」は事前に作っておいてください。
分割表は、何かの群ともう一つの別の群の数値を比較するために作られます。
たとえば、行を時代や場所などで設定すると、ある時代とある時代の何かを比べたり、ある場所とある場所の何かを比べたりできます。列は、単純な「あり/なし」や「Yes/No」などの二列分類でもいいですし、比較するに足る複数の項目を並べてもいいわけです。
分割表は基本的には2行×2列から構成されますが、別に3列・3行以上でもOKです(ただし検定後の評価に他の統計学的知識が必要になります)。
これらの分割表によって、何かの群ともう一つの群の間に、データ差や相関を見出しやすくなります。カイ二乗検定に使う場合は、ある群とある群の数値に相関関係があるか逆に独立関係にあるかを示すことになります。
どんな分割表を作るかは、まさに歴史研究をするあなたのオリジナリティーが発揮される部分です。数値化するために、件数を数えられる項目やカテゴリーがないかを探してみましょう。
歴史学における注意点を挙げるなら、同一線上で比較できないような不統一な群同士を比較することに意味はないでしょう。
また、分割表自体は百分率で表されることが多いですが、カイ二乗検定に用いる場合は百分率にせず、実際の数値(件数)で入力したままの表とすることに注意してください。
| あり | なし | |
| A時代 | 128 | 144 |
| B時代 | 155 | 230 |
表1:2つの時代の遺跡において、ある要素が認められるか認められないかを2行×2列分割表にしたもの(表内の数値は集計件数)
統計学の専門をかじっていない歴史研究者でも扱いやすいツールはあるのでしょうか。
一番かんたんなのは、インストール・ダウンロード作業をしなくてもブラウザ上の計算で完結するオンラインサイトです。
私が推奨するサイトとしては、エミュイン合同会社が運営する Reactive stat です。下にリンクを掲載します。
https://www.emuyn.net/stats/features
キャッチフレーズは「ブラウザだけで使える無料統計ソフト~信頼性の高い R で統計解析し、その結果を AI が解説します!」
サイトのコンセプトなどの詳細は上のリンク内をご確認いただきたいですが、一言で言えば、理数系に弱い私でも直感的に理解できるサービスでした。AI解説なしで統計解析するだけなら無料で利用できます。
怪しいサイトではなく、医学論文などでも対応できるように工夫が凝らされた設計です。統計検定の根拠も信頼性の高いと言われるR言語に基づいて行われており、サイト内の各記述を読む限り信頼が置けるサイトだと思います。
Reactive stat でカイ二乗検定ができるページは下のURLです。
https://www.emuyn.net/stats/enter_and_analyze_two-way_table
ページ内にすでに分割表の欄が用意されているので、後はあらかじめ作成している分割表の数値を入力すれば、リアルタイムで検定結果が即算出されます。
元の分割表をExcelなどで作成している場合、コピペでうまくいける時とうまく貼れない時があります。元の分割表と見比べて誤りがないかよく確認しましょう。
先に例示した表1の分割表を Reactive stat に入力した場合、下のようになります。
![]() |
| Reactive stat にて作成 |
![]() |
| Reactive stat におけるカイ二乗検定結果例 |
カイ二乗検定の場合、次の3つの数値が算出されます。
Chi-Square 統計量はカイ二乗統計量のことで、統計検定をする時に出される検定統計量です。この統計量の数値がいくつかによって、その分割表の群同士が相関か独立かを示唆する根拠となります。統計量が大きくなればなるほど、有意差があるという評価をします。
自由度は分割表の行数と列数で自動的に決まる数値ですが、その意味を理解して適切に取り扱うには正直、歴史研究者としては若干手に余る指標であり割愛します。
一番重要な指標は、最後のp値です。p値=確率であり、カイ二乗検定の場合はその分割表の数値の分布が偶然でも成立するものかどうかの確率を算出します。表1の例の場合、p値は0.083で8.3%という意味です。なにが8.3%なのかというと、この分割表は統計学的に8.3%の確率で偶然できあがる数値の分布ということです。
では、8.3%は確率的に高いのか低いのか。統計学では慣例的に有意差があるかどうかを判断する有意水準というものがあり、それは一般的に5%といわれています。
つまり、5%以上が出た場合は「有意差なし」、5%未満となった場合は「有意差あり」とみなします。どうやらこの有意差を5%で区分することが望ましいかどうかには多くの議論があるようですが、門外漢の歴史研究者にはどうしようもなく、現状通説的見解とされる5%有意水準を採用しておくのが妥当でしょう。
ということで、表1の場合は「有意差なし」の判定となります。A時代よりB時代のほうが「なし」の数が増えたように思えますが、統計学的には有意差があるとは言えない、という言いかたになります。
しかし、仮に表1の数値がこのように変わったらどうでしょうか。
![]() |
| 表2:Reactive stat にて作成 |
A時代の「なし」を144から134に変えました。それ以外は同じ数値です。
表2でカイ二乗検定を実施した結果が下です。
検定統計量がさっきより増えて、p値は0.0305と小さくなりました。これは3.05%ということで有意水準5%未満になり、統計学的には「有意差あり」の判定となります。偶然起こるとは言いにくい、見逃せない数値の偏りなのです。
この、主観的に見れば「わずか」にも見える数値(件数)の違いを、統計学の根拠に基づいてp値という形で数量的な根拠を示してくれるのがカイ二乗検定です。
歴史研究者がやりがちな、大体これくらいの数値が出れば「高い割合」「低い割合」と評価してしまうのを、統計学的根拠に基づいて論ずることができるようになります。このことをクレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)は述べているのです。
しかし、これだけではまだ歴史研究者は安心して統計検定を使用できません。次は、カイ二乗検定を使えないケースがあることに注意が必要です。
それは、分割表の数値が少ない場合です。具体的な基準も決まっていて、分割表のセルに入る期待値が5件未満の場合です(最近は1件未満とする説もあるようですが、私には統計学領域の議論の判断がつかないため通説的見解の5件未満を採用します)。
![]() |
| Reactive stat で表1を期待度数表示した場合 |
| あり | なし | |
| A時代 | 0 | 5 |
| B時代 | 0 | 52 |
| C時代 | 7 | 46 |
| D時代 | 5 | 43 |
| E時代 | 4 | 39 |
| F時代 | 3 | 19 |
![]() |
| 表3をReactive stat で作成 |
![]() |
| Reactive stat におけるフィッシャー検定結果例 |
あり なしA時代 0 5B時代 0 52C時代 7 46D時代 5 43E時代 4 39F時代 3 19#### Fisher の正確確率検定Fisher's Exact Test for Count Datadata: .Tablep-value = 0.068alternative hypothesis: two.sided--------------------------------------------------------------Analysis is conducted using R version 4.5.2 (2025-10-31)The script uses the following packages and versions:
Reactive stat が万能かというと、そうではありません。
たとえば下のような分割表の場合は、計算量の限界を超えたようでエラーが出ました。
![]() |
| 表4:期待度数5未満があるのでフィッシャー検定を行うべき分割表の例(Reactive stat で作成) |
表4のフィッシャー検定「Rの出力結果」は次のとおりです。
列A 列B行1 0 5行2 19 33行3 25 28行4 34 14行5 30 13行6 14 8#### Fisher の正確確率検定fisher.test(.Table) でエラー:FEXACT error 7(location). LDSTP=18630 is too small for this problem,(pastp=64.2946, ipn_0:=ipoin[itp=71]=742, stp[ipn_0]=65.205).Increase workspace or consider using 'simulate.p.value=TRUE'実行が停止されました
Reactive stat のサイトにも書いてありますが、統計の世界で信頼性があるのはR言語に基づいたプログラムです。
Reactive stat はその最も簡便なツールでしたが、フィッシャー検定を使いたいのに計算エラーが出る場合、もう一段階、専門寄りのツールに切り替える必要があります。
それがEZR(Easy R)です。
フリーソフトです。
Easyの名を冠するだけあって、これでもR言語プログラムを使いやすくしたというコンセプトですが、こちらはインストールが必要なアプリであり、Reactive stat サイトの言を借りると「統計解析の初心者には難しいという声も聞かれ」るそうです(だからReactive stat を公開した)。
私も最初ちんぷんかんぷんでしたが、フィッシャー検定のところだけ理解できればいいという心持ちで操作に慣れていきました。その手順をこちらにまとめます。
自治医科大学のHP内でダウンロードできます↓
https://www.jichi.ac.jp/usr/hema/EZR/statmed.html
なぜならEZRの開発者は、自治医科大学附属さいたま医療センター血液科教授(2026年5月時点)の神田善伸氏だからです。
Reactive stat もそうでしたが、EZRも含めて統計解析ソフトは主に医療統計分野で発展してきた経緯があります。医師や医学者が医学論文で用いるための統計解析を、統計に疎い人でも利用できるようにという思いで無償で公開しているものです。
だからといって医療分野限定の仕様ではなく、当然ながら統計学は数学の世界ですから、数量を扱うあらゆる分野の統計において活用できます。歴史学もありがたくこの恩恵にあずかりましょう。
Window版、Mac OS版、LINUX版が公開されているので、ご使用の機種に合わせてダウンロードしてください。
ダウンロード前に、HPに書いてある留意事項などは一通り読んでおいてください。注意点としては、無料で使用できますが、EZRを使って算出した結果はEZRを使用したことを出典として示すことが条件づけられています(当たり前ですが)。
その出典の記載方法もHPに例示されているのでご確認をお願いします。
ウインドウの指示どおりにインストールを終えると、ローカルのインストールフォルダ内に「EZR簡易マニュアル」(EZRman.pdf)があるはずです。まずはそちらをご一読ください。
マニュアルの一番下に解析可能な検定のチェックリストが画像に示されており、その中に「カイ2乗検定」「フィッシャーの正確検定」の項目があるのを見つけられるでしょう。EZRにこれらの検定機能が搭載されていることがわかります。
では、起動してからフィッシャー検定するまでの流れをスクリーンショット画像掲載で紹介しましょう。
しばらく時間がかかりますが、このウインドウをそのまま放置しておくと別のもう1つのウインドウがさらに出てきます。それが下画面です。
上画像のウインドウが検定作業をする画面となるのでご注意ください。
まず通常の検定方法を説明します。
ツールバーの「統計解析」▶「名義変数の解析」▶「分割表の直接入力と解析」をクリックします。
すると下のウインドウが出てきます。
分割表を直接入力できます。
自分で用意した分割表の行数・列数に増やして数値を入力し、「フィッシャーの正確検定」にチェックを入れた状態で「OK」ボタンを押せばRプログラムが働いて自動的にp値結果を算出してくれます。
が、Reactive stat と同様に、表4のようなデータ数の分割表ではエラーが返ってきます。
見た感じ、このウインドウではモンテカルロ法の設定が見当たりません。
ということで、EZRの「Rスクリプト」画面に、直接スクリプトを打ってモンテカルロ法を用いることを指示しなければなりません。
先に紹介した井口豊氏の記述を参考にして色々試した結果、下のスクリプトであれば正常に検定できました。
dat<- matrix(c(
0, 5,
19, 33,
25, 28,
34, 14,
30, 13,
14, 8
), ncol=2, byrow=T)
fisher.test(dat,
simulate.p.value = TRUE, B = 1000000)
分割表の行数・列数に応じてスクリプト内のテキストを変える必要があるので、応用できるように、このスクリプトのそれぞれの意味を説明します。
dat<- matrix(c(
マトリックス(分割表)のデータであることをRに指示するコードです。
0, 5,
19, 33,
25, 28,
34, 14,
30, 13,
14, 8
表4の分割表をスクリプト画面に打つ時の形がこうです。
行ごとに列のセルの数値をコンマと半角スペースで区切りながら入力していきます。
表4は6行×2列なのでこうしていますが、3列や4列なら行の右側にコンマで区切りながらセルの数値を入力していってください。
要注意点は、一番最後の行・列(一番右下)の数値の後にはコンマを入力しないこと。私は当初ここにコンマを打ったことでひたすらエラーが出て悩まされました。
), ncol=2, byrow=T)
「ncol=2」は2列という意味。Rに列数がわかるように指示しています。ですので、3列や4列なら「ncol=3」「ncol=4」のように変更しておいてください。
「byrow=T」は、行の横方向の順番で読み込んで表データを作成するようにRに指示するコードです。
つまり、これによって2列の分割表を行の横方向に読み込めるようになるということです。
fisher.test(dat,
フィッシャー検定を実施するためのコード。
simulate.p.value = TRUE, B = 1000000)
これがモンテカルロ法で近似的なp値を算出するためのコードです。
「B = 1000000」は、試行回数を1,000,000回に指定するという意味です。
モンテカルロ法で試行回数を何回に指定するかは、用いるデータや目指す研究目標によって様々だそうです。
私は、エラーが出なかった分割表を使って、EZRでこの試行回数を「B = 1000」「B = 10000」「B = 100000」…と数値を変えながら算出されるp値を見比べて、最終的に1,000,000回計算すれば実際のフィッシャー検定結果のp値と近似すると判断して、このようにしました。
皆さんも、用いるデータや調査精度に合わせて試行回数を調整してください。
ということで、このスクリプトをEZRの画面に入れてみましょう。
要注意点は、入力したスクリプトを「すべて選択」した状態にして「実行」ボタンを押すことです。選択してスクリプト範囲を青くした状態にしないとエラーとなります。
正常に実行された結果が下画像です。
「出力」欄に「p-value = 0.000157」の文字が確認できました。
有意確率0.0157%ということで、表4の分割表の数値の分布は、極めて0%に近い強い有意差が示されました。
2×2分割表なら、1行目と2行目に有意差があるということを明確に示しますが、3行以上や3列以上となると、どの行・列のセルに有意差が認められるのか(有意に多いのか/有意に少ないのか)を特定する作業が別途必要です。
カイ二乗検定やフィッシャー検定は、分割表全体を見て有意差があるかないか自体を検定するものであり、表のどことどこに有意差があるのかまでは示してくれないからです。
どのセルに有意差があるのかを評価する方法に「調整済み標準化残差」の分析があり、この値が1.96を超えるセルはp値が5%未満で有意差があると判定しますが、このあたりまでいくと本記事の目的のさらに先の内容に突入するので、説明はここまでとします。
数名の読者の方のお役に立てばそれでよいと考えて書きました。
『自然石祭祀遺構の基礎的研究―巨石遺跡・磐座遺跡の時代を越えて―』の補遺として、本記事も大きな仕事ができたと思っています。
参考文献(EZR出典)
Kanda Y. Investigation of the freely-available easy-to-use software “EZR” (Easy R) for medical statistics. Bone Marrow Transplant. 2013:48,452-458. advance online publication 3 December 2012; doi: 10.1038/bmt.2012.244