2018年7月29日日曜日

岩窟・岩屋は信仰対象でしょうか?

先日、メールでお問い合わせを受けました。
メールで返信した内容をもとに、このブログでも共有します。

>三重県熊野市の「花の窟」に代表されるような、窟と名前がついているものは蔵や倉のような働きなのでしょうか?それとも神や仏と同列の信仰対象なのでしょうか?

「窟と名前のついているものは、すべて~タイプですよ」と言えないのが悩ましいところです。
一言で言えばケースバイケースです。

岩手県の平泉に、達谷窟毘沙門堂という場所があります。
堂の後ろには岩窟があり、そこは昔、この辺り一帯を支配したエミシの首長が住んでいた場所だといいます。
これを坂上田村麻呂が延暦20年(801年)に打ち破り、その戦勝記念に、田村麻呂がこの窟に毘沙門天を祀る堂を建てたというのが縁起です。

この場合、窟が神聖視されているかどうか、なかなか判断に苦しむ事例です。
エミシの首長を奉る人々がいたならば、そういった人々にとってこの窟は神聖視される場所だったことでしょうが、少なくとも寺側にとって窟は「討伐されるべき悪路王」たちの住処だったことを考えれば、窟は決して神聖視されるものではないでしょう。
討伐された後、仏化されるパターンもあるのでこの限りではありませんが・・・
敵地を討伐した田村麻呂伝説を現代の人の記憶にとどめるための、記念物としての岩石とも言えます。

またこれは、むかし旧HPの掲示板で書いたことのある話ですが、三重県名張市に千方窟という場所があります。
ここは藤原千方という逆賊が巣食っていた場所なのですが、討伐後、地元の人々によって千方明神としてまつられています。

達谷窟の場合は、賊のいた窟を覆うように「英雄」の坂上田村麻呂が顕彰されている形ですが、こっちの千方窟は賊である藤原千方が千方明神として神格化されています。

見る人の立場が違えば、類型は変わるというか、複数の類型を宿すというのが私の今の考えです。
信仰者でない私から見れば、達谷窟も千方窟も「名勝」ですしね。これも岩石に対する一つの見方。

話を戻して、お問い合わせの花の窟は祭神の墓所という位置づけなので、神が最終的に宿った岩という意味では、私が以前『岩石を信仰していた日本人』で提示した分類では「BAB類型 信仰対象が宿る施設――蔵・窟」が近いですね。
神の装置として選ばれたという点では、道具感が強い。
窟を信仰しているというより、窟の中に宿っている抽象的なもの(神観念)を信仰している。
岩石の視覚的要素は、その神格を盛り上げる装い的なものかなと。

同様に私が提示した「A類型 信仰対象」型は、元からその石が信仰対象である(信仰対象が入る前の歴史が想定されていない)意味合いがあり、これは目に見えない抽象概念よりも岩石自体の造形から発したものに当てはめたいところです。

でも拙著で書いた通り、このあたりの境界線はあいまいです。
あいまいな理由は、時代と人の立場によって、その類型が変化したり混ざり合ったりするからです。とくにそこから時間経過した現代ではどれか1つをピックアップしにくいから、一言で言いにくいのです。

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