2018年1月25日木曜日

加佐登神社と石(三重県鈴鹿市)


三重県鈴鹿市加佐登町2012

日本武尊は伊勢国の能褒野(能煩野)で亡くなったとされるが、尊の笠と杖を神体としてまつったのが加佐登神社で、境内の白鳥塚は日本武尊墓として、本居宣長を始めとする江戸時代の国学者に比定された。
*宮内庁が指定した日本武尊御陵は三重県亀山市の丁子塚(能褒野王塚古墳)

加佐登神社
白鳥塚
白鳥塚は、考古学的には白鳥塚古墳群の1号墳に該当し、古くはヒヨドリ塚・茶臼山・丸山・経塚などと呼ばれた。
従来、直径は東西78m、南北60mで、高さ13.3mの三重県内最大の円墳として有名だったが、平成17年の調査によって帆立貝式の前方後円墳と判明した。

『延喜式』諸陵寮に「遠墓」として、「在伊勢国鈴鹿郡。兆域東西二町。南北二町。守戸三軒。」という記載がある。

「『ヤマトタケル』の名も日本の勇者という普通名詞で、固有名ではないという。実在でない人物の墓を求める事も、あるいは無意味かもしれない。しかし少なくとも、平安時代初期には、その陵墓は鈴鹿郡のどこかに実在していた事は確かである。このような尊の伝承が、この地方に多いということは、鈴鹿川河谷が、当時の大和王朝の東国経営上、重要な路線にあたっていたという歴史・地理的な背景があったからであろう」(鈴鹿市編『鈴鹿市史』第1巻、1980年)

尊の実在とはまた別のテーマとして、平安初期に尊の墓が鈴鹿群に実在し、二町(220m)四方の境域をもち、墓守の家が三軒あったという事実には目を向けてもいいだろう。

加佐登神社
加佐登神社拝殿


加佐登神社の社頭、賽銭箱の隣に1体の石がある。

加佐登神社
社頭に安置された石


神主さんにお話をうかがったところ、この石は先代以前の神主が境内から見つけたものとのこと。
石には弧帯状の白い模様が見られ、ゴツゴツとした頂部と一部亀裂も認められる、独特な外見をなしている。
これが境内にいるという白蛇の姿に擬せられ、ただならぬ石として安置されることになった。

加佐登神社は、尊が死の間際につけていた笠をまつる御笠社と伝わることから、諸病平癒の霊験で知られていた。

信仰の根本は日本武尊およびその神体である笠と杖にあるが、そこから派生し、この石も病にご利益のある石として、患部が治るように石を撫でに来る人もいるらしい。
(力石や重軽石のように、石を持って上げることを否定するものではないが、撫でる方法のほうが自然な様子)

石の名前は特にないとのこと。
変な方向に進まないように、不用意にPRをする考えはないが、定期的に下の座布団は替え、安置を続けていくという神主さんの真摯なお話をうかがうことができた。
私もそのお考えを忠実に尊重したい。

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