2019年7月28日日曜日

岩角山岩角寺(福島県本宮市)



福島県本宮市和田東屋口

読みは「いわつのさんがんかくじ」のほか、「いわづのさんがんかくじ」「いわづのやまがんかくじ」も見られる。

慈覚大師が岩角山の麓に来ると、たくさんの光がこの山に集まり紫雲がたなびき、尊天が現れた。ここが霊場だと悟った慈覚大師は仁寿元年(851年)に岩角寺を開基、貞観2年(860年)に毘沙門天を本尊として安置したという。

岩角山は標高337mの里山だが、全山に花崗岩の侵食風景が広がり、低山と思えない深山幽谷の趣を醸し出す。福島県指定名勝および天然記念物。



A.岩窟弁天
B.稲荷
C.懐胎石(抱きつき石)
D.那智観音堂
E.奥ノ院
F.羽山(羽山祠跡)
G.鬼面石
H.体内(胎内くぐり)
I.丹羽公 遥拝石(展望台)
J.奥の院東斜面
K.薬師堂
L.地獄道
M.坐禅石(たたみ石)
N.天狗腰掛石
O.天の岩戸(祈りの窟)
P.腰掛石(和労 休息石)
Q.四寸途
R.胎内くぐり
S.舟石
T.賽河原
U.三山(三山祠跡)
V.座禅石
W.抱き込み杉


A.岩窟弁天


岩窟弁才天。
岩窟の中に寺宝の「岩角」がある。長さ75cm、太さ15cm。
「岩角山の名 此々より起る」

表側
裏側



B.稲荷


山中の奇岩怪石には三十三観音が刻まれ、近世の山岳仏教者と修験者の歴史を残す。



E.奥ノ院


奥ノ院 阿弥陀堂。鎌倉時代の建築。
巨岩に取り囲まれた奥ノ院。
奥ノ院背後の巨岩には「キリーク(阿弥陀如来・千手観音)」「ベイ(薬師如来・毘沙門天)」の梵字が刻まれている。



G.鬼面石


明治時代の絵図によると、羽山の裏の斜面に人の顔のような鬼の顔のようなものが描かれ、そこに「鬼面石」と記されている。現地では特定できず。


H.体内(胎内くぐり)


現在は「胎内くぐり」の名称。明治の絵図では「体内」とある。
願かけ通路で、縁結びにご利益あり。修験者にとってはどうだったか。



I.丹羽公 遥拝石(展望台)


丹羽公とは、二本松藩主の丹羽光重(1615~1695)のこと。
光重は当時荒廃していた岩角寺を保護し、再興した。

岩角山の中で最も麓の眺望が良く、西方には安達太良山(標高1699m)も望むことができる。
おそらく安土桃山時代にあったとされる岩角城は、ここの麓の眺望の良さ、山中の奇岩怪石を自然の城塞としたのだろう。城というよりは砦という表現がイメージしやすい。


J.奥の院東斜面の聖観音



E.奥ノ院の東側に落ち込んでいる山腹斜面上に、名もなき巨岩が転がらずに立ち止まっている。
オムスビ形で、ゆうに10m以上の高さはある。スケール感だけで言うならこれがナンバーワン。
第二十六番観音の聖観音が刻まれている。



K.薬師堂 L.地獄道


岩の懐に抱かれた薬師堂。
堂の後ろの巨岩には「ベイ(薬師如来)」の梵字あり。その奥は地獄道。




M.坐禅石(たたみ石)


明治初期まで、この石の上で瞑想や坐禅などの修行が継続されていたという。
薬師堂を中心とするこの一帯は、自然が織り成す岩の塀に取り囲まれていおり、行場としての空間感は申し分ない。




N.天狗腰掛石


第十七番観音と第十八番観音の手前にある岩石。




O.天の岩戸(祈りの窟)


「祈りの窟」という別称から、自然の亀裂からできた室状空間を行場としたものと推測される。




P.腰掛石(和労 休息石)


現在の名称は「和労 休息石」。明治の絵図では「腰掛石」。
誰が腰掛け、休むものなのかは詳らかではない。


Q.四寸途 R.胎内くぐり


四寸途と名付けられた、岩と岩の間にできた細い道を通ると、「胎内くぐり」に到達する。F.体内(胎内くぐり)と同じ名を持つ。

胎内くぐりは、さらに「男胎内」「女胎内」の2つに分かれる(明治の絵図では男体内・女体内の表記)。
間に差し渡し挟まれた岩石など、100%自然のままなのだろうか。



S.舟石 T.賽河原


胎内くぐりを越えると出会う光景。
舟石については「雨乞い祈願霊石」と解説されている。
また、明治の絵図によればこの辺りを賽河原と呼ぶ。



U.三山(三山祠跡) V.座禅石


第二十三番観音が線刻されている巨岩。
かつて、この巨岩の上に三山祠があった。
同時に、第二十三番観音の背後には「座禅石」があると岩角山入口の看板に記載がある。明治の絵図には記載がなく、現場に来ても一切の案内板もないが、位置関係から考えて、この三山祠のあった巨岩自体が座禅石だと推測される。


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