2024年1月29日

諏訪大社下社春宮のいぼ石(長野県諏訪郡下諏訪町)


長野県諏訪郡下諏訪町 諏訪大社下社春宮境内


下社春宮の門前に掲げられた現地看板に「いぼ石」が紹介されている。

画像中央あたりに「いぼ石」の名がある。


神社境内の真ん中にあるように見えるが、境内を一見してもよくわからない。

神職の方にお伺いしたところ、「よく聞かれるんです。あちらです」ということで教えていただいた。

参道石畳に組み込まれていた。

穴がぼこぼこ開いた写真右の石がいぼ石。写真左には石畳上に石ころが1個置かれていて、神職さんはこの石ころを目印にいぼ石の場所を説明されていた。意図的に置いた?

いぼ石と神楽殿の位置関係。この写真で現地を特定してください。


このように参道と半ば同化した岩石信仰の類例には、三嶋大社境内に存する牛石が挙げられる。

いぼ(疣)ができた時は、いぼ石の窪みに溜まった水をいぼに塗りつけるといつの間にかなくなるという。

『諏訪の近現代史』(1986年)の石の伝説の項目にはこのように由来が説明されていたが、歴史的にいつ頃まで遡れるかは情報収集不足につき不明である。


参考文献

諏訪教育会 編『諏訪の近現代史』,諏訪教育会,1986.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9540456 (参照 2024-01-29)


2024年1月21日

資料報告「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」

 


資料報告「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」を『地質と文化』第6巻第2号(2023年12月31日発行)で発表しました。

電子ジャーナルとして雑誌のpdfも下記で公開されていますので、どなたでもご覧いただけます。81~106頁です。

Geology_Culture_6-2.pdf 


2019~2023年にかけてフィールドワークとして調査を続けてきた地域です。

設楽町では岩石信仰や特別視された岩石についての事例が多く存在していることが確認され、そのあたりの文献情報は以前2019年に下の記事でまとめました。

愛知県設楽町名倉(大名倉・東納庫・西納庫)における岩石信仰の文献調査


私が早期調査の必要性を感じたきっかけが、設楽ダムの建設工事です。水没するエリアに沈む岩石も複数ある様子で、記録・保存をおこなおうとしたのが本報告です。


したがって、本報告の最大の目的は一つの文化財報告として位置づけておりますが、単なる個別事例の紹介にとどまらず、一般化できる歴史的意義としては次のようなことまで派生しています。


1点目として、いわゆる「磐座」の通説的見解の再考を促す予察を記しました。

原始的磐座(古墳時代の磐座)と歴史的磐座(修験道以降の磐座)の見直しや、イワクラと呼ばれた概念の歴史的位置づけについての示唆を盛り込んだものとなっています。


2点目として、岩石信仰の地質の関連について記しました。

歴史・地理のみに限らず、岩石の地質的な側面と岩石信仰のありかたに影響する可能性を、特に「遥拝」祭祀の点で言及しました。


3点目は最も大事な提言として、神聖視・特別視された自然石も文化財であるという「自然石文化財」の視点を提示しています。

私はこれまで岩石信仰の研究で人工的に加工・設置された岩石と自然のままでまつられた岩石の両方を一括して続けてきましたが、設楽町の調査を通して、とりわけ自然石の信仰・特別視の文化保存が重要であることを明確に意識できました。

本報告は、自然石文化の初の事例報告集として上梓して、今後の全国各地の記録保存の嚆矢になればという願いを込めたものであります。


奇しくも、自然石文化財に対する問題提起となる出来事が最近立て続けに起こりました。令和6年能登半島地震における見附島の崩落などの自然地形の変化や、大阪万博で岩石が利用されることになった残念石のニュースなどです。


残念石は厳密には人為的加工が施されている岩石ですが、多くの人々の認識は"路傍"の"不要"な自然石としての扱いだったと思います。

そのような、歴史がその姿形からは見えにくい「自然石」が、人々の思いを込めた文化財なのだという意識を新たにできる資料として、時節柄、本報告が寄与するところはあると確信しています。


2024年1月15日

道祖神社の石荒神(奈良県奈良市)


奈良県奈良市今御門町1番地


奈良市の中心繁華街「ならまち」の街角に道祖神社が構え、社殿脇に上写真の高さ1.3mの岩石がまつられている。



社頭の看板では、「境内の巨石は賽の神として勝負の守護神として篤い信仰」を集めたとある。

しかし、猿田彦神社すなわち道祖神社の名をもつのだから、元々は「塞の神」(境界の神)として出発したものだろう。
そして、『石の声』(1983年)によると、地元ではここを「石荒神」と呼んでおり、社頭看板には記されなかった歴史を有していたことがわかる。

同書によると上写真の巨石は大正時代初期に置かれたもので、石荒神と称される岩石は社殿内に秘匿されてまつられているのだという。

道祖神社社殿

道祖神社を管理する御霊神社の元宮司が昭和戦後の神殿修復の際に実物を見たことがあるといい、その発言によると直径20㎝、長さ30㎝の男根の形をした自然石だったとのことである。

社殿脇に置かれた巨石は、なぜ大正時代に置かれることになったのか今はそれを知る人も記録もないが、今はもう拝観することができない神体石の代わりに、当社の岩石信仰を視覚的に受け継いだ存在となったと言える。


参考文献
朝日新聞「こころのページ」[著] 『石の声』(朝日カルチャーブックス22) 大阪書籍 1983年

2024年1月2日

地震石(石川県羽咋市)


石川県羽咋市寺家町 大穴持像石神社境内



長さ約60㎝、高さ約30㎝の岩石で、地震石、地震押さえ石、要石などの名称が伝わる。
いかに大震災があっても、この岩石があるためにこの地は微動だにしないといわれて、かつては石上に生す苔を取って地震除けの守護とする者が多かったという。

前田藩は地震石を神体とみなし、木棚を以て囲繞したが一夜の内に消え失せ、再度作るも元通りに戻ったという。

明治4年、金沢在住の木佐平次という者が地震石は迷信と述べて石を蹂躙したが、宿に帰り入浴した後に茶を喫していると頓死したという。

明治7年、気多神社神職の荒地春樹が地震石は神体であるから社殿内に安置するべしと主張したが、村民の同意を得られずそのまま今に至るという。

大穴持像石神社の境内入口に位置することから、社名の「像石」はこの石のことだとする説もあるが確定していない。

大穴持像石神社の社殿

参考文献

  • 編集: 羽咋市史編さん委員会『羽咋市史』中世・社寺編,羽咋市,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536989 (参照 2024-01-02)
  • 石川県羽咋郡 編『石川県羽咋郡誌』,羽咋郡,大正6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/986465 (参照 2024-01-02)

2024.1.22追記

令和6年能登半島地震を受けて地震石の祭祀が行われた。

「地震石に収束の祈り 羽咋・大穴持像石神社」(北陸中日新聞Web) https://www.chunichi.co.jp/article/841447 

2023年12月30日

映画「君たちはどう生きるか」に登場した石

2023年7月に公開された宮﨑駿監督の映画「君たちはどう生きるか」では、石がさまざまなモチーフとして登場した。けっして石が主題の映画ではないが、妙に石が多用されてあれらは何だったのか印象に残るらしい。作品自体の評価は手に負えないが、石の部分だけ触れておこう。


全体を通しての石の印象

本編序盤で主人公が傷をつけるため拾った石から、中盤の異世界で登場する石、現実世界へ持ち帰ってきた石まで、映画全編にわたって石が散りばめられている。

一見して国内外の石の思想やイメージが混濁していて、おそらく意図的だろうがそれをあまり整理整頓していない印象だ。

物語の流れ自体もカオスだが、石の取り扱いもカオスである。本作を作るのに無数の元ネタが存在し、それらを吸収した宮﨑監督の脳内が開陳されている。

だから気をつけたいのは、たとえば本作を見ると石と人の原初的なものがわかるとか、核心めいた答えをつかめると思うと危ない。

宮﨑監督が人生の中で後天的に獲得してきた石の知のいくつかを、あえて脳内のまま展示したので、私たちが覗き見てカオスをどう秩序付けるかを託されているという立ち位置を自覚しておきたい。


石の塔の構造(隕石・石の主・石の産屋)

石の塔は、作品中で現実世界と異世界を繋ぐ媒体であり、元は隕石として描かれる。隕石そのものは外見的にも物理的にも特殊な石で、わかりやすい異世界からの来訪者である。

石の塔と聞いて思い出すのは心理学者のユングである。

彼は後半生において、石に一種の表現をしたいと思い、石を組んで自分の家を作り、たびたび増築し、その構造物を「塔」と呼んだ。

ユングは一人で集中したい時に石の塔へ駆け込み、本人の言葉を借りれば石の中は生まれ変われる母の胎内のようなものだと表現した。映画を観覧した方なら、石の塔の思想背景に相通ずるものを感じられるのではないだろうか。

石の中から新たな命が誕生するという精神性は他にもある。ローマ帝国時代に流行ったミトラ教の神は岩石から産まれ、台湾原住民の各部族では岩石が割れてその部族の始祖が産まれたという伝説が共有されている。

そんな石の塔の中には「石の主」がいて、石の主と人は契約を交わす関係らしい。元が隕石なので石には破壊的な力を内在しているシーンが描かれるが、石の主が作品内で擬人化されることはない。

その代わり、石の塔の最奥部に「石の産屋」が登場し、主人公はそこで継母と出会う。継母は誘われるかのように無自覚のまま異世界の石の産屋に逃げ込んでいた。

現実世界にいたたまれず、石の中へ退避する。

先のユングにとっても石はそのような「アジール」だったが、万葉集や常陸国風土記にも周囲からの言葉に耐えられない時は石室や石城に籠ろうという歌が残っている。


石の墓

石の中へ逃げ込みたいという思想は、そのまま石の中で死ぬという行為とも親しくなる。岩窟に籠り続けて入寂する仏僧の事例も多い。

異世界の中で、石の産屋とは別で「石の墓」が登場する。ちょうど中盤のカオスな物語の中で唐突に現れる。

見た目は巨石を組んで構築した石舞台古墳かのようである。横穴式石室であればそのまま墓であり、日本神話のイザナキとイザナミの黄泉国神話は横穴式石室の埋葬・追葬儀礼を神話化したものだという説もあるほどである。

主人公の実母は火災で亡くなり、異世界では火を操るキャラクターだった。石の墓に誰が葬られているのかは明示されていないが、火で死に、火の神カグツチを産んだイザナミが想起される装置である。

石の塔からつながる他界は死者の世界として描かれるが、そこから新しい命(ワラワラ)が天井に上ってもいる。それはしばしば「死と再生」という概念で語られるが、国内の前近代の民俗儀礼においては、石に子宝安産を願う事例もある一方で避妊、間引きなどで子殺しを行う事例も確認されている。

石の中で産み、石の中で死ぬ世界が両立しているのである。


石の積み木

作中後半で、悪意のある石と悪意のない石の対比が語られる。

石の塔の主人たる大叔父が積んだ石の積み木を見て、墓に使われるような石は悪い石と主人公が発言した。そこで、大叔父が、積みあがっていない状態の石を別で授け、それは悪意のない石として表現された。この「石の積み木」は、監督が観客にそれぞれの人生をどう生きるかを託すメタファーとして用いられたと考えられる。

積みあがっていない石には悪意はなく、無垢のように思える。だが、人は産まれてから今までの間に、すでに石と何らかの形でつきあっており、石の知識やイメージを後天的に獲得している。その意味で、無垢な石はあり得ない。

子どもなら、産まれて間もないため石に接する経験は少なく、無垢に近い存在として取り上げられるのかもしれない。しかし、人間の認知機能の研究分野では、その人の先天的な認知機能は六歳までの幼児期に確立されるという説もある。

赤子ならともかく、映画の主人公くらいの年であればすでに無垢の存在ではない。

石も同様に、感情をもたない無機物だから無垢のモチーフにされるが、それ自体が思い違いで無垢な石は一種の理想なのである。


主人公が手に取った石二つ

主人公が自発的に手に取った石は二つある。

一つ目は、本編前半で拾った石で頭をぶつけて嘘をついた場面。その時についた傷を後半部では悪意の証と明言する。その場にたまたまあった石を無分別に選択しただけだが、この時点で主人公は無垢ではいられない。

二つ目は、本編最後に主人公が異世界から持って帰ってきてポケットに入れた石。持ってきてはダメな石だが、多少の力なので影響は少ないと作中で解説されている。

川の石をむやみに拾ってはいけないといった民俗は多く、その思想に対する反抗とみることもできるが、これも石の先天的なイメージをむしろ利用している。

つまり、石の塔の主人たる大叔父は主人公、ひいては私たち受け手に無垢の石の理想を求めるが、すでに大叔父に出会う前から人と石の関係は無垢ではないし、大叔父が差し出す無垢と言っている石も実は無垢ではない。

さらにいえば、石の塔の核となる隕石は、自分が無垢でいようと思っても、外来から突如やってくる異質な存在との出会いでもある。石をどのように欲し、扱い、出会いたいと思っていても、外部との関わりなしではいられないし、本作のように論理が非整合的で答えが用意されていない、論理的に世界のすべてが理解できるようになっていない。

石自体が、人によっては他の何かに置き換えできる「無垢ではないイメージ」である。それをどのように置き換えて受け止めるかも個々人の人生である。まさにどのように生きるかを試されている。


初出記事

「路傍の自然石考⑬ 映画『君たちはどう生きるか』に登場した石」『パッション』第73号(2003年9月発行)
※紙幅の関係上、本記事を1ページに圧縮して掲載したものとなっている。