御許山の山頂、宇佐神宮奥宮大元神社の背後は永らく禁足地であるが、昭和14年に大場磐雄博士が拝観・撮影しているので資料紹介する。
(大場博士は当時、内務省神社局考証課に奉職していため全国各地の神社の宝物調査をおこなっており、各社の宮司も調査に公式協力していた)
後年、大場博士は下記のとおり語っている。
御許山あるいは大元山の石神で、この山は現在宇佐八幡宮からかなり離れて、南の方へ一里半か二里ばかり行った所にございまして、その頂上には三個の立石が立っております。これが宇佐八幡宮の元だといわれております。これは私も拝観いたしましたが、実際自然石がちょうど並んで三個立っておられます。(略)『八幡愚童訓』という本には、この石はやはり生き石で人体のように暖かみがあるというようなことが書いてあります。やはりそういう風に、特別な精霊をもっているのだ、と古代人は考えていたのだろうと思うのです。
大場磐雄 「日本に於ける石信仰の考古学的考察」 『國學院大學日本文化研究所紀要』第8輯 1961年
國學院大學デジタルミュージアムが公開する「大場磐雄博士写真資料」には、本調査時に大場博士が撮影した写真もクリエイティブ・コモンズ・ライセンス済資料として公開されている。
![]() |
宇佐神宮, 九 94~103 [乾板九 94~103], 99 宇佐神宮(昭和十四年七月~八月), 宇佐 八幡 神体/國學院大學博物館所蔵/クリエイティブ・コモンズ・ライセンス済資料 |
![]() |
前掲に同じ |
![]() |
前掲に同じ |
大場博士は、石が人体のように暖かみを持っているという伝説から、博士が唱えた石神・磐座・磐境の3つの分類のうち、「石神」の事例として評価している。
御許山・大元山は馬城峯(まきのみね)の別称も持ち、岩石の名も三石・三ノ石・石体・石体権現などの表現があるが人によって呼称がばらばらで確定していない。
また、三石を中心に禁足地内には数々の名称付きの岩石群が記録されている。
正和2年(1313年)成立の『八幡宇佐宮御託宣集』には、次の九つの岩石が絵図に注記されている。
- 一
- 二
- 三
- 四 武内
- 五 北辰
- 六 善神王
- 七 若宮
- 八 白山
- 九 善神王
一、二、三はいわゆる中心となる三石であり、やはり名称が特に固定されていない。
四~九は仏家による付会と見る説が濃厚だが、いずれにしても現在禁足地のため文献上に残る記録としてまとめておいた。
0 件のコメント:
コメントを投稿
記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。