埼玉県飯能市飯能
能仁寺の武石
武陽山と称しているが昔は武石山と称していた。昔台所に沢庵を漬けて於いたら沢庵石が唸り出した。それから此の石は霊異を顕はして当山の鎮護となった。(略)境内の一偶に武石と称して今尚祀られている。(『郷土 石特集号』1932年, p.155。旧字を適宜改めた)
山号の由来にもなったといういわれつきの岩石で、外から見るとたくさんの武士が寺を守っているような霊異を見せたことから武石というらしい(あるいは名前が先で伝説が後かもしれない)。
今も境内にまつられると書かれているから存在は有名自明かと思ったら、web上にはそれらしき報告がなく、本堂前を見渡すかぎりは候補となるような岩石も見当たらない。
能仁寺本堂前。きれいに整備されていて自然石の類はない。 |
寺務の方に武石の場所をお尋ねした。山号由来の石でご存知と思っていたが初耳のようで、その場でいろいろと調べていただいていたものの結論としてはわからないとのお返事だった。
能仁寺には庭園も広がるので、その庭石まで可能性を考え出すときりがない。
ご住職は不在とのことだったので、もしかしたらご住職であれば異なる見解が聞けたかもしれない。
なぜなら武石の伝説や境内にあるという前掲の話は、昭和5年当時の能仁寺住職・荻野活道氏談だからだ。
一般民衆に語りつがれる民話のみならず、宗教施設内における伝承の記録・継承も重大な現代的問題になりつつあるように感じた。
天覧山の鏡岩・獅子岩
当寺の背後は天覧山であるが其の崖下に鏡岩と云ふ面の平滑な岩がある。今では蘚苔些か其の面を汚しているが昔は鏡の様で姿が映ったとか。武石と共に古来能仁寺の七不思議中に算えられていた。
(前掲と同じ)
鏡岩は天覧山(旧愛宕山。明治天皇天覧に浴したため天覧山に改称)の中腹にあり、十六羅漢石仏が刻まれた岩肌の特に西側では今も平らな面が残っている。
鏡岩と思われる岩肌 |
同じ岩肌を逆サイドから撮影。平滑面が見える。 |
十六羅漢石仏 |
看板には石仏のみ記され、岩石名は等閑視されている。 |
そのすぐ近くには獅子岩と呼ばれる岩石もあり、いずれもチャートの節理と断層で生じたものとされている。
神仏すまう聖地の中における岩石信仰の事例候補としても把握しておきたい。
天覧山頂上。山頂にもチャートの岩盤が露頭する。 |
参考文献
- 『郷土 石特集号』第2巻第1・2・3号合冊 1932年
- 岸裕介「天覧山の地学~天覧山はなぜそこにあるのか~」飯能市立博物館 2022年https://www.city.hanno.lg.jp/material/files/group/65/30399f8ce0c30.pdf
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