2018年9月24日月曜日

切腹石(三重県四日市市)


三重県四日市市茂福町 蓮光寺境内

参考文献

『地区とみだ広報』第15号(1996年)

「慶応3年(1867)会津藩は王政復古を阻止するために先遣隊を京都に送った。この一行は富田西町の旅篭中島屋に9月12日に一泊した。この一行十数名の中にいた有賀新之助は、出発予定が13日になっていたので、その日、四日市に遊びに出たらしく帰らなかった。ところが急の連絡が入り、一行はただちに東海道を西に向かった。一行に遅れたために、新之助は庭に出て敷石に座して、主君に不忠を親には不孝を詫び、腹かき切って果てたのです。その敷石が蓮光寺の山門を入った正面の庭に納められ供養されている。」(『地区とみだ広報』)

この蓮光寺は現在場所を西の茂福町に移転しており、切腹石も移転先に移されている。

切腹石

旅篭から場所を二度移した石は、もとは庭の敷石だったが、おそらく事実と思われるこの出来事に接し、関係者に何を思わせたか供養されるべき石と変貌した。

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インタビュー掲載(2024.2.7)