愛知県津島市神明町 津島神社境内
直径二メートル、一.四メートル、三メートル短径一メートル前後の滑らかな硬砂岩の自然石三個が、境内に巴状に置き並べられています。この三つ石は「尾張名所図会」の神社境内図にもほぼ現在の位置に描かれています。津島神社は欽明天皇元年(五四〇)にここ居森の地に鎮座したと伝承されており、古代祭礼の場としての磐境と考えられることから、神社の鎮座と何らかの関わりがあるのかもしれません。
(現地看板より)
『尾張名所図会』の該当の絵図を下に掲載する。
細かいことだが、「三つ石」ではなく「三ッ石」の表記であるため、歴史学的には本来的な名称として「三ッ石」を優先したほうが良い。
現地看板が記すように、たしかに本文には三ッ石の記述はなかった。絵図上だけの存在である。これは、三ッ石の伝承が当時すでに失われていて何も書けなかったのか、枝葉末節の存在のため省略されたのだろうか。
江戸後期から流行った各種名所図会において、絵図上には岩石名が注記されながらも文中では言及されない存在は他例でも見られる。
たとえば同じ尾張名所図会の例であれば、尾張本宮山には鷲岩穴明神社がまつられていて絵図上にも岩穴が描かれるが、神社の紹介に終始して岩石の説明はない。
だが、同時代の『尾張志』には、鷲岩穴明神社と共に別頁に鷲洞の名で登場し、巨石に穴が1つ開いているが人が入るには難しく、穴の深さは知れずと記され同一のものとされる。
一つの文献に記されなくても、別の文献には情報が記されるということは当然起こりうる。
このように、文献に記述がないからと言ってそれが当時すでに由来不詳だったと言い切れる証拠にはない。
三ッ石がどうだったかは、一つの文献からどうこう断言できず不明瞭とみなすのが適切な理解であり、ましてや「磐境」説は一つの可能性としてとどめて独り歩きに注意しなければならない。
あらゆる情報は記憶・記録となるから、それらが後代に忠実に伝存することが望まれる。本記事もそうありたいと思って書いた。三ッ石はこのことを教訓として教えてくれる。

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