2020年11月22日日曜日

祐徳稲荷神社の岩石祭祀事例(佐賀県鹿島市)


佐賀県鹿島市古枝

祐徳稲荷神社の歴史と石壁山・石壁社


日本三大稲荷と称する祐徳稲荷。壮麗な境内建物が日光東照宮に比することから、鎮西日光の通称でも知られる。

人が多い理由は→探訪日1月1日


神社の創始時期については、1687年(貞享4年)、花山院の娘である萬子媛が鹿島藩主鍋島直朝に嫁いだ時、京の稲荷大神をこの地に勧請したのが始まりだという。
萬子姫は二子を生むもいずれの子も早世。これを機に仏門に入り、80歳の時に神社裏の石壁山の石壁に穴を開け、石穴の中で入定した。

入定ということからもわかるように、江戸時代創建時は仏式の葬所であったこの神仏習合の地も、明治に入ると神仏分離によって石壁社として神社化し、萬子媛も祭神化した。

石壁社(石壁神社) 祭神:万媛命(萬子媛の神名)

石穴を塞ぐ社祠は、明治神仏分離以降の造作と見るべき

石壁の名の由来は、社背後に露出する石壁で一目瞭然である。
山が開拓される前からここに石壁が露出し、だから石壁山の名が生まれ、萬子姫がここで成仏しようと考えたのか。
石壁山の名がいつ頃まで遡れるのかは情報収集不足につき何とも言えないが、萬子姫がここに祐徳稲荷を勧請しようとした背景や、勧請以前の歴史に岩石という要素を考慮しておきたい。

なお、石壁社の石壁の窪みに水が溜まっており、これを「水鏡」と呼んでいる。
いわく、萬子姫が生前、物事の吉凶や予知を水に映る姿を見て占っていたと言い伝えられる場所であり、石占の事例でもあり聖跡の事例とも言える。

水鏡


岩本社と岩崎社


祐徳稲荷の境内社には、他にも「岩本社(祭神:岩本大神)」「岩崎社(祭神:岩崎大神)」といった、岩と石の名が入った社と神々が存在する。

岩崎社は、祐徳稲荷の巨大社殿のちょうど真下に位置する。
縁結びの神とされるが、祠の背後に単体の岩塊が控えているのを確認できた。
石壁山の裾部、先端部としての「崎」か。

岩崎社。社背後(写真左側)に岩石の一部が姿を見せている。

岩本社は、数ある境内社の中でも大規模な社殿が建てられているが、社名が示すような岩石の露出は周囲に一見見当たらない。
ただ、岩本社自体が石壁山の崖の上に立地しており、岩崖の中枢としての立地をもつことは付記しておきたい。

岩本社

以上の二社が、実際に物質としての岩が神格化した社なのか、それとも祭祀者の人名に岩が入っていたなど、直接岩には結びつかない社なのかは突き止めていない。

多数の朱塗りの祠と鳥居が群集する石壁山は、さながら伏見稲荷大社裏山の稲荷山を彷彿させ、稲荷信仰の影響下にあることは想像に難くない。
その伏見の稲荷山の山中にも岩石をまつった場が複数あり、同じく石壁山の岩石のまつり場との相関性があるとは言えるだろう。


ほか、境内に分布する岩石祭祀事例


稲荷信仰の影響下で、名もわからぬ岩石のまつり場が複数点在している。
以下、6ヶ所の岩石祭祀事例を紹介しておこう。


1.岩石に寄生する形で形成された社群



2.社の内部に注連縄の巻かれた岩石が存在し、岩石上に石祠がまつられる。


3.素組みの建屋内に一面の石壁と、その裾部に小鳥居が奉献される。


4.自然石の露出に合わせて作られた、覆い屋としての社


5.上と同形態


6.岩石を基部に置いて社祠が建つ。


ちなみに山頂の奥の院には、岩石の露出および岩石祭祀の痕跡は見られなかった。

以上、萬子姫以前の歴史がないようで、岩石という素材と立地環境を通すと、江戸時代以前の聖地性が見え隠れしそうな場所と言える。実際のところは情報収集不足につき不明である。
(岩石をまつるからと言って、先史時代の原初的信仰という証左にはならず、江戸時代に生まれた自然石信仰もじゅうぶんありうるのである)

0 件のコメント:

コメントを投稿