2026年1月10日

映画に出ます

2026年公開の映画「真人の世界 日本文化のカミ」のお知らせです。

須田真人監督による自主製作映画(非商業映画)です。2時間30分の映画で、章立ては下画像のとおりです。

映画パンフレットより


ドキュメンタリーパートとドラマパートからなる作品とのことで、吉川は当然ながらドキュメンタリーパートで登場します。

映画に出るとはいいますが、たぶん「都祁の国」か「石座のある岩倉」あたりで数秒~数分の場面だと思います(私が奈良市都祁と京都市岩倉を案内しました)。


どんな内容になっているのか、私も作品の全体は知らないので何とも言えませんが、ドキュメンタリーパートの他の出演者の肩書を見るかぎり錚々たる顔ぶれです。さまざまな角度から日本列島のカミを探ろうとした気概気迫が伝わります。

石が一つのキーワードになっているのは間違いありません。岩石信仰について私なりに話せることを話しました。


映画コンテスト出品を目的にされた映画と聞いており、全国どこでも見られる映画ではありません。

2026年2月28日(土)午後に京都市で試写会が催されます。私は仕事中につき見れませんが、当日ご都合がつく方は要事前申込の上で観覧いただけます。

ご興味のある方は下記サイトからご確認、お申込をお願いいたします。


映画公式サイト
https://www.mahito-sekai.net/


2026年1月4日

自然石祭祀遺構の資料化と分析

自然石祭祀遺構のデータ化を進めています。

考古学という物的側面から、自然石信仰を分析できることがまだあるのではないか、あきらめたくないという目的です。

製作途中なので一例を示しますが、座標データをGoogleマップにエクスポートすると下画像のようになります。

Googleマイマップより

1つ1つの事例に「時代」のデータも入力しているので、たとえば時代を絞ると

弥生時代の場合

古墳時代の場合

これは地図情報の見本でしたが、ほかの分析項目(変数)もデータ化しています。

前回の記事で触れた計量分析をかければ、これまで明らかにされなかった傾向が指摘できるのではという見通しを立てています。


自然石祭祀遺構とは何でしょうか?

自然石を祭祀した可能性が指摘されたことのある遺構です。


この名称の厳密さを定めるだけでも紆余曲折がありました。

この手の資料をまとめるのは2004年発表の「岩石に関わる祭祀行為―祭祀を考古学的に研究するために―」以来です。

あの時は岩石祭祀遺構と題して86例をリスト化しました。岩石祭祀遺跡と書かないのは、遺跡と書くと遺物を含み、祭祀用の石製品が出土した遺跡は膨大になるという思いからでした。

次に、岩石祭祀という括りではいわゆる環状列石、石室を構築する古墳・経塚・葬送祭祀、石仏や神像が彫られた石造物などを含みます。

以上の事例を含むと、僅少な自然石信仰の事例は埋もれてしまうでしょう。分析したい対象に注目するための絞り込みが必要でした。それで今回は自然石祭祀遺構としたわけです。


実際に事例を集計していくと、「自然石」の定義も存外奥が深く、考えざるを得ない分岐点が多くありました。その辺は語り出すと長いので研究として大成した時に文章にします。


そのような作業を経て、現時点で145事例を数えます。

2004年の86例より増えました。近年発掘された遺跡も含みますし、20年前と比べて手作業・目視以外で調べられる方法も増えましたので、それらの網羅的総計です。


それでも145事例です。

これは計量分析にかけるにおいて、まだ小規模データと言わざるを得ません。


前記事の議論を踏まえるなら、これを母集団とみなすか標本数とみなすか?

理念的には、これは「かつて存在した自然石祭祀の総体」において「現存した事例を数えたもの」という意味において、標本数とみなすべきでしょう。

とはいえ、これが母集団(存在したすべての自然石祭祀)における無作為抽出かというと疑問符が付きます。さまざまな理由により発掘調査の多かった場所、されにくかった場所から生じる偏りは間違いなくあります。


しかし埋蔵文化財の特性上、そのような限界がなくなり理念どおりにデータが揃う(=無作為に発掘される)時代は来ないと考えます。

ということで、その限界を認めつつ一歩を進める作業となります。

前提として145例を「現存する事例」の母集団と設定すれば、145例中の145例の分析は全数調査と言えます。

(そのうちの縄文・弥生などの「時代」で絞り込みをかけたものは無作為抽出ではないので結局、標本にはなりません)

全数調査は外れ値とも言えるような極端な事例の存在も含み、それを145例という規模で集計すれば凸凹とした事例に左右された分析結果となるでしょう。


それでも、それを明記して提示したいのです。なぜなら、今はそれ以前の「主観の意見表明」の段階を脱していないからです。
(縄文時代の巨石信仰は●●だねとか、古墳時代の磐座は●●県には多い少ないなど)


145例を「過去の歴史の表層に残った断片」と前置きして、定量化した基礎的研究を後世に提示しておくこと自体に意味を置いています。


それにしても、大学卒業と同時に一度手放した考古学の資料と、ここにきて差し向うことになりました。

まだ先の話ですが、困っているのは、これが形になった時に投稿できるような、適した考古学雑誌の縁がとっくにないことです。

私の所属学会が民俗学系と地質学系なので、今回のテーマが両方ともかみ合いません。

今ふりかえれば、お世話になった教授の退官記念論集に掲載するチャンスが数年前ありましたが、その時は研究のタイミングが合わず見送りました(記紀風土記と設楽町の研究中でした)。

考古学関係で良い投稿先がございましたらご紹介お待ちしています。


分析結果がどのクオリティになるかで、論文なのか研究ノートレベルなのかブログレベルでいいのかも、まだわかりません。

ただ、ブログの内容は私が死ぬ前に本にするつもりなので、まずはブログ以外の場所で残しておきたいです。

AI全盛とSNS時代の今、このブログ埋もれがちですし…


良い投稿先が見当たらなければ、実験的にAmazonのKDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)も視野に入れます。

私はAmazonに著者セントラルというページも持っていますし、KDPで論文や雑誌を発表されている実績も知っているので、選択肢の一つとして十分です。最終的に形にできる場所は確保できそうなので、後は分析作業を進めていこうと思います。


しばらくこの作業(統計学の学習と並行)に没頭するため、ブログの投稿数に影響する見通しです。

存在感がなくなりますが、やることはやっているので陰ながらお見守りいただき、ときどき様子を見にご訪問いただけましたら幸いです。


2026年1月2日

統計学まなびはじめ(『人文学のための計量分析入門』『基礎から学ぶ統計学』)

今後の研究に統計学的な手法を取り入れたいと思い、勉強をスタートしました。

クレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)

内容の忠実な要約とはなっていませんが、自分自身の申し送りとして以下にまとめました。


ーーー

・「しばしば」「一般的に」などの歴史叙述は「疑似定性的な手法」であり、単なる意見の表面で終わってしまう。

・歴史研究に有益な数量的手法を紹介。数学的原理、ソフトウェアの操作方法には触れず、使用する前の目的、注意点、落とし穴などに重点を置いた。

・統計学的に誤差の許容範囲を決めるのは標本数の大きさ。60,000人のうち1,000人でも、25,000人のうち1,000人でも、4億5000万人のうち1,000人でも誤差範囲は同じ。母集団における割合は関係ない。

・1,000人の標本であれば、誤差は通常許容される範囲にとどまる。標本の20%にある特性が認められた場合、母集団においての割合が19~21%の間に入る可能性は高く、15~25%に広げれば「ほぼ確実」である。

・しかし、歴史研究において1,000件の標本を用意することは難しい(他の標本と比較しようとすると2,000件)。歴史研究者は1つ1つの標本(事例)の多様な側面に関心を持つからだ。

・理に適った妥協点は300件の標本。300件中に見られる20%の特性は、母集団においても15~25%の間に収まる。

・事例収集の留意事項
①標本抽出の頻度より標本の大きさ(標本数)を重視する。
②小数点以下の記述は不要。それより有意差を記述。
③標本数は現実的な妥協点が300件で、1000件まで増やす分には誤差を減らすという点で価値があるが、それ以上は微小な誤差の修正となるので(母集団がいくつであっても)ほとんど意義がない。
④これらの標本は、無作為抽出されたものであること。

・無作為抽出は、表計算ソフトでRAND関数を用いればよい。特定の順番ごとに抽出するなどの手動抽出は偏りを生む危険が拭えない。

・百分率を表示する際の留意事項
①母集団の総数をNで示すこと。N>100の場合、小数点以下は不要。N>1000の場合、小数点は一桁で十分。
②百分率は比率であり、単純に足したり引いたりできない。10%から20%に増えた場合、増加率は100%でパーセンテージポイントが10ポイントである。

・分割表(ピボットテーブル)は、2つの変数(人物の年齢、書籍の長さ、訪問先の場所などの情報)に関係があるか、関係がないかを示すに有効。

・カイ二乗検定を行うと、分割表で注目した変数同士が、事例数の小ささゆえに偶然生じたのか、実際に関係性があるのかを、合理性に基づいた確信をもって述べることができる。

・オンライン上でカイ二乗検定を行える時代。百分率ではなく、事例の数を分割表に入力すると検定結果が出力される。p値(2つの変数が独立=無関係である確率)が5%未満であれば、慣例的に相関関係があるとみなされる。

・分割表とカイ二乗検定は、歴史学的な論証に強力な役割を果たすため、歴史研究者が学ぶべき最も重要な道具である。

・歴史研究者にとってデータ入力の時間は退屈ではなく、民俗学者や社会学者にとってのフィールドワークに比するものと言える。

・データ入力の十戒
①最初の一行は変数の見出しのみに使用。
②識別子に一列を使用。
③資料の表記にできるかぎり沿って入力。
④資料の典拠を示す。
⑤欠損データもデータとして残す。
⑥1つの情報に見えても、その情報を可能な限り多くの列に分割。(例)「姓名」→「姓」「名」など
⑦年月日はソフトウェアの日付形式を使わず、「年」「月」「日」の3列で入力。
⑧時間軸で情報が変容する場合、「何が起こったか」「いつ始まったか」「いつ終わったか」の3列以上で入力するエピソード形式が実用的。
⑨表計算ソフトでできる機能を使いこなせるようにしておく。
⑩データは頻繁に保存。

・数件から数十件しかない小さな母集団に対しては、論理学と集合論に立脚した質的比較分析(QCA)でアプローチする。

・少ない標本で大量の変数を取り扱う場合は因子分析でアプローチする。2つ、3つ程度の変数であれば因子分析は不要で、分割表とカイ二乗検定で十分。

・読みとりやすい図表を意識する。問題となりやすいのが円グラフ。人間は面を比較することが得意でなく、棒グラフで良い場合も多い。立体の円グラフなどは、遠近感による歪みで分かりにくくなるので、より悪い。男性の10%は色を識別することがうまくできないという研究もあるので、色付けでの識別も避けるべき。単純なほどよい。

・単純さという点で、スモールマルチプルは今なお有用。単純にグラフを連続して配置するだけなので、視覚的な比較が容易。

・棒グラフは、垂直方向より水平方向に表示が推奨。見出しが読み取りやすいため。1本の棒グラフに十数色の情報を詰め込むより、1つ1つの情報を棒グラフとして可視化して並べる方が理解しやすい。

・テキスト分析ソフトの使用は、主観や見落としを防止する。二つの用語が頻繁に近接すること、代名詞や前置詞の使い方、語彙の豊富さや貧弱さ、テキスト間の距離など、人が自明としてしまい読めていない傾向を浮かび上がらせる。そのためにはコーパスの構築が不可欠で、そのコーパスはソフトウェアの有意性検定にかける。

・数量的手法には過失や改竄の危険性が伴うが、数量的手法をとるということは、選択や手順を明確にしないといけない。仮説を明示し、その限界も考慮されないといけない。これらの前提が明示されるので、他の研究者がアプローチできるという意味で利点である。歴史学における直感や創造性を制限するものではなく、むしろ刺激することにつながると考えている。

ーーー


一読して得た知見をメモしましたが、前提知識が足らず、主に後半部は消化不良となりました。最低限、歴史学に携わるものとしてカイ二乗検定を扱えるようになりたいと思いますが、さらなる基礎学習の必要を痛感しました。

そこで、統計学の手始めの書を求めて次の本へ移りました。


中原治『基礎から学ぶ統計学』(羊土社 2022年)

しかし、p.9で本書の前提知識が示され、高校数学で学ぶ「確率」「場合の数」「数列」の知識が必要である旨が書いてありました。

あくまで基礎でよいとのことですが、私は高校2年生以降数学を学んでいない人間なので、ここで高校数学の学び直しを迫られました。こうやって、過去に逃げたことのツケをいつか払うことになるわけです。

実際に本書を読み始め、p.35の二項分布の節で数式が増えてきて足踏みしてしまいました。いったんここまでです。


ということで、統計学の前に数学A、数学Bまで立ち戻って学び直しています。テキストを手にしてまだ序盤も序盤ですが、はたしてどこまで理解できるやら。ハラハラしながら1ページずつ自学しています。

遠回りなことをしているように見えるかもしれませんが、最終的にたどりつきたいゴールがあります。そのために必要な知識にしばらく向き合っていきます。


2025年12月30日

石薬師寺の本尊石仏御開扉(三重県鈴鹿市)

三重県鈴鹿市石薬師町


東海道の石薬師宿の地名は石薬師寺(旧称・西福寺)に由来する。名のとおり、石の薬師を本尊とする。
縁起は以下のとおりである。

高富山石薬師寺

現地由来板

つまり、森の中で発光する自然石をまつったのが草創であり、その後、弘法大師により石肌に像刻されたという二段階の流れになっている。
自然石信仰に端を発して仏を感得したケースとして興味深い。


秘仏ではあるが、毎年12月20日のおすす払いの時に開扉されることを知り、2025年12月20日に拝観した。


写真撮影はできないので文章のみでの報告となるが、ご住職から直接案内をいただくことができた。

本堂奥だけ数段落ち込んだ空間があり、扉がすでに開いた状態で石肌が見えていた。暗がりの中、火でぼうっと灯された石仏の存在感は特筆すべきものがあった。

岩石の形状は幅広な立石状である。花崗岩ということで、全体的に白っぽい石肌には磨かれたような滑らかさがありつつ、花崗岩特有のざらざらした鉱物同士の等粒状組織も見せる。
高さ約2mとのことで、現状の床面の高さだと人の身長と同じくらいだが、かつてはもう一段床面を下げていたそうで、本尊を見上げるように拝むように設計されていた。

ご住職からは、もっと近くでご覧いただいて良いですよとお許しいただいたので、岩石と地面の接地面がどのようになっているのか注目した。
床面は砂利混じりの地面となっており、地表からそのまま岩石が屹立しているようだった。地表面に岩盤が露出している様子はなく、それは境内の本堂周辺を見るかぎりでも露岩とは無縁の地質に見えた。
(地質図上では堆積岩相となっている)

外から本堂下を観察するかぎりでは、境内はよく整備されており現状露岩地形ではない。

このように一見するかぎりでは、露岩のない場所に突如現れた異質な岩石に見えるが、縁起では金輪際(大地の底)から湧出した岩石ということで、地下に根を張る自然石としての信仰を伝えている。
仏教霊場において金輪際とつながる霊石の存在は、滋賀県石山寺、奈良県長谷寺など各地に見られる。これはそもそも、仏教書において仏菩薩の座する金剛座の地下は金輪まで続くという金輪際伝承が存在するからである。横田隆志氏『中世長谷寺の歴史と説話伝承』(和泉書院 2023年)によると、金輪際伝承の淵源はインドで4~5世紀成立とされる『阿毘達磨倶舎論』までたどれるという。


なお、境内看板では本尊石仏の写真が貼られている。ご住職によると「今は写真禁止とさせていただいている」との返答だったので、かつては写真が許容されていたのだろう。参考として掲載する。

境内看板

「平安時代後期の作」との説明が付され、いわゆる伝弘法大師の信仰ということになるが、この像容は薬師如来ではなく阿弥陀如来と考えられている。この辺りの造形評価については、石造美術の大家である川勝政太郎氏の記述を引いて結句に代えたい。

石薬師像のこの豊満な様式は平安時代後期をよくあらわすものといわざるを得ない。おおまかな衣文や面貌に女神像を思わせるものがある。まことにまれな古石仏である。ところが石仏の形相は来迎相の阿弥陀如来で、平安後期流行の仏であるが、後世里人の信仰は薬師に移って、いつか石薬師とよぶようになったのである。
川勝政太郎 著『石造美術入門 : 歴史と鑑賞』,社会思想社,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2514170 (参照 2025-12-30)


2025年12月19日

加野の鏡岩(岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市加野大蔵山


岐阜県指定天然記念物。チャート質の岩石が地滑りなどの地質活動によってこすれて、鏡面のような岩肌が作り出された。

交通量の多い車道脇の急斜面上にあり、入口にはフェンスが設けられ扉には鍵がかけられている。
事前に岐阜市教育委員会または所有者の方に申し出れば、鍵を貸していただいて見学できるようだ。



フェンス越しに岩盤が露出している様子は見えるが、鏡面は目視できない。

林宏「加野の鏡岩」(『鏡岩紀行』中日新聞社 2000年)によれば、鏡岩の平滑面は大きく、物をはっきり映し出すというほどではなく曇り気味なものの、鏡岩特有の輝きは依然としてあるという。
鏡岩の裾に年代不明の二基の句碑が残り、それぞれの句の内容から、岩の鏡面で髪の毛の乱れを直せるほど人の姿を映したことや、輝きを放っていたことが伝わる。

また、渡辺勝市『石ころ人生』(現代出版社 1974)によると、鏡岩の上に天狗をまつる祠があったと記されるが、鏡岩との関係性は不明である。それ以外に神聖視・信仰・祭祀を伝える記録は見当たらない。