2019年9月29日日曜日

夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構(奈良県生駒郡平群町)


奈良県生駒郡平群町櫟原字三石

原田修さんのウェブサイト「いこまかんなび」で、「三間石山巨石遺構」と名付けられた場所が報告されている。
原田さんは生駒の神々の研究を進めるなかでこの巨石に注目し、文献調査や現地での測量などを進められている。

現地は、生駒山系の一峰、三間石山と呼ばれていた標高454m地点に位置する。
有料道路の生駒スカイラインを利用すると道路際にあり、アクセスが容易。

峰の上に3体の巨岩がトライアングル上に存在し、その3体の南~南西斜面に大小の岩石群が散在している。

巨岩群全景

巨岩群中心部


一般的な名称は「夫婦岩」で、観光地図などにも夫婦岩で記載されている。
ただ、昭和11年の山岳資料によるとその当時は「天狗岩」とも呼ばれていたようだ。

夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構という3つの名があるが、現状で最も名が通っているのは「夫婦岩」であり、私はこれを使用したい。
「天狗岩」は昭和初期の古い名称の可能性があるが、これが夫婦岩のことを100%指しているかというと確定できないところもある。
そして「三間石山巨石遺構」の名については、ここからは遺物が見つかっておらず遺構としての認定ができないことと、すでに夫婦岩の名称があるのであえて別の名称に置き換えることもないと考える。

遺物・記録がないため、夫婦岩という名前はついているものの、まつられていた岩なのか、特別視の対象にとどまっていたのかもはっきりしない。
ただ、3体の巨岩の内の2体には、理由は不明ながら多数の木の枝が岩に立てかけられている。

この風習の出処も気になるところ。

いこまかんなびの原田さんによれば、『住吉大社神代記』の「膽駒・神南備山本記」に夫婦石と思われる記述があると述べる。
いわく、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に「諍石」を置き、火で木は朽ちようとも石は残り続けると述べたとあり、これが位置的に本石のことを指すという推論を立てられている。

原田さんは、本事例を人工的な遺構とみている。
3体の巨岩の南~南西斜面に「石列」「石積み」とされる岩石群があるが、石列については人為的な配置というためには相応の根拠が求められる。斜面に沿って岩石群が寄り添っているだけにも見える。

石列と呼ばれるもの(上斜面から)
石積みと呼ばれるもの(写真手前)

一方、石積みと呼ばれる構造物についてはたしかに不思議な形状をしている。石と石の間を砂利混じりの練り土で塗り固めたかのようにも解釈できるが、自然に固着した砂の固まりとも言える。
一番上と一番左の岩石の接触面が一致することを考えると、石積みというよりは1つの岩石が亀裂で分かれ、風化でお互いの石の角が取れた産物ではないかと思う。

峰上に巨岩が群集している光景自体は、自然成因の域を出るものではなく、私の所感では「巨石遺構」と認定するには考古学的根拠が不足している。

「諍石」であるかどうかはまた別の議論で、文献上の霊石としての可能性はじゅうぶん残されている。
人為設置でないにしても、峠に近いところに見出した神の鎮座石(鎮め石)としての展望も開けるだろう。
住吉大神が述べた「火で木は朽ちようとも石は残り続ける」という辺りに、当時の人々の岩石に対する認識が垣間見え興味深い。


6 件のコメント:

  1. はじめまして。
    >峰上に巨岩が群集している光景自体は、自然成因の域を出るものではなく、私の所感では「巨石遺構」と認定するには考古学的根拠が不足している。

    同感です、さすがに、あれに人の手が入っているとは考えにくいというのが私見です。
    ついでながら、夫婦岩の名称は、信貴生駒スカイライン(近鉄が経営)が開通した時、近鉄のドル箱である伊勢の夫婦岩を連想して命名したのではないかと勝手に推理しています。(根拠資料はありません。笑)

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    1. はじめまして。ご同意を頂戴して心強く思います。
      近鉄説――たしかに夫婦岩サミットなるものもありますし、夫婦岩は全国的に観光や外部の影響を受けやすい存在と言えますね。

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  2. 吉川さん。RESありがとうございました。
    ついでながら、あと少しだけ。
    旧住所が示しますように、この住所の小字は三石、小字は江戸時代から続いていたものも多いですから、おそらく古くから櫟原の人は大きな三つの石がある所という認識だったと思います。天狗岩名称はその三石認識の発展で、三角形配置の前一つを天狗の鼻に見立てたものと思います。専門家の吉川さんには、「釈迦に説法」でしょうがお許しいただいて、ほか(六甲?)にも同じような命名の事例があったと思います。
    >昭和11年の山岳資料によるとその当時は「天狗岩」とも呼ばれていたようだ。
    私も見たことがあえるような気がします。従いまして「三石」江戸時代、「天狗岩」大正時代、ここまでは三つの大石(岩)という認識でしたが、先に書きましたように過去の経緯に知識の全くない近鉄の社員がスカイライン開通時に宣伝に都合よく新命名、実際は地元の人間にとってはかってな名称変更としたのだと考えます。

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    1. 昭和11年の文献と思われる『近畿の山と谷』を捲ってみたところ、天狗岩を「牡丹餅を二つ並べたような形」と表現してありました。岩石の群れの中から三つ(三石・三間石)を見出すのか二つ(夫婦岩・天狗岩?)を見出すのかで名前の移ろいがみられるのだなと感じ入りました。
      字としての三石と山名としての三間石で、三が石の個数を指すか三間の長さを表すかは考えどころですが、いずれにしても夫婦岩は蚊帳の外で最も後出的ということは揺るがなさそうです。
      いま記事をあらためるなら「三石/三間石/天狗岩/夫婦岩」の表記順が相応しいように思いますが、文章はそのままにして、お寄せいただいたコメントを最新の補足情報とさせていただきます。
      貴重な情報補足をいただき誠にありがとうございました。

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  3. 吉川さん、こんにちは。重ねてRESありがとうございました。
    先に天狗岩名を「私も見たことがある。」と書きましたが、(誠にうっかりしていましたが、ネット情報のチラ見だと勘違いしていました。)今調べますと「灯台もと暗し」、手元の昭和43年初版の「関西の山々」(創元社刊)の生駒山ガイド記事に併載の地図に「天狗岩」が出ていました。スカイライン開設が昭和39年ですから、創元社編集部が改名を見落とした可能性もゼロではありませんが、その時には天狗岩周辺がまだ未整備で山名板などなかったと考えます。少なくともそれ以降長い間「天狗岩」名が生きていたと私は考えています。

    >天狗岩を「牡丹餅を二つ並べたような形」と表現してありました。
     天狗岩の命名は高山の見晴らしの良い広い一枚岩で天狗が集まって会議するいわゆる「天狗評定」にふさわしい場所というのが命名の由来となるものがほとんどです(f高見山の天狗岩はその典型)が、まれにその形状が天狗の顔に似ている、ある岩その類型でトライアングル配置岩の一つを天狗の鼻に見立てるというのがあります。

    末文になりましたが、何度も暇人が手前勝手な駄文を書き連ねまして大変失礼しました.この場を与えていただいたことに深く感謝しております。本当にありがとうございました。
    jack77betty
     
     

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    1. こちらこそ大変勉強になりました。「関西の山々」の書誌情報ほか、お書きになられた豊富な情報により本記事がさらに充実なものとなりましたことに厚くお礼申し上げます。

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