2021年1月8日金曜日

敢国神社の黒岩/大石明神(三重県伊賀市)


三重県伊賀市一之宮字大岩


伊賀国一宮の敢国神社境外摂社として、「黒岩」をまつる大石社が鎮座していたが、採石で破壊され現存していない。黒岩の周辺一帯を調査したところ、古墳時代の祭祀遺物が見つかり、大岩遺跡としてその名を残す。

大場磐雄「伊賀国南宮山麓の上代祭祀遺跡」(『神社精神文化』第3輯、1939年)に本遺跡の詳細が報告されているので、本論文を参照しながら紹介していこう(『神道考古学論攷』葦牙書房、1943年所収版を参照した)。

現・大石社(敢国神社境内)

黒岩の場所について


敢国神社から西南約3~4町の小字大岩にあったという。

地理的には、南宮山(通説的に敢国神社の神奈備山に擬されることが多い)の西麓傾斜面の末端にある岩だったと報告されている。

黒岩の場所から山道を隔てた所に小さな池があり、池のほとりに立つと南宮山と遥かに伊賀盆地を拝める「眺望捨て難き」場所だという。


黒岩の文献記録


『三国地誌』には、大石明神祠の名前で登場する。
丘陵上の大石を俗に黒巖と称したと記される。

『敢国拾遺』には、黒岩の名前で登場する。
接する池の名を西池と呼び、その西池の上に黒岩があると記す。
そして、黒岩には弥勒の像が刻まれていたと貴重な情報が残っている。


黒岩の現況


大石社が遷座した後、岩石採掘工事が行われ、その時に黒岩は破壊され「往時の状態を見ることの出来ない」と書かれている。

大場博士はこの黒岩の旧地を踏査報告している。
南宮山の裾が西に延びてそれが終ろうとする傾斜変換点の松林の中だったそうで、黒岩はないものの、現地には周囲に片麻岩の露頭とそこから剥落したと思われる白砂が確認できたという。


大岩遺跡の調査結果


黒岩消滅後、近くを通る道路の拡幅工事が行われ、その際黒岩付近において古墳時代の祭祀関連と目される遺物が見つかったという。

正式な発掘調査を伴う発見ではなかったようなので図面は起こされていないが、大場博士は出土品の収蔵先へ行きそれを実見・記録している。

土器は高坏3点・盌3点・坩2点で、いずれも手づくねの小型土器ということから、非実用の祭祀土器と推定されている。

また、滑石製の臼玉が2点見つかっている。これらは発見者の証言によれば坩の中に入った状態で見つかったという。


私の疑問点としては、黒岩の付近から見つかったというが、その位置関係が客観的な図面で記録されていないので、その近さ、遠さの評価のしようがなく、これらの遺物が黒岩に関わる祭祀の遺物だったのか判断しにくい。

以上の点から、敢国神社の黒岩は古墳時代の祭祀遺跡の事例に数えられることが多いが、調査年代が古く発見状況も地元の方の採集によるものであることから、いわゆる第一級の考古資料として扱うには幾分のためらいがある。
古墳時代の岩石祭祀を論ずるには、基本的に他例の資料が豊富かつ正確な記録が残されている遺跡を第一に取り上げるのが適当で、本例はその類例またはよすがを感じさせるものとして、補足的に利用するのが望ましいだろう。

敢国神社にまつられる「桃太郎岩」。約550年前に南宮山頂から持ち運んできた岩石という。当地での信仰は後世的な影響が強いものと類推される。


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