2020年3月2日月曜日

児神社の石椅子と遍照寺山の巨岩群~広沢池周辺~(京都府京都市)


京都府京都市右京区嵯峨~山越 広沢池周辺

京都市西部に広がる嵯峨野に、古代からの人工池・広沢池がある。
その南西のほとりに児(ちご)神社が鎮座する。

児神社では、寛朝という大僧正(10世紀の人物)の侍児を祭神としている。

寛朝は、広沢池の北にそびえる遍照寺山の麓に遍照寺を創建したことでも知られているが、寛朝が昇天した後、その子は嘆き悲しみのあまり、広沢池に身を沈めてしまったと伝わる。
これを不憫に思った土地の人が、この子をまつったのが神社の始まりだという。

児神社境内には、僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、その子が傍らで腰掛けていたという石椅子が残っており、聖跡化している。
いつの頃からか、寿命・安産・縁結びに霊験のある石として神聖視されるようになった。

石椅子

境内には、もう1体来歴不詳ながら、柵の中に囲われて大切そうにされている岩石がある。
七福神が供えられていることから、単なる岩石ではなく、祭祀事例の一つと考えて良いだろう。

玉垣に囲われた岩石

真上より撮影。

児神社から北を眺めると、池の背後に優美な遍照寺山がそびえている。
この南西中腹に、寛朝の坐禅石と呼ばれるものがあり、山麓からでもその姿を確認できるほどの巨岩である。

遍照寺山の頂上付近や付近の山々(長刀坂・朝原山)には、古墳時代後期の群集墳が築かれており、寛朝開山以前の当地の巨岩と祖霊信仰の関係性も気になるところである。

南方から望む遍照寺山
(冬季のため広沢池の水が抜かれている/坐禅石は西方に回ると拝める)

広沢池の東側は世界救世教が所有する庭園「平安郷」敷地内となっているが、敷地奥は遍照寺山の山裾に当たる。この谷間最奥部に、チャートの岩盤露出が大きく3か所にわたって確認されている。
周辺の古墳群(山越群集墳ほか)の石室石材と同じ石質と見られることから、採取したという痕跡は確認できないものの、石室石材の採取地のひとつではなかったかという可能性が指摘されている(立命館大学考古学研究会編『朝原山・長刀坂古墳群―京都市嵯峨野群集墳の分布・測量調査報告―』2004年)。
石材採取された岩盤かは確定ではないことから、近くにある松尾山の磐座と松尾山群集墳のように、当地も岩石信仰と古墳祭祀の関連性を考えさせられる立地関係とも言える。

遍照寺山南山裾、谷間最奥部のチャートの岩盤露頭

別の岩盤

別の岩盤

これらの岩盤群は、私がかつて山越群集墳の調査の一環で訪れた時に観察したものであるが、現在、平安郷では一般公開はされていないようなので注意されたい。

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