2019年6月17日月曜日

岩上神社の烏帽子岩(石川県小松市)


石川県小松市岩上町

岩上神社の背後に、山の斜面からオーバーハング気味に突き出た巨岩があり、これを烏帽子岩と呼んでいる。

烏帽子岩。落石の危険があるので現在は周囲に柵が囲われ近づけない。

地山の岩盤が半ば露出した崖を烏帽子に見立てる。横には西俣川が流れる。

西尾八景の一つとして名勝化している。


しかし、これは元来は「岩神」ではなかったか。

『石川県能美郡誌』(石川県能美郡編、1923年)には関連する記述があり、該当部分を引用したい。
(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/978711/manifest.json

岩上
字岩上は古へ岩神と書せり、蓋し邑中烏帽子岩あるに因る、然るに百年前大火ありしかば、村民これ岩神の文字の祟る所なりしとし、 相議して岩上に改むといふ

烏帽子岩
字岩上の西南四町、鄕谷川の支流なる西俣川に沿ひたる西俣往来に、烏帽子岩と称する奇巖あり、高さ七尺余、其の形の似たるを以て名づく

烏帽子岩、岩上村にあり、高さ十五間程にて、形烏帽子に似たり、古へは此岩を神と崇め、村名の文字、岩神村と書よし、今は音沙汰なし

石神社
字岩上に在り、村社にして大日孁貴尊、天兒屋根尊、八千矛神を祭る、古へは五軀の木像を安置せり、中央は女躰にして、他は観世音及び毘沙門天二體とす、社殿は安政二年の建築に係る、右傍に天然石あり、高さ二尺、其背面に元和元年の文字を見る

上の記述からは、岩上の地名がかつて岩神だったこと、そして、その字を村名に使ったことで大火があったと考えて、音は同じながら字を岩上に変えたことがわかる。
(江戸時代末期に村60戸を全焼する火事が起こり、村の場を神社から離した現在地に新たに開拓したという)

そして、岩上村の烏帽子岩は烏帽子の形に似ていることからその名が付けられたが、古くはこの岩を神と崇め、岩神の名の由来になったこと、そして何にかかっているかわからないが、今はその音沙汰がないのだという。

さらに、岩上鎮座の石神社も言及がある。
岩上神社は1944年までは石神社の社名(または岩神さまと俗称)であり、1923年の同文献には石神社として記載されている。
地名と絡めて考えると、石神と書いて「いわがみ」と呼んでいたのだろうか。

境内には「右傍に天然石」があり元和元年(1615年)の刻字があるというが、境内の社殿向かって左手には現在、下写真のような岩石が残されている。文字は確認しえなかった。

岩上神社。烏帽子岩は写真左奥の位置関係。

社殿向かって左の謎石その1

謎石その2

現地看板


現地看板にも説明がなされているが、『能美郡名跡誌』(制作年の情報出てこず)という文献には、烏帽子岩が白山九所の一つに数えられ、白山の山神の裔神ではないかと推測されている。
本来は土地の自然信仰に根差した場所と考えられるが、白山信仰の世界観の中に組み込まれた一面もあるらしい。

はたして、この岩神への信仰はいつまで遡ることが可能だろうか。
元禄14年(1701年)の『郷村名義(郷村名義抄?)』には、岩神村の名の由来とともに、烏帽子岩が神としてまつられていたことが記されている。
さらに遡り、寛文10年(1670年)の「岩神村」の村印も残っている。

そして、神社境内に残る「元和元年(1615年)」の刻石も考え合わせれば、とりあえず江戸時代の始まりには当地の岩神信仰がすでに起こっていたことは認めて良い。
それ以前の岩神の地名の遡及ができるかは調査不足である。

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