2021年1月4日月曜日

折口信夫の「漂著石神論計画」を今一度とらえ直し、次の段階へ(4)


「やぼさ/やぶさ」と「より神」


ここでしばらく「やぼさ」の話が続く。

「やぼさ」は寡聞にして知らなかったので調べてみた。「やぶさ」で知られる民俗信仰の一つらしい。

ヤブサは八房八大竜王の八房で、天台系山伏によって伝導された神で、家や同族の神から地域神として祀られるにしたがい、祟る性格を弱め、豊作や病気除けの神ともなったという説もある。ヤブサを戦の神で八幡太郎を祀ったものともいい、元来御霊で祟る神を宗教者が祀り上げ、鎮守となった藪神も多い。藪とは制御されざる裏側の領域だが、物事が転換され、新たに物が生み出される豊かな領域でもある。したがって、藪神は得体の知れない見えざるものを形にあらわした神といえる。(飯島吉晴「藪神」桜井徳太郎編『民間信仰辞典』東京堂出版、1980年)

中国、四国、九州西部に分布する神で、藪神(やぶかみ)として一括されるような存在だが、藪だけの性格ではなく、他の信仰との集合性はかなり高いようである。

だから折口が対馬・壱岐の例で「やぶさ」を語ろうとしたのだろうし、それを「より処」「より神」の文脈で取り上げたのだろう。

藪の性質が「得体の知れない見えざるものを形にあらわした」信仰にあるという点においても、より神としては絶好の対象物だったと思われる。

「鬼塚」「建て物」「巫女の憑り神」「盲僧の役神」「陰陽師」が例示されているのを見ると、このあたりは石との関連というよりも「依る、寄る」ことを中心に検討した部分だと言えよう。


鎮懐石を「変化する存在」として見る


鎮懐石は、神功皇后が陣痛を鎮めた霊石である。

記、紀、そして各国の風土記、万葉集に登場するという点でも、奈良時代当時すでに名高い物語体系だったことは想像に難くない。

折口は鎮懐石について「鎮懐は、鎮魂の一方面であること」と述べており、同感である。
また、鎮懐石について信仰の視点から触れられるとき、ほとんどの場合鎮めの霊性で説明されることに異はないだろう。

折口はそこに「石数増殖」「石成長」の論点を加えようとしているところが興味深い。

たしかに、記紀では個数が記載されておらず、単体の石だった可能性もある鎮懐石が、筑紫国風土記、筑前国風土記、万葉集では鎮懐石が2個と明記され、さらに後世に下る『太宰管内志』収録の鎮懐石伝説では鎮懐石が3個に割れたことになる。

つまり、後代に下るほど、鎮懐石の個数が増殖ないしは分裂していくのである。

さらに、鎮懐石を遺存する場所は現在各地に残り、子負の原、壱岐の鎮懐石はその一部である。

これを成長石の観点から述べることはたしかに可能である。
従来、後代に伝説が散らばって乱立するという批判的な評価にとどめず、石自体に分裂性や増殖性が許されるという知見を与えてくれる。

そして、折口がしばしば重視する「移動」の視点である。

地域を越えて複数に鎮懐石が散在することを「鎮懐石が他処より来る事」と評価することで、これも後世の付会で片づけず、鎮懐石がどこかからどこかへ移動するという霊石の移動性の論理に組み込むことができるのである。

この論理は、他界から移動し、依りつく神の構図と同じである。

鎮懐石は元来呪具であり、しかも、数世紀後にはそれは神功皇后の聖跡として転化していた。聖なる存在の保管した石というところに、石の成長性が芽生えたのかもしれない。

その聖なる痕跡が、移動する霊を可視化したかの如く別の場所へ移動して、複数に散布するのである。聖跡が、人格化した神と同義になったということである。

これを踏まえれば、依りつく神の神体石だけでなく、もともと祭祀の道具や装置として用意された岩石も、人間と同じように成長し、移動する「変化する存在」たりえたことが説明づけられるのである。


漂著石神論計画の34~44まで進んだので、続きはまた別記事で行いたい。


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