2019年7月8日月曜日

日光滝尾神社と滝尾道の岩石信仰(栃木県日光市)


栃木県日光市山内 滝尾神社

滝尾(たきのお)神社は、日光三社権現(日光二荒山神社本社・本宮神社・滝尾神社)の一つとして知られる。
女峰山(標高2483m)に、祭神の田心姫命が降臨したといわれ、その麓に滝尾神社がまつられた。

日光三社権現の中では最も山奥に鎮座し、ひっそりとした参道を進んだところにある。
しかし、日光東照宮の鎮座以前は参詣の中心地だったとされ、盛時には五百坊にも及ぶ院々僧坊が立ち並んでいたとも伝えられる。

日光東照宮より滝尾神社に至る参詣道を滝尾道と呼び、この道沿いに複数の岩石祭祀事例が見られるのでまとめておきたい。

仏岩・陰陽石

仏岩

仏岩

滝尾道の途上、日光の地を開山した勝道上人をまつる開山堂がある。

その背後に仏岩と呼ばれる岩壁がそびえる。
岩壁の頂部に岩峰状の突起が並んでおり、それを仏と見立てたことにちなむといわれるが、いつの時代かに崩落したようで今はその突起を確認できない。
その代わりに、岩壁の前に6体の仏を並べ、そのよすがを伝えている。

仏岩の上部にはかつて勝道上人の遺骨を納めたといい、その後、日光東照宮を建てた時に仏岩の下に移され、当地には墓所と開山堂が作られたという。

開山堂と並んで観音堂があり、その左手に陰陽石と呼ばれる2体の石があるが探訪当時知らず見落とした。


北野神社

北野神社

北野神社から仏岩を撮影


仏岩の近くに、江戸前期、菅原道真を勧請した北野神社がある。
石祠の背後に岩塊を置き、その表面に天満宮の神紋を刻印しているという特殊な形態をもつ。
神社の神域を構成する磐境のごとく景観演出されている。


手掛石(てがけいし)

手掛石

北野神社の近くに手掛石がある。
田心姫命が手を掛けたという岩石。
北野神社を参った後にこの石に手を掛けると字がうまくなるとも、学力向上するともいい、北野神社と関連する岩石信仰を伝えている。

「手欠け石」の別称もあり、手で石の一部を欠き、そのかけらを神棚に供えると学力向上するという祭祀もかつてあったようだ。
時代の流れもあり、 現在は岩石を欠ける行為は控えられていると言えるだろう。


影向石(ようごうせき)

影向石

影向石(背面から)

川を渡り、滝尾神社の境内に入ったばかりのところに影向石がある。

弘仁11年(820年)、弘法大師が田心姫命と出会った場所とも、後年、勝道上人が地蔵尊と出会った場所ともいわれる。
磐座の仏教版解釈とも言える「影向」のスタンダードな祭祀事例であり、滝尾神社の神の最初の顕現地としての聖跡であるとも評価できる。


運試しの鳥居

運試しの鳥居。額束に穴が開いている。

運試しの鳥居は、元禄2年(1689年)に奉納された石鳥居である。
額束の部分の丸い穴を開けられている。
石を三回投げ、この丸い穴に何回通ったかで運を占う。
立派な岩石祭祀と言える。


無念橋

無念橋
三本杉


境内にかかる無念橋を渡ると、俗世と縁を切り、最も神聖な場といわれる三本杉に至る。
三本杉越しに、遥か遠くにそびえる女峰山を遥拝する。

無念橋は、聖域を区画する石橋という働きをもつ岩石祭祀施設である。
また、無念橋を自分の齢の数で渡りきると、女峰山まで登りきった分の霊験が得られるといい、願い橋とも呼ばれている。


子種石

子種石

滝尾神社の最奥部に子種石がある。
岩塊の上部および周囲に、所狭しと無数の礫石が積まれている。
子宝安産の霊験を有する子種権現としてまつられてきたといい、積み石の量がその信仰の激しさを物語っている。
石自体が子種の神として神格化しており、石神と呼んで差し支えないだろう。


未見だが、滝尾道に入る前の四本竜寺にも聖なる岩石がある。
一つは、勝道上人が玄武・青龍・朱雀・百虎の霊気(四雲・紫雲)に出会い、日光開基の契機となった四本竜寺紫雲石。
もう一つは、勝道上人が笈をおろしてかけたという笈掛石がある。

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