2026年2月22日

日輪神社の「磐境」「太陽石」説(岐阜県高山市)


岐阜県高山市丹生川町大谷字漆洞


日輪神社は天照皇大御神を祭神とする。日輪宮という別称もある。
創立年代不詳ながら、本殿は宝暦4年(1754年)の建築ということはわかっており、市指定文化財である。

1938年、軍人の上原清二が『飛騨神代遺跡』を発表し、日輪神社は太古「ピラミッド」「弥広殿」と呼ばれる太陽祭祀遺跡だったという説を主張した。
日本ピラミッド説提唱者である酒井勝軍の講演会を聞いて感化された上原が、飛騨高山が太古日本の中心地であったということを説明する中で取り上げられたものと思われる。

日輪神社の社叢を里から見ると鋭角的な三角形の山容をもつため、これがピラミッド型と呼ばれる所以である。社殿裏山の尾根先端までの比高差は約100mと目される。

日輪神社の山容

上原『太古之日本』天之巻(1950年)・地之巻(1952年)の中では、日輪神社の社殿が建つ部分が平坦加工された拝殿部であり、背後の裏山には高さ約20mの円錐形の神殿部があり、この円錐形拝殿部はどこを掘ってみても川石が出てくることから、自然地形の尾根上に人工の山形を持ったものと述べている。
また、円錐形神殿部の頂上には、酒井勝軍で言う複葉内宮式(内側に方形の列石が巡り、外側に環状の列石が巡るというもの)の磐境の一部が現存していると記す。上原が現地を訪れた時、外円の列石は残っていなかったが、内方形の列石の一部が残っていたということである(同書の附図によると4個の岩石が存在)。

私が2009年に尾根頂上を確認した限りでは、1個の小ぶりの岩石しか目視できなかった。

日輪神社社殿と裏山

裏山頂上(丘陵尾根先端部)に確認できる岩石1個

磐境の中心に置かれていたとされる太陽石は、現在、本殿の傍にある約2mの岩石がそれであろうと上原は推測している。
これは現在も本殿向かって右脇に現存している。

本殿向かって右脇

太陽石と目される岩石(写真左奥のブルーシートは本殿工事中)

上原の聞き取りによると、この岩石はかつて裏山にあったもので、約40年前(著作の発表年から考えると1910年頃?)にここへ持ってきて、丸形の石であったがこれを割って土止めのために使用したとの話を紹介している。

社殿向かって右隅に、尾根の南側を巻くように歩ける踏み跡があり、その先にも「太陽石」がある。

太陽のマークを書いた道標。もう一つの太陽石への道筋を示す。

道標を歩いた先に存在する岩石。

岩石の表面には、金属で穿たれたであろう点線状の直線が2本残っている。石割りのための楔の跡と考えられる。

なぜ太陽石が2つあるのかわからないが、少なくとも上原の著作を読む限りでは本殿脇の岩石が元々の太陽石の残骸であり、この楔跡の岩石は後発の太陽石だと思われる。


いずれにしても、古来から地元で伝承されてきたという意味での磐境でも太陽石でもない。日本ピラミッド説という枠組みの中で語られた概念世界の岩石である。昭和戦前期の岩石信仰を取り巻く言説を今に伝える近代遺産であることは間違いない。


参考文献
上原清二『世界の神都 飛騨高山』八幡書店 1985年・・・上原清二の数々の著作を1冊の本にまとめたもの。『飛騨神代遺跡』『太古之日本』『神代遺跡実地調査報告書』ほかを所収。

社頭に置かれた岩石。盃状穴(杯状穴)のような穴が数箇所開けられている。

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