2022年6月6日月曜日

天岩戸神社の岩石信仰(宮崎県西臼杵郡高千穂町)


宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸


天岩戸神社西本宮の「天岩戸」

長里清『九州文化大観』(1940年)という文献に、岩戸村の史跡伝承地がまとめられている。戦前当時の情報を伝えるものとして以下引用する。

「天岩戸といふ穴あり、奥行き五間、幅十間程あり、(略)その遥拝の所に天岩戸神社があつて、天岩窟を以て御神體として奉斎してゐる。」(長里 1940年)

天岩戸神社西本宮。本殿裏に岩戸川が流れ、川を挟んだ対岸に天岩戸が存在する。

天岩戸は撮影禁止を遵守の上で拝観可能。

天岩戸を実見した印象を記すと、今まで接した岩石祭祀事例のなかでは奈良県宇陀市の室生龍穴に似ていた。どちらも川の対岸から拝観するが、天岩戸のほうがさらに遠くから遥拝する形である。


天岩戸神社西本宮の社務所および徴古館には、神社境内および周辺から採集されたという各種の遺物が収蔵されており、見学できる。

社務所に公開されている採集遺物の一部。

「古代文字石勾玉、石斧、石鏃、彌生式土器等此地方からの出土品を社務所に収蔵してある。」(長里 1940年)とあるように、かつては「古代文字石」の存在でもある種有名だった。

本石は岩戸蓋石や岩戸碑文などともいわれるもので、いわゆる神代文字が刻まれた平石である。戦後に消失したというが写真や拓本が残っている。

この神代文字が、いつどのような意図で刻まれたものかは不明ながら、神聖性を醸成するために用いられた岩石であり該時の歴史を伝える文化財であったことは言を俟たない。


天浮橋

「此所(管理人注:天岩戸のこと)より五丁許下流に三十間程の石張出したる所あり、天浮橋といふ、此邊に横穴あり、頗る大なり土俗之を蝙蝠穴といふ」(長里 1940年)

五丁というから、天岩戸より約500m下流に位置するところに天浮橋と呼ばれる、石の張り出した場所がある。そこには蝙蝠(こうもり)穴という横穴もあるらしい。

500m下流というと、現在、天岩戸神社西本宮と東本宮の間にかかる岩戸橋よりも下流側に位置すると思われる。

また、他の文献には次のとおり記される。

「河中に西より東に突出せる一大岩石あり。天の浮橋と云ふ。河水この下を潜ると云へり。又曰く、笹戸橋より一丁程川下にあたりて、晴天の朝、自然と橋の形の水面に寫つるを見ることあり。之影を天浮橋の影なりとも云ひ傳へたるものなりと雖も故事なし。」(甲斐 1917年)

岩石が橋のように長く突き出ているだけでなく、時には橋のごとき姿を水面に写す逸話も付帯している。

笹戸橋の調べが足りていないが、笹戸橋が現岩戸橋を指すなら(付近に岩戸橋以外の橋が見当たらない)、やはり天浮橋は橋の下流に属すものと推測される。

岩戸橋より南側の下流を撮影。写真上部奥方に両岸から狭まった岩は見えるが…。

さて、この天浮橋については地元の方でも関心をもつ方がいらっしゃるようで、ブログ記事にその詳細を挙げている。


「高千穂日記(ブログ版)」
http://muzina-press.cocolog-nifty.com/blog/cat23047329/index.html(2022年6月5日閲覧)


ブログには天浮橋が掲載された古い観光地図の画像も載っており、やはり岩戸橋の下流に位置して、しかも橋から何とか見えるようだ。しかし、いつぞやの大水で浮橋は土砂に埋まったともいうので、現状で確認するのは難しいかもしれない。

上記ブログによると、天浮橋をまとめた調査報告書を作成されたそうでpdfをネット上にも発表されていたとのことだが、niftyホームページサービス閉鎖に伴い2022年現在ではpdfの内容を閲覧することができないのは残念である。


御塩/御汐

「氏神社の直下舊岩戸橋の西詰の岩壁に、岩塩の噴出して附着してゐるのを見る事ができる。それは古来大神宮の御塩と稱してゐるのである。」(長里 1940年)

氏神社とは、現・天岩戸神社東本宮の旧称である。

この御塩に関しては、天岩戸神社西本宮の元宮司の佐藤延生氏から存在をご教示いただいた。

岩戸橋から見えるというお話ではあったが、天浮橋と同様、橋から川を眺めるだけでは大小の川原石の群在であり、そのどれかを特定するのは難しい。

岩戸橋から北側の上流を撮影。西詰の岩壁というが…。

岩戸川の両岸には社叢が繁茂して、岸を肉眼で確認することは難しい。


天安河原の仰慕窟




「天岩戸の前面を流れる岩戸川筋を、一名に天安河原と稱してゐる。此の上流に石窟があって(天岩戸神社より東北へ約三丁)天尾羽張神在ませし所とも云はれ、八百萬神、岩戸開の神謀りの遺蹟とも傳ふているところで、廣さ百畳に近く岩窟の奥には小石祠を存してゐる。」(長里 1940年)

天岩戸神社の天安河原といえば高千穂を代表する名所としても知られるが、上記の文章を読むかぎり、天安河原は川筋を指すようで、岩窟自体は仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ぶのが正確である。

また、天尾羽張神(あめのおはばりのかみ)が在した所という記述にも注目したい。

天尾羽張神は『古事記』において「天安河の河上の天石屋」に坐す神として登場するのが本記述の所以と思われるが、現在、天安河原宮にまつられる主祭神は思兼神(おもいかねのかみ)および八百萬神と社頭掲示にあり、戦前文献との若干の異同が見られる。

「襁褓窟あり。入口の高さ奥行三十間に近かく稀有の大洞窟となす。」(甲斐 1917年)

襁褓窟のほか、協議ヶ窟などの別称もあるようだが、いずれも同音の当て字と見て良いだろう。

天安河原に見られる積石の習俗。これらの石にも数々の古俗や物語が存在した可能性もある。


光石/光明石

私は視聴していないが、かつてBSのNHKの番組「新日本風土記」で取り上げられた場所ということで情報提供をいただいた。


情報によると、岩戸開きの時にその光明が照らされた尾根があり、上部に「光明石」という大石があり光り輝いたという。さらに、その石の地名は「光石」と呼ばれ今も残るという。

先出の天岩戸神社佐藤元宮司に尋ねたところ、ご自身は実見したことがないとのことだが、日差尾(ひさしお)という、その光明が当たったという尾根の地名が残っており、光石を踏査して整備を考えている方をご紹介いただいた。

高千穂町内の会社「ひむか造園土木」の経営者である佐藤光氏がその方で、お電話で会話したところによると以下のとおりである。

  • 高千穂町の天岩戸温泉の裏に天香具山という山があり、その山の付近に光石はあるらしい。
  • 光石と思しき岩石は確認済で、付近から石片も採取した。
  • 道はない。しかし、道を整備する必要があると考えている。山が荒れているため、現状近づくことは難しく、整備も進んでいない。
  • また整備の段になったらご連絡をいただけるとのこと。


天香具山は「岩戸開の際に神々が眞榊及上石を採つたと云ふ傳説を持つてゐる」(長里 1940年)場所で、当地における天岩戸伝説の萌芽・成立がどのような実相であったかによって、これら岩石信仰や旧跡の歴史的位置づけも大きく変わってくることだろう。

(通説的に日本神話の高千穂のモデルは、鹿児島県・宮崎県境にそびえる霧島連峰の高千穂峰のほうが有力とされることに注意したい)


参考文献

  • 長里清『九州文化大観』日本文化研究会 1940年
  • 甲斐勝美『日向高千穂旧跡勝地案内』奈須機先堂 1917年


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