2019年7月14日日曜日

箱根山の岩石信仰(神奈川県足柄下郡箱根町)


神奈川県足柄下郡箱根町

箱根山祭祀の変遷


第5代孝昭天皇の代、箱根山の最高峰である神山(標高1438m)をまつるため、聖占仙人が神山の南にある駒ヶ岳(標高1356m)に神仙宮を建てたのが箱根山祭祀の始まりとされる。
そのあと利行丈人・玄利老人は、神山を天津神籬、駒ヶ岳を天津磐境と定めた。神籬は祭祀対象、磐境は祭祀をする場を指すのだろう。

孝謙天皇の代、神託により萬巻上人は祭祀の場を駒ヶ岳南麓の芦ノ湖岬に場所を移し、これが現在の箱根神社といわれている。

駒ヶ岳(左手前)と神山(右奥)


馬降石・馬乗石


駒ヶ岳の山頂には箱根元宮(これは昭和39年の創建)が建ち、その手前に5体の安山岩が集まっている。
このうちの2体の岩石は、それぞれ「馬降石(ばこうせき)」「馬乗石(ばじょうせき)」と呼ばれている。

馬降石は神が白馬に乗って降臨した場所といわれ、石の表面に開いている窪みはその白馬の蹄の跡と伝えられている。
蹄跡には常時水が溜まっており枯れたことはないという。蹄跡に降り積もる雪の形状で、その年の作物収穫量を占うという儀礼もあったらしい。
 また、現在は磨耗していて確認が難しいが、石の表面にはいつの時代かに刻まれたとされる馬形の線刻がある。

馬降石の手前には、地主神の駒形権現(祭神:国狭槌尊。本地仏:大日如来)の石祠が鎮まる。

駒形権現と馬降石と箱根元宮
馬降石

馬降石

馬降石の窪みに溜まる水


馬乗石は馬降石の向かいにあり、現在は岩石の上に石碑が立てられている。名前からして先ほどの白馬の聖跡だろうか。

馬乗石


駒ヶ岳山頂祭祀遺跡


この5体の岩石群周辺ではかねてから土器・古銭が採集されていた。
そこに、箱根元宮の社殿建立工事が持ち上がったことから、馬降石・馬乗石の保存に影響が出ると懸念されたことから、昭和39年に岩石群の周囲及び南斜面で発掘調査が行なわれた。
この調査結果を報告しているのが、坂詰秀一氏「駒ヶ岳山頂遺跡の調査」(箱根町誌編纂委員会・編『箱根町誌 第一巻』角川書店、1967年)で、本ページではこの論文の内容をかいつまんで紹介していこう。

1.出土遺物の種類

・土師器
ほとんどが破片の状態で出土。また、形式は全て坏だった。
口縁部の内側に油脂の付着しているものが見つかり、このことから祭祀時の灯明皿として用いられたものだと推測されている。

・古銭
宋銭と寛永通宝が出土。宋銭は僅かな量。
賽銭として使用されたものと推測される。宋銭の国内流通は平安末期まで遡るが、賽銭としての性格上、本遺跡における宋銭祭祀使用時期は後世になると考えられる。

・鉄釘
断面正方形の古式釘であり、木造建築物の建材として使用されていたと考えられることから、この場所に木造の社殿あるいは祠が造られていた可能性がある。

2.出土状況と時期

土師器・古銭・鉄釘は基本的に自然堆積による埋没。
ただ、馬降石の南西斜面の第2トレンチ西端(調査区域の最西端)から出土した土師器群は、一括廃棄したかのようである。使用済みの灯明皿を祭祀場から離れたところに捨てたものと推測される。
これらの出土遺物の使用時期を特定することは難しいが、中世の仏教寺院に同様の遺物組成、使用方法、廃棄方法を持つ事例が見られることから、中世(平安時代までは遡らず、江戸時代まではほぼ下ることがない時期)の祭祀遺跡と考えられる。

3.岩石群の状況

A・B・C・D・Eの5体の岩石があり、Aが馬降石、Bが馬乗石。
A・B・Dは自然のままのようであるが、C・Eは人為的に運搬・設置された感が強い。
馬降石に彫られた馬形は、江戸時代末期の辺りであろうか(根拠は明記されていない)。

A~D(北から撮影)
D・E(南から撮影)。Dは笹の茂みに埋もれていてよく分からない。

4.古文献の記述

『吾妻鏡』の中には、仁治2年(1241年)7月3日から7月18日まで、隆弁が箱根山般若峰(駒ヶ岳)に参り読十六会をしたという記述があり、このことから当時何らかの堂宇あるいは祠があったことが想定される。
出土鉄釘が使われていた建造物がこれではないか。


「駒ヶ岳山頂古代祭祀遺跡の岩垣」


箱根元宮の北側には、下写真のような光景が広がっている。




箱根神社公式サイトによれば、ここは10月24日の御神火祭が執り行われる祭場で、「駒ヶ岳山頂古代祭祀遺跡の岩垣」と銘打たれている。

しかし、駒ヶ岳山頂遺跡として遺跡指定を受けているのは、あくまでも馬降石・馬乗石を中心とする5体の岩石群のエリアのみであることに注意したい。
この「駒ヶ岳山頂古代祭祀遺跡の岩垣」からは「古代」の遺物はおろか、そもそも遺物の出土自体を聞かない。

御神火祭の由来自体も、世界平和祈願というスケールの大きいお題目を掲げている。祭りの起源もそこまで古くはなさそうだ。

現地に転がっている岩石も、何だか建材用のブロックが無造作に散らばっている雰囲気で、正体はよく分からないが「造られた感」がする。古代祭祀とは無縁のものと思われ、それは遺物の出土ポイントが何よりも示している。


箱根の七名石

馬降石・馬乗石は、箱根の七名石だという情報がある。

看板の文末に「箱根名石」「七名石」とある。


箱根山に七つの石があるということだが、それ以上の情報がわからない。

馬降石・馬乗石で七石の1つとするのか2つとするのか、そこからはっきりしていない。
箱根山にあと5つ~6つの名石があるという話だが、ご存知の方がいらっしゃったらお教えください。


箱根神社の岩石祭祀事例


箱根神社境内でこのような看板を見かけた。


「獅子石」「舟繋石」と書かれた場所がある。

『新編相模風土記稿』(1841年)所在の絵図として紹介されており、そこには箱根神社境内の役行者堂近くに「獅子石」、護法院近くの湖畔に「舟繋石」の2つの岩石名を確認することができる。
しかし神仏分離の影響もあり、この絵図と現在の箱根神社の状態は様変わりが激しく、どこのことやらさっぱりで見つけることはできなかった。

最後に、芦ノ湖岬の「賽の河原」を紹介しておこう。
鎌倉~江戸にかけて多数の石仏・石塔が集め置かれ、水子供養・地蔵信仰の場となったということである。

賽の河原



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