福島県本宮市和田東屋口
読みは「いわつのさんがんかくじ」のほか、「いわづのさんがんかくじ」「いわづのやまがんかくじ」も見られる。
慈覚大師が岩角山の麓に来ると、たくさんの光がこの山に集まり紫雲がたなびき、尊天が現れた。ここが霊場だと悟った慈覚大師は仁寿元年(851年)に岩角寺を開基、貞観2年(860年)に毘沙門天を本尊として安置したという。
岩角山は標高337mの里山だが、全山に花崗岩の侵食風景が広がり、低山と思えない深山幽谷の趣を醸し出す。福島県指定名勝および天然記念物。
A.岩窟弁天
B.稲荷
C.懐胎石(抱きつき石)
D.那智観音堂
E.奥ノ院
F.羽山(羽山祠跡)
G.鬼面石
H.体内(胎内くぐり)
I.丹羽公 遥拝石(展望台)
J.奥の院東斜面
K.薬師堂
L.地獄道
M.坐禅石(たたみ石)
N.天狗腰掛石
O.天の岩戸(祈りの窟)
P.腰掛石(和労 休息石)
Q.四寸途
R.胎内くぐり
S.舟石
T.賽河原
U.三山(三山祠跡)
V.座禅石
W.抱き込み杉
A.岩窟弁天
岩窟弁才天。
岩窟の中に寺宝の「岩角」がある。長さ75cm、太さ15cm。
「岩角山の名 此々より起る」
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表側 |
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裏側 |
B.稲荷
山中の奇岩怪石には三十三観音が刻まれ、近世の山岳仏教者と修験者の歴史を残す。
E.奥ノ院
奥ノ院 阿弥陀堂。鎌倉時代の建築。
巨岩に取り囲まれた奥ノ院。
奥ノ院背後の巨岩には「キリーク(阿弥陀如来・千手観音)」「ベイ(薬師如来・毘沙門天)」の梵字が刻まれている。
G.鬼面石
明治時代の絵図によると、羽山の裏の斜面に人の顔のような鬼の顔のようなものが描かれ、そこに「鬼面石」と記されている。現地では特定できず。
H.体内(胎内くぐり)
現在は「胎内くぐり」の名称。明治の絵図では「体内」とある。
願かけ通路で、縁結びにご利益あり。修験者にとってはどうだったか。
I.丹羽公 遥拝石(展望台)
丹羽公とは、二本松藩主の丹羽光重(1615~1695)のこと。
光重は当時荒廃していた岩角寺を保護し、再興した。
岩角山の中で最も麓の眺望が良く、西方には安達太良山(標高1699m)も望むことができる。
おそらく安土桃山時代にあったとされる岩角城は、ここの麓の眺望の良さ、山中の奇岩怪石を自然の城塞としたのだろう。城というよりは砦という表現がイメージしやすい。
J.奥の院東斜面の聖観音
E.奥ノ院の東側に落ち込んでいる山腹斜面上に、名もなき巨岩が転がらずに立ち止まっている。
オムスビ形で、ゆうに10m以上の高さはある。スケール感だけで言うならこれがナンバーワン。
第二十六番観音の聖観音が刻まれている。
K.薬師堂 L.地獄道
岩の懐に抱かれた薬師堂。
堂の後ろの巨岩には「ベイ(薬師如来)」の梵字あり。その奥は地獄道。
M.坐禅石(たたみ石)
明治初期まで、この石の上で瞑想や坐禅などの修行が継続されていたという。
薬師堂を中心とするこの一帯は、自然が織り成す岩の塀に取り囲まれていおり、行場としての空間感は申し分ない。
N.天狗腰掛石
第十七番観音と第十八番観音の手前にある岩石。
O.天の岩戸(祈りの窟)
「祈りの窟」という別称から、自然の亀裂からできた室状空間を行場としたものと推測される。
P.腰掛石(和労 休息石)
現在の名称は「和労 休息石」。明治の絵図では「腰掛石」。
誰が腰掛け、休むものなのかは詳らかではない。
Q.四寸途 R.胎内くぐり
四寸途と名付けられた、岩と岩の間にできた細い道を通ると、「胎内くぐり」に到達する。F.体内(胎内くぐり)と同じ名を持つ。
胎内くぐりは、さらに「男胎内」「女胎内」の2つに分かれる(明治の絵図では男体内・女体内の表記)。
間に差し渡し挟まれた岩石など、100%自然のままなのだろうか。
S.舟石 T.賽河原
胎内くぐりを越えると出会う光景。
舟石については「雨乞い祈願霊石」と解説されている。
また、明治の絵図によればこの辺りを賽河原と呼ぶ。
U.三山(三山祠跡) V.座禅石
第二十三番観音が線刻されている巨岩。
かつて、この巨岩の上に三山祠があった。
同時に、第二十三番観音の背後には「座禅石」があると岩角山入口の看板に記載がある。明治の絵図には記載がなく、現場に来ても一切の案内板もないが、位置関係から考えて、この三山祠のあった巨岩自体が座禅石だと推測される。
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