2020年4月12日日曜日

伏見稲荷と稲荷山の岩石信仰(京都府京都市)


京都府京都市伏見区深草藪之内町~稲荷山

お山参り・お塚祭祀


伏見稲荷大社の存在で著名な稲荷山。
稲荷山において特徴的な祭祀に「お山参り」がある。

山麓の社殿だけを参るのではなく、その後ろの稲荷山(標高233m)に存在する数々の神跡も巡る。
今でも、伏見稲荷を信奉する稲荷講の方々を中心にして、一般の参拝者や観光客の多くも山中へ足を踏み入れている。

山中には、至るところに立て並べられている石碑を無数に見ることができる。これを「お塚」と呼んでいる。

稲荷山御膳谷における「お塚」群

「お塚」は山中におよそ1万基あるらしいが、これらのほとんどは幕末から明治時代にかけて、参拝した個々人が設置したものという。神社側は当初認めていなかったようだが制止しきれず、現在あるものについては聖地として容認されている。

厳密に言うと神社が設置した「お塚」は、稲荷山の一の峰、二の峰、三の峰をはじめ、長者社や御膳谷など7ヶ所の「神跡」ポイントだけになる。

一の峰

二の峰

三の峰

このような「お塚」はどのような性格のものだろうか。
社務所発行の『伏見稲荷大社略記』によれば「これらのポイントこそは、かつて大神様をお迎えし、おまつりを行ったところと信じられて来た」と記されている。

石に神名を刻んで山中に置くことで、そこが神と参拝者の交流場となるという理解だろう。

ここからわかるのは「お塚」は神そのものではなく、神を「迎えて」そこで祭祀を行なった場所だということである。
神の迎え方と石の関係にははっきりしないところがある。石上に神が降臨する図式なのか、石に神霊が憑依する図式なのか、石そのものに姿を借りず石の手前に神霊がやってくる図式なのか、諸々の迎え方パターンが予想される。
おそらくであるが、これは信奉者によってグラデーションが分かれるところだったのではないかと思う。

現在は、山麓の本宮にすべての主祭神が常在しているわけであるから、わざわざ山中において改めて神を呼び寄せる必要はない。
それでも、今もお塚祭祀が活発に行なわれているところを見ると、人々は構図や図式に囚われて理路整然に祭祀をするのではなく、時間の経過の中で混然一体となったあらゆる聖地をすべて包括的・重層的にまつりつづけるところにある種の列島性を感じざるをえない。

奥社の奉拝所にまつられた岩石


奥宮(奥宮とは言うが、何のための社殿か諸説がある)から続く山道を進むと、名前が似ているが奥社(奥の院とも)というまた異なる社殿が鎮座する。

奥社は、本宮の奥の宮的存在のようであるが、ここから稲荷山を遥拝するための「奉拝所」とされている。奥社の参拝方向の延長線上に稲荷山の山頂が位置する。

奥社は木造建築の拝所であるが、拝所の奥に、露天で幾多の小鳥居や壇に囲まれて高さ1m弱の立石状の岩石が1体置かれている。
この岩石の名称を調べたが特定できず、石を含めて「奥社」「奉拝所」とみなしたい。

奥社 奉拝所(写真中央に岩石がある)

奥社の「おもかる石」


奥社には「おもかる石」もある。
見た目は普通の石灯籠が2つ並んでいるだけだが、その一番の上の石(空輪)のことを「おもかる石」と呼んでいる。


いわく、石灯籠の前でまず願い事をし、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。
この点は、全国に類例数多ある重軽石信仰と同様である。

御膳谷の御饌石


奥社から「三ッ辻」「四ッ辻」を経て、山をしばらく登っていくと「御膳谷」と呼ばれる谷に差し掛かる。この谷は、山頂の一の峰と二の峰の両方の尾根に挟まれて形成されており、奥社と同じように御膳谷も奉拝所の1つとされている。

御膳谷にある祈祷殿の裏に1体の平石が安置されている。これを御饌石といい、この石を用いて「山上の儀」という祭祀儀礼が今も執り行なわれている。

御饌石

具体的には、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという祭儀で、この内容は社殿建築以前の古態を伝える貴重な祭儀例として重要視されている。

この御饌石の機能を見てみると、石の上に供物を置くという供物台としての役割を担っている。
供物台は、神がその場所なら捧げ物を受け取れるということを示す、祭祀空間の中でも特別に「神に近い」空間でもある。
その意味で供物台として使われる岩石は、それ自体は磐座とは異なる役割の岩石だが、岩石のすぐ奥には信仰対象がいることを自明するという点において、祭祀空間の中でもほぼ神のテリトリーであることをあらわすものでもある。

ちなみに御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が併設されている。こちらも「ここが神聖な行為をする人間だけに許された空間である」ということを示している。

御饌石とその手前の台座石

長者社神跡の剱石と雷石


御膳谷からさらに登ると、山頂近い山腹に「長者社神跡」がある。
長者社は伏見稲荷の司祭者である秦氏の祖神を祀った社で、ここはその最初の社があった神跡として伝えられている。

能楽の「小鍛冶」の舞台であり、「ここの土を焼刃に利用し刀を作れ」との神託を受けて名刀が完成したという鍛冶職人の聖地としても知られる。

長者社神跡には御剱社が鎮座しており、社殿内には「剱石(けんいし/つるぎいし)」という岩石がまつられているという。明治10年頃に剱石をまつるための社を新設し、昭和30年以降は社の門扉を閉ざしたままというので内部の剱石の姿を拝むことはできないが、その名が示すごとく剣に似た形状という。
先述の鍛冶伝説にちなみ、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰されている。

京都新聞の取材(1998.11.7「岩石と語らう」33)では、剱石の姿を知る人によると、剱石は人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩だったらしい。
このことから、剱石は小石程度のものではなく、ある程度の規模の自然岩の周りを社で取り囲ったものだと類推される。

一方、剱石のある御剱社のすぐ裏には「雷石(らいせき)」と呼ばれる巨岩がそびえており、こちらはすぐに目がつく。自然岩盤から隆起した巨大な岩である。
こちらは目視できるので、この雷石を剱石と勘違いする方も多そうだが、両石は別のものなので注意されたい。

「現在は、剱石は社の中にあり、外からは雷石しか見ることができないため、雷石が剱石と誤って紹介されることもある。『しかし、そもそもの信仰は、雷石から始まったようです』と伏見稲荷大社宣揚部は話す。」(「岩石と語らう」33の記事より)

雷石(左側)と御剱社(右側。社殿内に剱石がある)

この雷石であるが、由緒書においても「長者社の神跡が残る霊地である」「古くからの神祭りの場と思われる」など、曖昧な説明にとどまっている。

唯一具体的な伝承として、享保17年(1732年)に編まれた『稲荷谷響記』の中に大略「古老が伝えるには、昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩に雷を縛った(封じた)」という記述が載っている。
この記述から、雷岩がその名の通り雷に関係のある信仰を有していたことは異論のないところだろう。

雷が降臨したという部分を見ると、この岩は雷神の磐座のようなものと解されるが、一方で神がここに雷を縛った(封じた)という部分を見ると、爾来この岩には常に雷が宿っているということになり、現状としては常に石に神宿る状態にも見受けられる。
上記の点から、雷石は最初の1回目だけ遠地から神霊が岩石に降臨し、その後はそのままに岩石に常時宿る石神となった「一度きりの磐座→石神」パターンの事例ではないかと考えられる。

なお、山上伊豆母氏(帝塚山大学名誉教授)は、雷石以外にも稲荷信仰には雷に関わる情報が多いことを指摘し、稲荷山信仰の源流に雷神信仰があったのではないかという考えを述べている(山上1986年)。

剱石と雷石の関連については、先出の京都新聞の記事によれば、稲荷山を描いた最古の図「山上旧跡図」(1531年)には両石の存在が記されており、それぞれ共に中世にさかのぼりうる存在だったことがわかる。
また、伏見稲荷大社宣揚部の意見では、元々雷石と剱石は両者一体の岩石信仰だったものが、後に剱石だけ鍛冶伝説関連の岩石として独立したのだろうといった要旨の見解を述べている。

大岩大神と「力お大明神」について


代表的な参拝順路からは外れる稲荷山南東部に、大岩大神という場所があることは把握していた。

地図に従ってしばらく歩くと、それらしいものが見えた。岩盤が露出しており、その横に小鳥居や幣帛が置いてあり、聖地としてまつられている様子がうかがえた。


ここには「力お大明神」という石碑が建っていた。探訪時、私はこれを大岩大神の別称でここが大岩であると勘違いしていたが、大岩大神はまた別の聖地だった。

大岩大神、力お大明神ともに詳しい沿革は調べ切れていないが、またの機会に再訪したいものである。

四ッ辻


四ッ辻には大規模な露出岩盤が見られる。
別に神聖視はされていないようだが、神職者や稲荷講はもちろん、稲荷山を詣でる人々にとっては、四ッ辻と言ったらあの露岩、というランドマークになっていることは想像に難くない。


参考文献


  • 伏見稲荷大社社務所編『伏見稲荷大社略記』(第15版)1996年
  • 伏見稲荷大社社務所編『伏見稲荷大社パンフレット』
  • 山上伊豆母「伏見稲荷大社」 谷川健一編『山城・近江』(日本の神々-神社と聖地 第5巻)白水社 1986年
  • 京都新聞社会部・地域編集部「伏見稲荷大社の剱石と雷石」(京都新聞「岩石と語らう」33)1998.11.7
  • 大西親盛『稲荷谷響記』上巻 1732年(神道大系編纂会編、小島鉦作・中村一紀校注『神道大系 神社編9 稲荷』に所収)
  • 伏見稲荷大社公式サイト
  • 現地解説板


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