2020年1月6日月曜日

筥石神社の箱石と陰陽石(女石・男石)(長野県駒ケ根市)


長野県駒ケ根市東伊那

「鎌倉時代に『箱石』と記録され、領地の境界石として目ざされており、地域周辺では当時、有名な石であった」
「『箱石』の上には、『男石』『女石』と呼ばれてきた性器形の大自然石がある。子宝を授ける神として篤く信仰されている」(現地看板)

現地には「筥石神社の陰陽石」と題して看板が立ち、上記のとおり由来が整理されている。

しかし、それ以上の情報がなかなか出てこない場所で、そのためか巨石・磐座の書籍でもあまり取り上げられることが少ない。
『駒ヶ根市誌 現代編』下巻(1974年)には「筥石社」として掲載されているようだが私は未読である。

現地は、天竜川沿いの大久保という地区にあたり、川と山に挟まれた集落の中に岩が群れている。

筥石神社と手前を流れる天竜川

箱石
社殿の背後にそびえる岩塊が、社名の由来となった箱石である。

箱石の上に男石・女石があるという。
箱石の横を迂回するように斜面にとりつくことができる。

箱石の頂上
下から見ても箱形の岩塊だったが、頂上に登るといっそう「箱」感が際立つ。
直方体状に割れた岩石が、箱石の上に乗っかるようにゴロゴロしている。

箱石の先端部

箱石の先端には、特別に注連が張られた場所が一区画あり、それが男石・女石、つまり陰陽石を指す。

女石

男石

陰陽石の造形が自然の産物か、手を入れて祭祀化したものかは判別できない。

箱石の上だけでなく、その周辺には大小の露岩群が分布している。

箱石に隣接する露岩群
境内の石碑・石塔群

帰宅後にわかったことだが、筥石神社からすぐ南東の善福寺にも「巨石群」があるらしい。
この山帯が露岩を多く有する山なのだろう。

鎌倉時代以前の箱石の歴史は想像を巡らせるしかないが、この地区に人が居を構えてムラとなったからには、人々の紐帯として産土神が必要とされ、それが筥石神社だった。

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