静岡県浜松市浜名区細江町気賀
細江町気賀の長楽寺の北側にある「行者岩」と呼称される巨岩上から渥美窯製の経筒外容器を採集した。それらは細片であって復元は困難であるが、天白磐座遺跡出土の外容器と同型に属する資料であった。長楽寺は平安時代の開創と伝えられ、当初は行者岩直下の平坦地にあったといわれている。長楽寺の山号「光岩山」はチャート質で白色を呈する巨岩「行者岩」に由来することは間違いない。
辰巳和弘『引佐町の古墳文化5 天白磐座遺跡』引佐町教育委員会 1992年
行者岩の直下の平坦地とは、梅のトンネルを抜けた先に広がる「本堂跡」(観音堂跡)を指す。
ここには現在石塔が建つが、この石塔に向かって右奥にわかりづらいが登り道が続いており、この道を少し登れば舗装された車道に出る。
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本堂跡 |
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登り道から本堂背後を撮影。登り道の位置関係の参考として。 |
道が複数分岐するが、上地図のオレンジロード側から回り込むと、地図には図化されていないが航空写真だと行者岩頂上のすぐ近くまで蛇行する舗装道がある。ちょうど蛇行の折り返し地点から少し足を踏み入れるとすぐ行者岩の頂上である。
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蛇行する舗装道の折り返し地点。写真左奥に入ると行者岩に到る。 |
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行者岩頂部 |
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行者岩からの眺望。浜名湖も見える。 |
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行者岩の岩肌。岩崖である。 |
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行者岩下部 |
渭伊神社境内遺跡(天白磐座遺跡)と同型の経筒外容器が見つかったということから、12世紀後半~13世紀初頭の経塚遺跡として考古資料化できる。
そして、行者岩という自然岩(岩崖)を経塚として用いた岩石祭祀遺跡として評価することもできる。
麓の長楽寺裏には「満天星(どうだん)の庭」と称される名庭が広がるが、ここからも行者岩の岩肌を確認できる。植林繁茂前の往時には明瞭な岩山の景を望むことができただろう。
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長楽寺庭園から望む行者岩(写真中央下) |
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