2022年2月27日日曜日

旗掛石/鞍掛石/鞍懸石(静岡県焼津市)

静岡県焼津市石脇


天保年間に駿府奉行を務めた加藤靱負(正行)著『なおりその記』(なをりその記/名乎離曾の記)に、以下の記述が見られる。

石脇村といふ村に、御旗掛石、御鞍かけ石と稱する二つの大石あり、その傍に古松の橫たはれるあり、夫をおこま繋ぎの松とゝなふ、この松古へは三木ありしが、今は只一木になりしが、猶昔の俤殘さむとて、いつの比にか古松のこなたに三木の松を植添て、いとふとしき繩をみしめのこゝろもて、彼の三木に結つく、又二つの石にもおどろおどろ數まで太しきしめ繩をかく、是や天正七年神祖當目にいくさだちし玉ひし時、此石に御旗をかけ玉ひ、御馬をかの松に繋ぎ玉ひしとぞ、斯て日本坂をこえ玉ひし由村老のいへり、新風土記曰

石脇旗掛石一鎗掛石、正行按ずるに、石の形高さ八九尺にして、幅二間斗りと覺ゆ、されば御旗をかくるといふはいぶかしき事也、恐らくは御鎗を掛玉ひしにもあらんか

加藤靱負『なおりその記』下巻(静岡郷土研究会、1928年刊行版)次世代デジタルライブラリーより


神祖とは徳川家康を指し、家康が石に旗を掛け、松に馬を繋いだとのことで、それぞれ旧跡として語り継がれる存在となる。

現在は2体1対の岩石に注連縄が巻かれているが、江戸晩期においてもすでに注連縄が掛けられていたことがわかる。

なお、「正行按ずるに」の但し書きで、旗ではなく槍を掛けた槍掛石ではないかと説が併記されているが、これは著者・加藤靱負の私見である。

旗掛石(北)

旗掛石(南)

旗掛石(二体一対)

石の傍らの松は、新たに植えられた方の松か?

旗掛石の傍らには、延徳3年(1491年)勧請といわれる浅間神社が鎮座する。

神社と石の関係については、鞍掛石に接するように後から神社が設けられ石脇の地名の由来となったとか、神社以前から祭祀されていた磐座だったなどの俗説もあるようだが根拠に欠ける。

立地的には、高草山南方の山裾・山麓に位置し、高草山などの神を招く磐座祭祀の候補例としては想定されうる存在である。


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