2018年11月29日木曜日

道祖神と自然石の境目とは?

長野県民俗の会が、2018年11月に『長野県道祖神碑一覧』を上梓しました。


編集後記によれば、この冊子は2015年刊行の『長野県中・南部の石造物』(岩田書院)に収録されていた道祖神一覧を元に、収録データの誤りを訂正し、長野県北部の道祖神データも加え、長野県全域の道祖神碑の事例集成として完成したものだそうです。

全206ページに表形式で収録されており、道祖神碑の長野県下の総数は6544例。
道祖神碑ですので、石造物以外の道祖神は別カウントになると思いますが、それでも石造物で6500を超えるわけです。

信仰に関わる石をすべて岩石信仰と考えると、一県で6500件、全国では・・・あな恐ろしいことです。到底、個人の手には余ります。

そこで、私は石造物研究からは外れやすい自然石をフィールドの中心にしているのですが、本書には自然石の道祖神も収録されており、岩石信仰の資料集としても重宝できます。

道祖神碑の分類


本書の分類では、「単体像」「双体像」「文字碑」「石祠」が石造物としての道祖神として分類されています。
自然石は、繭玉の丸石については「丸石」として独立に扱い、それ以外の自然の石を「自然石」として一括します。
石造物と自然物の間とも言える男根形態石は「陽石」、女陰形態石は「陰石」としてこれもまた別項目で取り扱われています。

これらの「丸石」「自然石」「陽石」「陰石」は、文字や神像が刻まれていなくても道祖神と呼ばれてきた石たちだと推測されますが、集成を担当した調査者の方も道祖神に入れるか外すべきか悩んだ事例が含まれているのではないかと思います。

たとえば、旧坂井村安坂中村の双体像道祖神は、隣にある自然石も道祖神事例に含められています(p136)が、この石は上面の凹んだところで子供たちが草餅をついて供えたものといい、隣の道祖神とはまた別の装置感があります。
また、自然石の道祖神だった場合でも、道祖神としての信仰が先か、自然石としての信仰が先かは混然一体となっています。

本書はこれまで発表された数々の調査資料を合算して集成されたものですので、一部の資料には「自然石」ではなく「奇石」と記載されたものも存在します。
それらの中には「厄神」(小澤中小沢辻、p57)、「妻神」(泰阜村下内沢峠、p84)、「だるま石」(旧日義村百島、p88)、「女神・男神」(長野市松代町東条字管間 明真寺境内、p161)、「カリタケさん」(小布施町、p179)、「乞食の堺石」(小布施町、p179)、「どんこんさん」(小布施町六川梅松寺東参道、p179)など別の名称で呼ばれているケースもあります。

自然石の中でも、文字や像を刻する石碑状の形であれば道祖神の影響が濃いものと思われます。実際に、旧大岡村乙梶平にある自然石は「以前あった道祖神が盗まれたため、新しい石を用意して道祖神として建てた。名のある人に文字を書いてもらおうとしたが結局見つからず、道祖神の文字が刻まれないまま建っている」といいます(p162)。このように、石の見た目だけではわからない、多種多様な石の経緯に気をつけなければなりません。
石碑型とは言い難い奇石や、奇石とも言い難い何の変哲もない不整形な石までいくと、道祖神信仰以外の視点も注いでいきたい存在になります。

ただ、多くの場合は「自然石」以上の細別が難しいようで、自然石道祖神の多くは備考欄も空白のままで、写真がなければイメージすらも難しい状況です。
なかには「風化が激しい」(旧東武町加沢、p38)、「一部欠損」(麻績村西麻績、p128)、「表面が削り取られている」(長野市三輪、p150)と注記された「自然石」の事例もあり、自然石事例の中にはもともと文字や神像が刻まれたものも含まれているかもしれません。

一方では、文字碑であるにも関わらず「はやり病を村に入れたといって島流しされた碑」もあり(旧高遠町荊口栗立下の河原、p63)、文字資料であるにもかかわらず文字の内容だけで信仰世界が完結せず、別系統のストーリーが挿入されている辺り、岩石信仰は複雑です。

分布傾向の偏り


巻末には、道祖神の類型別の事例数が地域別に集計されています。

6544例の道祖神のうち、長野県内には丸石が70例、陰石陽石が142例、自然石が357例となっています。

たとえば丸石70例のうち、30例が鬼無里村で26例が小川村と二つの村に集中していたり、陰石陽石142例のうち3分の1以上の53例が長野市に偏っていたりと、分布に傾向が認められます。

とはいえ、これは複数の資料に報告されてきたものを一つにパックした文献です。資料ごとに、調査の粗密や問題意識が異なることに注意しないといけませんので、調査者の観察眼の違いによるものかもしれません。

最後に


道祖神も含め、石仏や石塔などの石造物と自然石信仰の境目を深く再考させられる文献が登場したと思います。
今の時点でひとつ言えるのは、外見上での境目というものは引けますが、信仰上での境目を引くことは適切ではないということ。

自然石そのものを見ているだけでは、自然石なだけに、人間の想念を取り出す取っ掛かりに欠けます。そこで、外堀を埋めるように、自然石以外のものから学び、消去法で残ったものをあぶりだすように自然石信仰をとらえなおすのです。

これは、信仰が人間の想念を取り扱う分野であるかぎり、信仰研究、ひいては信仰に関わる歴史研究全体にも当てはまることではないでしょうか。

一つのアプローチにこだわると、視野が偏り、人の心を見誤るのだということに注意して、これからも勉強していきたいと思います。

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