2020年6月7日日曜日

内々神社の岩石信仰~奥之院岩窟・天狗岩・庭園~(愛知県春日井市)


愛知県春日井市内津町

内々神社庭園 ~自然石信仰と人工的景観~


内々(うつつ)神社は、内津峠の存在で知られる尾張と美濃の国境に鎮座し、『延喜式』神名帳にも記載された古社である。
日本武尊が部下の建稲種命の死に接し「現哉(うつつかな)」と嘆いたことから、内津の地名が生まれ建稲種命を祭神としたという伝説が残るが、そこに鎮まる内々神社がたどった歴史にはいくつかの謎がある。

その一つが、内々神社は社殿の裏に大規模な庭園を有することである。

内々神社本殿の背後に広がる庭園

全国数多くの神社あれども、本殿の手前ではなく本殿より奥に鑑賞目的で人工的に自然に手を入れる庭園が築かれるというケースは極めて稀といい、この庭園と内々神社の歴史については複数の研究者による先行研究がある。

研究史および論点の整理については、下記の参考文献が詳しい。

岡田憲久氏「内々神社庭園現況調査に関する報告」『名古屋造形大学紀要』16(2010年)
https://nzu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=372

高橋敏明氏「妙見菩薩の庭 ~内津の庭園4つの謎~」『郷土誌かすがい』第77号(2018年)
https://www.city.kasugai.lg.jp/shimin/bunka/bunkazai/kyodoshikasugai/1004412/1014885.html

上記の研究ではそれぞれ結論に異同点が見られるものの、共通して認められるのは、内々神社の社殿はもともと今のような形ではなかったということである。

嘉歴年間(1326年~1329年)、神仏習合の影響で神宮寺の妙見寺が神社境内に創建された。
何かしらの理由で、その時の妙見寺が現社殿の位置に一時期あり、寺に隣接する庭園として現庭園が築かれたという説が一般的である。この場合は、南北朝期から江戸時代初期の造園と製作時期に諸説ある。

また、前掲の高橋氏の説では、妙見寺の影響を受けて、神仏習合の中にある内々神社が観賞用ではなく、神を降臨させる祭祀の場としての斎庭を築いたものがこれであるとみなし、現社殿が完成した文化年間(1804年~1818年)以降の比較的新しい作庭ではないかと論じている。

神を降臨させる斎庭とはどういうことか。
内々神社庭園の特徴は、社殿の裏山に屹立する巨岩があり、これを天狗岩と呼び、自然の巨岩も含めて庭園としている。
山の天狗岩が本来の神の降臨する磐座で、さらに山麓の社殿に神を迎えるために、社殿背後の山から地続きの裾部に庭園を造り、庭の中に設けた三尊石・島・礼拝石を麓の磐座としたという推測である。高橋氏は、島を取り囲む石群は岩境(磐境)としての機能も負っていたと述べている。神を降ろす庭であるなら、庭園を荘厳する各石が全体として磐境だったと考えてもいいのかもしれない。

庭園の三尊石

池に浮かぶ中島。石に囲まれている。

一方で高橋氏も自身の説に解明しきれていない点があると吐露しており、この説の是非はまだ保留段階としたいが、庭園=観賞用でそれ以外の機能を排除するという価値観が硬直的だと示したことには大いに賛同したい。
古墳時代の祭祀遺跡である三重県伊賀市・城ノ越遺跡以降、飛鳥時代の苑池遺構、中世の作庭記に著される様々な禁忌に至るまで、庭は美の対象であるだけでなく祭祀信仰の場としての性格も持ち合わせていたと認められるだろう。

天狗岩は山林に覆われ近くからでは逆に見えにくく、現在は内津神社入口西の駐車場の辺りから遠望したほうがその姿を拝める。


神社駐車場からわずかに見える天狗岩(Googleストリートビューより)

庭園から望む天狗岩下部の岩盤。屹立する岩上部は樹木で見えない。

前掲の「内々神社庭園現況調査に関する報告」の聞き取り調査によれば、昭和40年代に植林されたスギが育ち天狗岩が見えなくなってしまったということで、伊勢湾台風前は麓からよく見えていたという。
報告書の所見では、内々神社庭園は天狗岩が出発点で始まったものであるから、天狗岩の姿と足元に広がる斜面の巨石群をはっきり見せる整備が文化財的に重要だろうと提言している。

たしかに、庭の裏山にあるのは天狗岩だけではなく、山腹斜面から山裾にかけてゴロゴロと多数の岩石群が転石・落石した景観が広がっている。



これも自然の庭とみなされるものであり、天狗岩と内々神社の庭をつなぐ媒介役とも言える。
山裾の岩石群の一つには、「古事記岩」と名前のつけられたものも存在する。

古事記岩

名称が全国他に類例を見ず特異だが、せいぜい奈良県山添村の「乞食岩」が同音の事例と言えるくらいか。
看板には「念ずれば花開く」とメッセージが書かれている。

天狗岩が磐座だったかは創建時の記録が残っていないので確定的とはいえず議論の余地もあるが、明治時代の『内々神社御由緒及参考書』に「建稲種命亀ニ乗リ日本武尊ノ御前ナル巌上ニ現レ給ヒ」の文があるといい、この「巌上」が天狗岩を指すとしたら、天狗岩は建稲種命が降臨した聖跡と少なくとも明治時代には信じられていたことが窺われる。

内々神社奥之院 ~岩穴に築いた社と麓の内々神社との関係~


内々神社から裏山の天狗岩を横目にさらに北方へ道を進むと、約600mの地に「奥之院」と呼ばれる場所がある。

奥之院参道

奥之院は他に奥ノ院、奥の院など表記の揺らぎがあり、別称として妙見宮・妙見神社・巖屋神社などが現地の石標に見える。
妙見宮・妙見神社の名は中世の妙見信仰に基づく後世的名称であることが前述のとおり神宮寺の妙見寺の存在から明らかであるし、巖屋神社を示す石標は明治時代に流行した御嶽講の信者が建てたものという報告書の聞き取り調査があり、別称や異称の形成が近代にずれ込むという注意喚起の事例にもなっている。

現地には、御嶽講や他の宗派によるものと思われる霊神碑や、金正尊といった独自信仰の祠が残る。

参道脇の霊神碑

岩盤上に建つ霊神碑

金正尊の祠

山岳仏教を素地とするさまざまな信仰のるつぼとなっており一種混沌とした空気感が漂うが、それを拭った先に残るのは内々神社信仰の淵源としての岩窟である。

奥之院の岩窟は、現地に行くと身をもって知ることになるが、急峻な岩肌にできた裂け目に無理に社殿を設けた形となっている。






現在は新調された鉄製の階段で参ることができるが、階段敷設前は梯子をかけただけで、その前は鎖で登っていた時代もあったという。もちろん元来は岩肌を登攀していたことだろう。
江戸末期~明治初『尾張名所図会』後編巻4 春日井郡(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764890)には、奥之院が内々神社の開闢の地で建稲種命をまつったと書かれ、社殿が築かれた岩窟のさらに上にも小岩窟があり、そこから「御塩水」と呼ばれる清泉が流れ、絵図とともにその景観が描かれている。

また、江戸時代の文献『感興漫筆』には、大岩を神体として岩中に不動の像があったことが記されているという。この時は、社殿さえなかったのかもしれない。

奥之院の岩窟に限らず、周辺一帯にはチャート質の荒々しい岩盤が多く分布していたといい、『尾張名所図会』にも奥之院の西に「屏風岩」という場所が描かれている。
屏風岩は何十mにもわたる文字通り屏風のような岩肌だったというが、昭和30年代から当地で採石業が盛んとなり、さらに昭和から平成の間に国道19号バイパスが内々神社と奥之院の間を分断する形で工事され、その折に屏風岩は消滅したという。
このように、岩石によってさまざまな信仰や聖地が生まれた場所でありながらも、生業として岩石が利用された場所で、その歴史の上書きで現状の景観が存在していることになる。

奥之院の山上から麓の砕石現場を望む。

岩石信仰という観点で興味深いのは、内々神社背後の天狗岩と、当奥之院の岩窟の関係である。
共に、内々神社祭神の建稲種命をまつる場としてあり、性格が重複している。前掲高橋氏の論文によると、天狗岩の麓にも岩穴が見られるという記述があり、それが真に岩穴として神聖視されたのなら、岩穴信仰(岩屋信仰、岩窟信仰と言い換えてもいいが)という意味合いでも両者の聖地は重複し合う。

奥之院岩窟を設けた岩穴

奥之院岩窟上方の岩穴。御塩水の小岩窟はもっと上か?

天狗岩下部の露岩の一つ。岩穴状の亀裂が見られる。

これは、通説的な解釈を施すなら、山中最奥部に位置する奥之院の岩窟が信仰の淵源で、その後、麓に少し寄ったところに屹立する天狗岩を次の降臨地として、さらに境内の庭園をつくることで麓に第三の降臨地を設け、時代を経るごとに神が里に近づいてきたという流れを描き出せるだろう。
しかし、実際の歴史はそのような俯瞰的な流れで描き出せるものとも限らない。神社背後の天狗岩は、麓に近いという点で、奥之院の岩窟よりもむしろ順序的に里民から先に目に入る存在であったことは想像に難くない。
天狗岩が先で、それに倣って山中岩窟の信仰が増やされたか、その逆か。順番はわからないが、どちらかがどちらかに影響を与えて、結果的に二つの聖地が現在並立している可能性もある。

延喜式時点の内々神社がすでに麓の社殿のことを指していたか、奥之院における祭祀の状態だったかはわからないが、近世には天狗岩の麓に人工の祭祀場である斎庭を作り、奥之院の岩窟には不動像や祠をはめこんだ。
自然のままで是とせず、自然に手を加えることで、聖なる存在をできる限り人前に近づけようとした意識を感じる事例である。

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