2025年8月3日日曜日

瑞光石/神影面瑞光荊石/小岩様(東京都荒川区)


東京都荒川区南千住 素盞雄神社境内


役行者の弟子とされる黒珍が、自宅の近くに奇岩の立つ塚(小塚・古塚)を見つけて、これを霊場として日々拝礼した。

延暦14年(795年)のある夜、奇岩が突如光を放ち、2人の翁が降臨した。翁いわく「我々は素盞雄大神と飛鳥大神である」。これを受けて、黒珍は社殿を建てた。

これが素盞雄神社の由緒という。江戸時代までは牛頭天王と飛鳥権現としての信仰であり、今も二社相殿となっている。


現在、境内南東部に一つの塚が存在し、そこに瑞光石と名づけられた岩石がまつられている。別称に神影面瑞光荊石(単に瑞光荊石とも)、小岩様(お岩様)がある。

写真左は浅間神社の標。写真右が瑞光石。

瑞光石

石肌拡大撮影。

幅約1.5m、高さ約1m弱ほどの不整形な平石にみえるが、万延元年(1860年)編纂の『江戸近郊道しるべ』という書物によると、瑞光石の根元は隅田川まで伸びており、千住大橋を築く時に橋脚が打ち込めなかったという。根を深く張った岩盤としての信仰を伝える。

石肌には多くの穴が開いている。人工的な杯状穴にも思えたが、瑞光石の石種は千葉県の鋸山周辺で採れる房州石と推測されており、石に穴を掘って棲む穿孔貝による特徴と考えられている。

房州石は周辺の古墳石室石材にも使用されていることから、瑞光石も本来は古墳石室石材で、塚は古墳の残骸だった可能性も指摘されていたが、古墳としての文化財指定はなされていない。

嘉永4年(1851年)に塚の周りが玉垣で囲われ、元治元年または2年(1863~1864年)には塚上に浅間神社がまつられた。南千住冨士の俗称があり、富士塚としても祭祀されたという。実際に冨士講が建てた碑が複数現存する。

現状としては、浅間神社の富士塚の中に瑞光石が安置されている状態である。

塚に残る冨士講の碑

塚上に浅間神社の祠が見える。

塚の下部に構築されたという人穴(現地看板に表示あり)


参考文献

  • 『荒川区史』,東京市荒川区,1936. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3438362 (参照 2025-08-03)
  • 高田隆成, 荒川史談会 著『荒川区史跡散歩』,学生社,1992.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13134296 (参照 2025-08-03)
  • 現地看板


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