2019年9月22日日曜日

貴志御霊神社の「夜なき石/茶臼石」「貴志のぬけ石」(兵庫県三田市)


兵庫県三田市貴志宇美内

現在は単に御霊神社と呼ばれるが、従来は貴志宮(貴志神社)と号されてきた。

詳しくは明治時代の神仏分離の時に旧記散逸というが、大彦命(大比古命)を祭神としてきたという。

境内の旧跡として「夜なき石」が知られる。



由緒書から引用しよう。

その昔、境内にあった石(夜なき石)が殿様の目にとまり屋敷の庭石に使われたところ、夜になると「貴志に帰りたい、貴志に帰りたい」とないて殿様を困らせた。そして医師は元の貴志に帰ってきた。(由緒書「国指定重要文化財 貴志御霊神社のご案内」)

夜なき石という名は、赤子の夜泣きを止める霊験に由来するものが多く、その記述は本事例には見られない。
ただ、この「権力者によって動かされた石が、元の場所に戻りたがる」という話は、各地に類似伝承が多い。
人々が、無生物である石に対して一種の共感や同一視・擬人化がないと、この類の話は生まれにくい。
単に夜なき石の分布ではなく、説話パターンごとでの分布を調べてみても面白いことがわかるかもしれない。

さて、現地看板にも興味深い記述がある。

まず、夜なき石の別称として茶臼石という呼び名もあったこと。
次に、この石は酒船石であり、当社の祭礼に用いる神酒をこの石でつくったのだという。

石の上で酒を造るとは、もろみを石上で押し搾り、清酒と酒粕に分離するという行為である。

看板では大和の酒船石との関連性に触れているが、最も類似するのは愛知県一宮市の酒見神社に存する磐船である。
酒見神社例も、奉納用の酒を石上で醸造したといわれている。



さて、写真のとおり、夜なき石とともに合計3体の、奇石とも言ってよい形状の岩石が横並びしている。
すべてが夜なき石ではなく、垣で囲われていることからもわかるように、写真向かって一番右が夜なき石である。

左側2体は「貴志のぬけ石」と呼ばれ、夫婦石のような位置づけで信仰されているようだ。
興味深いのは、同じ貴志地区にもう一つ「抜け石」があることだ。
下記のページでその存在が報告されている。

兵丹石 (兵庫県三田市貴志史跡) - グルコミ

兵丹石と呼ばれるのは、瓢箪の形になぞらえたものだろう。
開墾時に出た「抜け石」で、形に特徴があったから保存したという。
当社の「ぬけ石」も、それに類する来歴の奇石と考えて良いだろう。




参考文献


  • 貴志御霊神社氏子総代発行の由緒書「国指定重要文化財 貴志御霊神社のご案内」
  • 現地看板


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