2019年7月29日月曜日

天橋立・籠神社・眞名井神社(京都府宮津市)


京都府宮津市 天橋立

天橋立周辺には、多くの岩石祭祀事例が分布している。
歴史的な文脈はそれぞれ異なり全容を把握するのに難しいところもあるが、南から北へ紹介していこう。

身投石・陰陽石


天橋立の南東に「涙の磯」と呼ばれる海岸がある。

父親に叱られた子供が身を投げて死のうと思った場所とも、平家の落人である女が身投げした場所ともいわれ、その話を記憶する記念物として身投石がある。

身投石を含めて一帯の石は「陰陽石」として地元の人に珍しがられているという。

身投石

身投石周辺(陰陽石)


知恩寺境内の力石


天橋立の南端に、日本三大文殊のひとつといわれる知恩寺が建つ。

知恩寺の境内に、3個の力石が安置されている。
元々は力比べの道具だったものが、「触ると力と知恵がつく霊石」に変貌している。
歴史性を持つものは、ただそれだけで自ずと神聖性を帯びることを示している。



天橋立の「岩見重太郎試し切りの石」


天橋立を渡っていると「岩見重太郎試し切りの石」に出会う。

安土桃山時代、岩見重太郎が父の仇として三人の仇討ちを果たした場所が天橋立で、試し切りをした岩石と伝えられる。鋭角面を持つことからの付会か。

この話自体は祭祀と無縁だが、現在の岩石にはおびただしい賽銭がささげられている。
各人が願うものは異なれど、この伝説から様々な祈願が行なわれ、ただの岩石が史跡となり、さらに祭祀物となった。
この景観は、伝説の中身を知らない人も、すでに投げ込まれた賽銭が聖性を想起し、さらに新たな賽銭を呼ぶ視覚的効果もあるだろう。
岩石信仰における人々の心の動きを考えるにおいて興味深い。



籠神社の産霊岩(神生み岩)


籠神社の社殿向かって左隣に「産霊岩(むすひいわ)」と名付けられた、大小2つの岩石が寄り添っている。

看板には他に「一名 神生み岩」と書かれてあるだけで、具体的な来歴や性格は判然としない。

籠神社は天橋立の北端に鎮座する丹後国一宮として著名である。
元伊勢伝承の但波の吉佐宮の候補地としても有力である。

『元伊勢籠神社御由緒略記』(元伊勢籠神社社務所、初版1976年、五訂版2008年)によると、現在の主祭神は彦火明命(ヒコホアカリノミコト)。この神は高天原からこの地に降臨し、大和・河内・丹波・丹後などの国造りを行なった。
その子孫である海部氏が代々宮司を世襲し、現在で82代を数える。神の時代から連なる国宝指定の家系図を有し、彦火明命が高天原から携えてきたとされる神宝の「息津鏡」「邊津鏡」はそれぞれ前漢・後漢時代製作の伝世鏡である。

祭神・彦火明命は、彦火火出見命の弟である天火明命とも、彦火火出見命と同神であるともされる。
籠神社は元来、彦火火出見命を主祭神に祭っていたという説があり、社名の由来も彦火火出見命が籠船に乗って竜宮へ行ったという伝承に基づく。

また、彦火明命は大汝命(大国主命)の子であるとも、賀茂別雷神と同神であるとも、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命と同神であるとも、天照御魂神という名を持つともいい、さまざまな歴史の重層・変遷があったことを窺わせる。



眞名井神社の磐座群


籠神社から離れた山裾の地に眞名井原と呼ばれる場所があり、ここに奥宮の眞名井神社が鎮座する。
籠神社は元来当地に鎮座していたのが、養老3年(719年)に現在地に遷ったといわれる。

眞名井神社の主祭神は豊受大神で、雄略天皇22年(478年)に伊勢神宮外宮に勧請される前の鎮座地とされる。
また、祭神の豊受大神のまたの名を天御中主神・国常立尊・倉稲魂命(稲荷大神)とすることから、こちらも重層的な神の歴史があったことを窺わせる。

この眞名井神社には磐座群がある。
先述した祭神たち数柱を一つ一つの岩石に分祀しており、主祭神たる豊受大神の異なる側面の御魂を岩石ごとに分霊祭祀しているかのようである。
また、岩石自体が神の名前で呼ばれているものもあり、磐座といいながらもその実は石神としての性格と混然一体になっている面もある。

眞名井神社社殿。その背後に磐座群をまつる石鳥居が見える(2008年時点)

境内神域に標示された「真名井原 神体山」の石碑。

神体山への社叢は「禁足」(2008年時点)


従来、磐座群の背後からは「神体山」として禁足地になっている一方、この磐座群は目の前で拝むことが許されていた。
それが2013年、磐座の上に登るなどの不敬行為が相次いだことに神社は心を痛め、磐座群の手前に垣を建て、磐座群に近づけない処置と、写真撮影禁止の対応をおこなった。

大多数の善良な人々にとっては悲劇であるが、我欲に囚われた人々が一部だったとしても、信仰を守ってきた人々への歴史を軽視したのだから被るべき当然の帰結と言って良いだろう。我欲が走りすぎると、全国各地の聖地も早晩同様の処置が行われるだろう。
ブームを先導する現代宗教者たちの歴史リテラシーが求められている。

立入禁止・撮影禁止以前の2008年、私は真名井神社の磐座を訪れて写真撮影をしている。
今となっては貴重な記録になると思われるので、最後に各磐座の記録を残しておきたい。


本殿背後のマウンド(眞名井神社経塚)


眞名井神社の本殿背後に少し土が盛り上がったマウンドがある。
マウンドは樹木が繁茂し、マウンドの周囲には小石が人為的に集められ、土盛りを固めている。
そして、マウンドの手前には2体の岩石が露出しており、2基の鳥居と石碑が付設されている。

マウンド(奥に見えるのは本殿)
天御中主神の碑

天照大神の碑

向かって右側の岩石は、天御中主神の石碑が立つ。
向かって左側の岩石は、天照大神の石碑が立つ。

『元伊勢籠神社御由緒略記』も参照してみよう。
同書によると、右側の岩石は「磐座主座(上宮)」で、豊受大神の磐座とされる。
左側の岩石は「磐座西座」で、天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神の磐座とされる。
左側の岩石は別称で「鶺鴒石」「子種石」「日之小宮」があり、天照大神出生の地であるとも伝えられている。

磐座西座。石碑の裏に鸚鵡石・子種石・日之小宮などの一名が刻まれる。


先述のとおり、豊受大神は天御中主神と同神であるという眞名井神社の伝えを綜合すると、右側の岩石は天照大神を主とした磐座で、左側の岩石は豊受大神を主とした磐座であると理解できる。

眞名井神社本殿の背後約3.6mの地点の地中深さ約0.6mの地点から、文治5年(1189年)の銘を有する銅製経筒が銅鏡・刀子などと共に出土した。これを眞名井神社経塚と呼んで埋蔵文化財指定されている。

本殿の背後にあるのは、この磐座主座・磐座西座であり、これこそが眞名井神社経塚でもあるということになる。

磐座主座。写真手前に石で覆われたマウンドがある。


大場磐雄氏『楽石雑筆』巻八(昭和3年)に本遺跡の詳細が記録されているので以下、重要部分を引用しておく。

  • 籠神社の社殿営造にあたり、摂社真名井神社背後より種々の遺物を出し、且つ巨石遺跡らしきものあることを発見
  • 本殿北(背)約二間のところに一巨石横たわれり、花崗岩質のものにて二個に割れたれど、もとは一なりしが如し。又現在は横に長くたおれたれどおそらくは立てるものの如し。
  • 俚俗鸚鵡石又は子種石と称してシメをはり、信仰を有せり。然るに本年(注:昭和三年)九月この石の前を発掘せるに地下(腐ショク土)一尺五寸より二尺程のところより磨石斧、石器(未製石鏃か)、土器片、陶器片、鉄器片、砥石、右の各種遺物を出土せり、然して層位的には土器を上としてその下に砥石鉄器片にして石斧石鏃は最も下より出土せりという。磨石斧、石器未製品、砥石はいずれも石器時代遺物として疑いなきもの、土師器片は所謂土師器にて手捏式のもの、陶器は渦文を内に有する朝鮮土器の破片なり
  • 巨石と隣りあいし東よりにマウンドあり、やはり石を以て築く中より九月二十一日秘密に発掘せしに経筒(青銅製)二本、和鏡(藤原期)四面、前出と同様の土器片及び経塚時代の壺が出土せり

磐座主座・磐座西座の巨石は花崗岩質で、元は一つだっただろうことを指摘している。
それは左右の石の断面を見れば首肯できるが、さらに突っ込んでいるのは、今は横に寝ているが元は立っていたのではないかという推測である。これは賛否あるだろう。

そして、大場博士はこの籠神社の記述で「磐座」という用語を一度も使わず、鸚鵡石・子種石の名称のみを紹介していることも注目したい。現在の「磐座」名称に先行しているのが鸚鵡石・子種石という可能性が浮上する。

その鸚鵡石・子種石の地下と、東隣のマウンドの二ヶ所から遺物が出土したことが明記されている。

発掘状況は時代状況もあり又聞きであるが、大きく上層に土師器、中層に鉄器、下層に石器という構造を記録している。
鉄器片は布の付着痕があり、推定だが鉄製経筒の一部ではないかと大場博士は記しており、ならば上層~中層は平安時代~鎌倉時代の遺物と考えられる。
一方、下層の石器群は弥生時代を想像させるが、未製品もあるということで祭祀性への疑問と、生活痕と見るべきか、はたまた、後世の人々が地中から出た石器を神代の宝として再埋納したものなのか、など可能性は広がる。


鹽土老翁の磐座群


マウンドの周囲にも、さまざまな岩石がまつられている。

境内最奥部に、磐座群と共に石碑が林立している。
鹽土老翁(シオツチノオジ)を示す石碑には「大綿津見神」「亦名 住吉同体」「亦名 豊受大神」とある。
住吉の海神と大綿津見神を関連付けたほか、大綿津見神・豊受大神と同神であるとも記す。

宇迦之御魂(稲荷大神)の磐座もあるが、先述のとおり、稲荷大神は豊受大神と同神であると神社が伝えることから、これも豊受大神の一御魂を崇めるものと言える。

鹽土老翁・宇迦之御魂

熊野大神

愛宕大神

道祖神


産盥


水を溜められる窪みが、岩石の上面にできている。
詳細不明だが、天照大神が出生したという神跡に関わるものか。




名称不明の岩石祭祀事例


これは看板もなく名前もわからないが、周囲を柵で囲い、特別な岩石であることには疑いない。



天の真名井の水


境内入口に「天の真名井」の霊水があり、岩を組んで水が流れている。
主役は水だが、水が発する元を岩石に拠っているところに、意識的にせよ無意識的にせよ、岩石と水の親和性について論じずにはいられない。



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