2018年5月27日

妙石坊の高座石(山梨県南巨摩郡身延町)


山梨県南巨摩郡身延町

妙石坊高座石

七面山に坐す七面大明神が、女人に扮してこの場所で日蓮と出会った。

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日蓮はここで初めて説法を行い、それを聞いた七面大明神は法華経を守護する神となることを彼に約束した。

妙石坊高座石

その時、日蓮はこの石の上で説法をおこなったことから、高座石の名がある。

妙石坊高座石

境内にはその時の様子を描いた絵も掲示されている。

2018年5月24日

巖石神社(兵庫県宍粟市)


兵庫県宍粟市山崎町下町

巖石神社

山の端に立地。

巖石神社

巖石神社は「がんせき」と読むことが現地看板に書いてあるが、兵庫県神社庁のリストでは「いついし」と読み、「いわいし」と読む人もおり一定しない。

巨岩信仰数多あると言えど、巖石すなわち岩石神社というネーミングは全国的にも珍しいと思う。

いずれにしても社殿背後に屹立する岩壁のような一大岩塊をまつる場所であることは疑いない。

巖石神社

地元では「権現さん」と呼ぶことが多いらしい。
現地看板には修験道の影響によるもので平安時代からと書いてあったが、これはあくまでも一般的な学説を転記したものと思われ、「権現さん」と「巖石神社」の名称の先後関係は不明としておくほうが良い。

巖石神社

社の傍らに直立する「夫婦(みょうと)ヒノキ」は樹齢250年を超すといわれる。
これは巖石のほうが早い。

巖石神社

戦後新設されたと思われる「史跡 磐座」の石碑も立てられ、磐座の一般的な説明につづき、起源は2200年前であると刻字されていたが、何の根拠も書かれていない。

そもそも語りつがれてきた名前は「権現さん」であり「巖石」ではないのか。
半可通の磐座研究に基づいて建てられたものでも、現地にあれば権威性が自ずと帯びる。
罪深いことである。

2018年5月20日

種村季弘『不思議な石のはなし』(河出書房新社、1996年)

――ごろんところがした研磨も彫石も受けていない、不恰好な形の、どうかすると欠け目や傷だらけの石の不完全さそのものから、洗練された完全な石の一糸乱れぬ端正な純粋さにはない、汲めども尽きせぬ雑多な記憶がこんこんと湧き上がってくる。

著者の種村季弘氏は、本書を「ただの石のはなし」と一言でまとめる。

宝石や、有名人が持つ石に興味がないわけではないが、様式化されていない、系統立っていない石の「猥雑」さに「記憶の泉」を見出すのだという。

「どなたも同じような経験をされた覚えがおありではなかろうか」と種村氏は問いかけるが、どうだろうか。

種村氏がこのような理由で、ふと足を止めてしまった石の話をいくつかピックアップしよう。

■ 『北国巡杖記』

飢饉に困った村人が神に祈りをささげたところ、石のような真っ白なものが降ってきて、食べたら乳のように甘かった。これで命を長らえる人が多かった。

■ 『本草綱目』

石麪(いしそうめん)はめでたいもの。中国でも何度か石が麺になったという記録があり、さいたい飢饉のときに貧民が食べた。

■ 『日本霊異記』 下巻第三十一

美濃国の娘が処女解体して3年の後、石を2つ産んだ。1つはまだらの青色、もう1つは真っ青で、だんだん大きくなった。卜者に占ってもらったところ、これは伊奈婆大神の子であるということで、以後まつった。

■『日本霊異記』下巻第十九

肥後国の女が卵形の肉の塊を生んだ。不吉に思ってその肉を山の石の中に7日間置いておいたところ、肉の塊の中から女子が生まれた。
この女子には顎と生殖器がなかったが、7歳には法華経華厳経を暗誦し、嫁ぐことなく出家して人に敬われた。

なかなか不思議な話だが、古今東西の他の事例と兼ね合わせて、「石は食べる」「石は成長する」「石は産む」という石の類型化に持っていくには、ちょっと安直な気がして、もうすこし保留でいたい。

種村氏の指摘の中でぜひこれだけは取りあげておきたいのが、近代科学以前の人と石の関係についてである。

13世紀、博物学者のアルベルトゥス・マグヌスが著した『鉱物論』は、石を水と土の合成物と説いた。
水は透明で、土は不透明なものなので、その配合によって石の色や外見が変わると考えた。

これは科学的というよりも感性的な考え方で、まさに科学登場以前の論理である。
言い換えれば、この科学登場以前の論理に寄り添えなければ、当時の人を理解することはできないということを知る。

種村氏は言う。
「石は石、ではなくて、動物植物とじつに気まぐれにまじりあい、おたがいの間の境界をすりぬけて自在に交通しあうのである」

現在の科学的分類に囚われることで、その分類が現われる以前の「現実」が見えなくなる。
祭祀考古学でも、最近「依代」が折口信夫の分析概念であり、それに囚われることで依代とされてきた数々の事例の現実が捻じ曲げられていると指摘されることがある。

鉱物・植物・動物という括りも、科学的な事実はどうあれ、石は石、石以外は石以外という眼鏡をかけて目の前の対象を見ることで、その時点ですでに歴史研究者としては失格なのかもしれない。
当事者が、鉱物・植物・動物という括り、石と石でないものの括りをしていなかったり、自分自身と概念が違っていたら意味がないのだから。

食べ物と思っていた麺や、人間と思っていた赤ん坊ですら、石の研究として視点を向けなければいけない。そんな次元である。


先日、このようなツイートを見かけた。
何年前とは言えないが、以前の自分なら科学的ではないという考えに囚われていたかもしれないが、そもそも歴史的研究において、科学的態度はあって良いが、その事象自体が科学的かどうかを研究対象にあてることは別の話であると、今なら理解できる。

もちろん上記ツイートの説も仮定を前提とした話なので、否定または肯定という両極に偏ることも適切ではない。
そうだったかもしれないな、という気づきにとどめておくのが、今の私の気持ちである。

昔の人の気持ちをすでに理解できたかどうかなんて、おこがましい。

2018年5月16日

『伊勢志摩百物語~磐座の聖地めぐり~』紹介

毎日新聞の記事です。

「伊勢志摩百物語第3集が完成 皇学館大生ら作成 /三重」(毎日新聞2018年5月15日 地方版)
http://mainichi.jp/articles/20180515/ddl/k24/040/142000c

この記事の中で、第2集が「磐座の聖地めぐり」として去年発刊されていたことを知りました。

web上で閲覧できるようになっていますので、皆様にもご紹介します。

皇學館大學伊勢志摩百物語編集委員会『伊勢志摩百物語~磐座の聖地めぐり~』(2017年)
https://www.kogakkan-u.ac.jp/campusview/catalog/isesima100monogatari_02/#page=1
*閲覧にはAdobe Flash Playerが必要

次の13カ所が取り上げられています。
  1. 舟神龍宮の積み石 *初耳
  2. 鏡石
  3. 剣岩 *初耳
  4. つづら石 *初耳
  5. 破石 *初耳
  6. 千引石
  7. 乙女岩 *初耳
  8. 美多羅志神社のハート石 *初耳
  9. 浦神社の磐境 *初耳
  10. なで石 *初耳
  11. 清正石 *初耳
  12. 長原の浮石 *初耳
  13. 鸚鵡岩

伊勢神宮の石々や、二見の夫婦岩、相差の石神さん、天岩戸などの著名どころはありません。事例を網羅するタイプの冊子ではないということですね。

13か所中、10カ所は初めて知りました。
いつも言うことですが、地元の調査には勝てない・・・。
岩石信仰が、どれほどありふれて存在しているかということです。

ハート石は、ちょっといただけないかなあ・・・。
流行りのハート石と書いてありましたが、注釈もないので何それと思って検索したら、たしかにハート石さがしが流行っているみたいですね。



岩石信仰アプローチからでは、このトレンドが私の網にかからなかったことにショック。
己の不明を恥じるばかりです。

2018年5月4日

白山とダンノダイラ~三輪山の奥~(奈良県桜井市)



奈良県桜井市辻728番地に、眞言律宗 巻向山 奥不動寺という寺がある。

奥不動寺

ここは、大神神社の神体山で著名な三輪山(標高467m)と巻向山(標高567m)の間に位置する。
三輪山の知名度に反して、この三輪山の奥にある奥不動寺の一帯が取り上げられる機会は少ない。
本項では、白山とダンノダイラの2ヶ所の奥三輪を紹介する。

■ 白山


奥不動寺から北に山道があり、急登を3分で景色が一変する。

白山

白山

白山

白山

この岩山を白山(標高486m)と呼ぶ。

周囲が緑に囲まれた中で、ここだけが一面真っ白の岩峰と化している。
表土が流出して、地中の岩盤が一面に露出したものと思われる。
歩いているだけでも岩盤はボロボロ剥離する地形だが、なぜここだけこのようなことになってしまったのか。

その位置的な近さから、奥不動寺の霊場としてうってつけだが、奥不動寺によって特に行場や信仰の場を示すものはない。

白山
上写真の奥方に(直接は見えないが)三輪山が位置する。

昔もこのような岩山だったと仮定して、三輪山をまつっていた人々がこの白山を知っていたら、三輪山最奥部の聖域として神聖視されていたのではないかというインパクトがある。
むしろ、奥津磐座を知るはずの三輪山の祭祀主体が、少し歩けばたどりつくこの圧倒的聖域を知らないということがありうるのだろうか。

まったく古代史に登場しない場所である。

白山

白山

桜井市文化財協会の中村利光氏の「ちょっと寄り道第5回 山頂が一面蒼白の白山」(「桜井市立埋蔵文化財センター」内)によれば、白山には天狗岩という立岩があると記している。


ダンノダイラ


奥不動寺の東方約500m地点に広がる緩やかな山腹一帯をダンノダイラといい、その東端に「磐座」としてまつられた露岩がある。
ここは桜井市の出雲地区に属する。




ダンノダイラについては、現地に「野見宿禰顕彰会」という団体が作った懇切丁寧な解説板があり、奥不動寺からも案内標識が充実している。
以下はこの現地解説板に基づいて紹介をする。

嘉永年間(1848~1854年)に作成されたという「和州式上郡出雲村古地図」によると、巻向山の中腹にダンノダイラという地名があり、ここは明治時代の初め頃まで人々が住み、その宅地や田の跡が残っているという。
ダンノダイラ上方には湧水沼があり、そこから流れた小川と思しき流水路跡がダンノダイラに現存していることから、確かに人がかつて住んでいたのだろう。
信憑性は定かではないが、小川跡からは6~12世紀の土器片も採集されたという情報もある。

ダンノダイラ
ダンノダイラに残る小川跡

ダンノダイラの南麓には出雲村(桜井市出雲地区)がある。
明治の初め頃までは、年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったと、1964年に村の年配の方の証言があったことが記録されている。
出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、ダンノダイラにある「磐座」を拝む場だったという。

このようにダンノダイラは麓の出雲村と関係が深いとされる場所で、中にはここが古代の出雲ムラで、日本神話の出雲国神話や『日本書紀』の野見宿禰伝説の舞台となったという仮説もあるが、そこまで話が進むとやや批判的に見なければいけない。

ダンノダイラの「磐座」は、急傾斜面の山肌に露出する岩崖である。
岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残され、まとめて神聖視されている。

ダンノダイラ

ダンノダイラ

ダンノダイラの中央やや西寄りに、「天壇」と名付けられた場所がある。
マウンド(といってもかなり緩やかで自然地形の延長線上)の頂部に集石が残る。

天壇とは、中国の天子が冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇のことで、その日本式天壇に該当すると皇學館大學の村野豪先生が述べたという解説が現地に立てられている。
前提条件がいろいろとわからないので素直に納得はできないが、集石があるのは確かである。

ダンノダイラ
「天壇」

ダンノダイラも郷土研究が入り混じりミステリアスな現状となっているが、個人的にはその郷土史家にさえ何も語られない白山に、より関心を惹かれる。