2025年9月23日

寄木神社境内社 津島神社の砂(静岡県袋井市)


静岡県袋井市西同笠

 

袋井市には寄木神社が三社あるが、その中で最も原型とされるのが西同笠の寄木神社である。

その証左とされる存在が寄木神社向かって西側に鎮座する、境内社の津島神社の特異な社の在りかたである。

津島神社

津島神社を背後より撮影。写真手前の配石は炉か。

葉で覆われた高さ1.6mの高床式の建物である。

竹4本を四方に立てて、中心に立てた白木の角材の上に神札を付け、その周りを大量の葉で覆い塀とする。葉は境内に繁る杉の葉が用いられる。

極めて原初性の高い建築であり、遠州灘沿いの海岸部において寄木という地名から、海からの漂着神信仰に由来するものではないかと考えられている。

その漂着神のよりつく霊代としての木の信仰が、地名と立木の祠に現れ出たということになるが、岩石信仰の観点から注目されるのは、祠を設けた場に敷かれる「砂」である。

津島神社の聖域に敷かれた砂(雨天時の撮影のため祠の周囲は濡れている)


この祠が建てられる聖域には約二メートル四方にわたって、高さ五センチほど白砂が盛られている。そして、前面の二本の自然木を柱として注連縄が張られている。この祠の造営は毎年交替で一〇名ずつの神役によって行なわれる。神役は部落の南にあたる遠州灘で禊ぎを行ない、続いて、渚の清浄な砂を社域用として境内に運び、その後、杉の葉と竹で祠を造るのである。
野本寛一『石の民俗』雄山閣出版 1975年

野本氏は、砂運びが年1回という定期的な間隔でおこなわれていることを指摘し、定期的な祭礼で招く神の座として砂が機能していたことに注目する。

砂は、海や水にかかわる神の座として相応しい媒体であるばかりか、「砂は石の小極」とみなす立場から、各地の神社で白砂が敷かれることの意味もあらためて問うている。

岩石信仰における「砂」の聖性を示す典型例と言える。


2025年9月21日

岐佐神社の赤石(静岡県浜松市)


静岡県浜松市中央区舞阪町舞阪


どういうわけか大国主命の命を奪ったとされる真っ赤に焼けた赤石も鎮座する。宮司の高柳智さん(74)は「昭和十七年に現在地の神殿横に置いた。その前は神社の鳥居近くにあった。いつ、赤石を神社に持ってきたのか知らない」と話す。火傷などに御利益があるとされ、赤石をさすっていく人も多い。
静岡新聞社[著・発行]『石は語る』2003年

原位置からの移動伝承を持つ岩石である。
また、現在は看板に「赤猪石(あかいし)」と名付けられ、出雲神話にさらに寄せた名称となっている。歴史的に遡る静岡新聞の「赤石」表記を優先して表示した。


2025年9月15日

太刀山愛宕神社裏山の愛宕大権現(静岡県浜松市)

静岡県浜松市中央区舘山寺町 舘山寺

秋葉山舘山寺に接して太刀山愛宕神社が鎮座する(太刀山は舘山と同音)。

神社の裏には山道が続き、5分も登れば山頂の尾根筋に出る。そこには無数の岩塊が露頭し、一画に玉垣に囲われた石祠が存在する。太刀山愛宕神社の奥宮と目される。

愛宕大権現(太刀山愛宕神社奥宮)

石祠に捧げられた穴あき石

藤本浩一『磐座紀行』(1982年)では「館山寺・磐大権現」と題した一項を置いている。

いわく、『東海道名所図会』の絵図には山の西側に「磐大権現(権現岩)」と書き入れてある場所があり、岩石群の合間に社が挟まれた様子が描画されている。当地の岩石群がそれで、館山(かんざん)は神山に通ずることからここは神山の磐座ではなかったかと所感を述べている。

しかしながら、残念なことに藤本は誤読しており、『東海道名所図会』の絵図に記された文字は正確には「愛宕大権現」である。
下に寛政当時の版本を掲載する。

国立国会図書館デジタルコレクション『東海道名所図会』65コマ。 インターネット公開(保護期間満了)資料のため転載自由。

愛宕が縦書きでやや字が詰まり気味で書いてあるので「磐」の一字に誤認したのかもしれないが、それでもあまりに異なる字であり、「磐」であってほしいという固定観念に冒されていたようだ。

以上のことから、この地は愛宕大権現に関わる岩石群だったということが、歴史学的にもっとも古く遡れる評価だろう。


現地には、岩石の傍らに名前を冠した看板が建てられているものも多い。気づいたものをまとめておこう。

ながめ岩

見かえり岩

神付岩(かみつき岩)。「頭をカミゝして厄を落して下さい」の説明も付される。

寄仲岩。後ろの建屋の床下あたりに「木魚岩」なる岩石もあったらしいが見逃した。

初登岩。山頂尾根の岩塊で最大規模。「初登岩」というネーミングは他で聞かない。

天辺岩。山頂尾根に沿って屹立する岩石群を天辺に準えたものか。

くぐり岩

船岩

これらの名称は文献上で確認できていないが、現代に名付けられたものか、地元で古くから口伝で語り継がれてきた名称なのか、経緯がよくわからなくなり独り歩きする前にはっきりしたいところではある。

火穴

先出の藤本浩一は、同図会の「火穴」という場所も「大穴」と誤読している。

火穴は現在「舘山寺穴大師」「弘法穴」と呼ばれてまつられている場所で、弘法大師がここで修業して自作の石仏を安置し、舘山寺の開基につながったと伝えられる霊窟である。

穴大師入口部分

この岩穴であるが自然の洞穴ではなく、文化財上では舘山寺古墳・弘法穴古墳と呼ばれており、古墳時代後期の横穴式石室であることがわかっている。
大師の霊窟として奥は禁足地となっているので詳細不明なところもあるが、天井石が1個欠けているだけで石室の保存状態は極めて良好である。玄室に対して羨道が長いことが特徴だという(浜松史跡調査顕彰会『浜松の史跡』1977年)。

なお、舘山の山中には十数基の古墳の存在が伝わるというが、本古墳の他に古墳認定されているものはない。


参考文献

  • 藤本浩一『磐座紀行』向陽書房 1982年
  • 秋里籬島 編『東海道名所図会』上冊,吉川弘文館,明43. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765194 (参照 2025-09-01)
  • 浜松史跡調査顕彰会 編『浜松の史跡』続編,浜松史跡調査顕彰会,1977.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9537735 (参照 2025-09-01)


2025年9月6日

野崎島王位石自然成因説

テレビ東京9月5日放送番組「所でナンじゃこりゃ!?」の「王位石」のコーナーで取材協力しました。


王位石(おえいし)は、長崎県北松浦郡小値賀町の野崎島にある巨岩で、これが人工的に造られた構造物か自然の地形なのかという依頼でした。

王位石は巨石業界でも有名ですから存在を知っていましたが、私は現地に行ったことがありません。その時点で専門家として噴飯物だと思っていますが、自然説も人工説も適した人が見つからないということでお鉢が回ってきました。

人工説の方もいないんでしょうか。だれか地質畑の方かイワクラ巨石専門家の方、取材を受けてください…。


私は歴史系なので地質系の石は専門外ですと断りを入れたうえで、キュレーターという立場で回答させていただきました。その分、王位石を巡る諸説を調べて正確な情報を提供したつもりです。

実際の取材では約1時間30分話しました。放送では約1分に編集されています。

いろいろ語弊があると嫌なので、ここで補足説明させてください。


取材の打ち合わせ時、想定される質問を事前にいただいていたので、私がその時作成したメモ(回答集)をこちらに掲載いたします。

放送で実際に使われた部分を青字で表示しましたので、それでご理解を賜れば幸いです。


質問1「王位石は岩石信仰なのでしょうか?」

王位石は「生石」「湧出光明神」の異名をもち、石が生まれる、生長する石という信仰を有することから、岩石信仰の中でも「石神」(石そのものを神とする信仰)と呼ばれる種類に属する事例と思われます。

野崎島の沖ノ神島神社(沖津宮)と対岸・小値賀島の地ノ神島神社(辺津宮)を合わせて神島神社と呼ばれてきたので、野崎島のみならず近在の島々・島民にとっての聖地だったと思われます。


また、この在り方は沖ノ島の宗像大社における沖津宮・中津宮・辺津宮の考えと類似するものがあります。

沖ノ島では国家単位での祭祀の場として古墳時代以降の遺跡が見つかっていて、神島神社の神宝にも古墳時代の鉄剣がありましたので、野崎島の王位石も古墳時代以降に国家的な聖地としての位置づけもあったかもしれません(ただし王位石からは祭祀遺物は見つかっていません)。


質問2「王位石は自然にできたのか人工的なのか、どちらでしょうか?」

地質学の分野では、自然成因で説明可能といわれています。

であるとするならば、人工説が明確な証拠を出せない限り、私は自然成因説を支持します。


たとえば人工説には、岩の柱の上に笠石を置く方法としてこういう仮説があります。

岩の柱の後ろの隙間に盛り土をして、その盛り土の上で石を転がして岩の柱の上に乗せ、その後、盛り土を除去したという仮説です。

ならば、盛り土をして、その盛り土を撤去した作業の痕跡を証明する必要があります。それだけの大工事なら、土の乱れが地層として残っているかもしれません。

不用意に発掘調査はできませんが、地層を分析すればそれが自然の積み重なりなのか、人為的な攪乱がみられるのかなどの判断ができるかもしれません。しかし、現状としてそのような証拠はありません。

人工の手があるかないかですから、ある側に立つ人工説側が証拠を提示する必要があります。それがない限りは、自然成因説に立つのが科学的な姿勢だと思います。


また、大事なこととして技術力の証明がほしいです。

王位石をどの時代の構造物で想定するかによりますが、仮に縄文時代や弥生時代とするなら、金属器による工具がほとんどない時代ですから、そんな時代にそのような規模や技術力をもつ遺跡が他にもあるのかということです。こういう遺跡や遺物があるから、こういう規模の技術が可能だったと言える、というような。

できるかぎり考古学的に証明された遺跡で候補を挙げないと、王位石だけが突然変異のような扱いになり、それは非現実的で、その時代・文化の中で生まれたという説得力のある遺跡とは言えなくなるでしょう。

そういう意味では、人工説を唱える方に今挙げた課題を解明していただきたいと思っています。人工説を否定したいのではなく、説得されるのを待っているという立場です。


質問3「王位石の成り立ちを教えてください」

王位石は溶結凝灰岩とみなされています。

これは火山活動により生まれた岩石で、冷え固まった時に体積が小さくなって、その時に節理と言われる隙間が生まれます。

溶結凝灰岩の場合は柱状節理といって、柱のような形に風化・浸食していく節理があるそうです。


王位石の周りは森に覆われているので王位石だけがそこにあるように見えますが、島にはあちこちに岩盤が露出していて、野崎島の海中にも同じような柱状の岩石があるという話もあります(小値賀町郷土誌)。

このように王位石の岩の柱の群れは、元は一つの岩盤で、それが亀裂や風化を起こして、今は柱を複数立てたように見える自然の構造物と言えます。


では、岩の柱の上に横渡しになっている笠石はどうなのかというと、これも地質学的には自然成因で説明がなされています。

岩の柱のうちの1本が途中で折れて横倒しになったという説と、山の上から転がってきた岩石がここで止まったという説です。

笠石が乗る2つの立柱は左右で高さが異なり、それを埋めるように別の岩石が挟まっています。ここに人為性を感じる向きもあると思いますが、そもそも人工的にゼロから石を立てて上に笠石を安定的に乗せたいのであれば、左右の立柱の高さを揃えるものではないでしょうか。人工的という割にはそこに規格的な人為性が徹底されていないのも、自然成因である由縁と考えます。


質問4「石の上に石が乗るという偶然が起こるのでしょうか?」

王位石は山頂じゃなくて山腹にあるんですよね。ここがポイントだと思います。

日本列島の各地で、そのような別の石が乗っかった地形を挙げることができます。

  • 三重県の御在所岳にある地蔵岩
  • 岩手県遠野市の続石
  • 長崎県時津町の鯖くさらかし岩

いずれも山腹にあります。


これらは現状を見ると、下から上に積んだように見えますが、造山活動が起こる前は、もともとは岩石の頂面に地表面があったと考えると良いと思います。

その時代に上の斜面から別の岩石が転がって、下の岩盤にぶつかって止まった。その後、長い時間を経て周囲の脆い地形が削れていって、地中に埋まっていた岩盤が露出すると、結果として積み重なったように見えるということです。


質問5「王位石の前では方位磁石が狂うという話がありますがなぜでしょうか?」

高い木には雷が落ちるといいますが、同じように、高い所にそびえる岩や石にも雷が落ちやすいです。

雷が岩石に落ちると、その場所に本来あった地磁気に影響をおよぼして、岩石自体の磁性も変化するというケースが確認されています。


だから、山の中の岩石に近づくと方位磁石が狂う、不思議なパワースポットだという話を聞きますが、自然というものは常に安定しているものではなく、こういった雷などの日々の現象で環境変化するものとも言えます。

ですので、方位磁針が狂うのもある種当然で自然な現象だと私は受け止めています。

王位石はとりわけ立柱状にそびえる巨大構造物ですので、落雷が落ちやすいと思われます。雷が落ちた直後などに行くと、特に方位磁針は狂うのではないでしょうか。


私個人が注目しているのは、その現象自体が不思議ということではなく、そのような自然現象によって人間が不思議がったり、もしかしたらそのような磁気異常に無意識に影響を受けて、特殊な感情や精神状態が生まれるというヒトのメカニズムです。

そういった、ヒトの心理に影響を及ぼす条件がそろった自然環境というものが、人が聖地として崇めるようになった一因になったのかもしれません。


※番組放送では王位石の磁場が狂うという謎も取り上げられていましたが、私の回答はカットされていたので、磁場の謎は宙に浮いたまま番組終了しました。1分・1秒を大事にする番組編集のタイトさを感じましたが、このように色々話していましたのでフォローに代えさせてください。


出典

王位石についてはすでにいくつかの知見があります。今回の私の回答は下記ソースを紹介したものです。

  • 近藤忠・山口要八「野崎島巨石遺跡の紹介(長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷のドルメン)」『考古学雑誌』第37巻第4号 1951年
  • 小値賀町郷土誌編纂委員会 編『小値賀町郷土誌』,小値賀町教育委員会,1978.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9773094 (参照 2025-09-06)
  • 本馬貞夫「神嶋神社と野崎島」(2020年2月4日中日新聞朝刊)
  • フジテレビ2023年8月2日放送番組「林修のニッポンドリル」における出水亨氏のコメント(Xに参考動画あり)


2025年9月1日

TV出演のお知らせ(2025.9.5)

2025年9月5日(金) 19時25分~21時54分、テレビ東京系列「所でナンじゃこりゃ!?」に取材コメント放送予定(1分ほど?)です。

番組内容は番組ホームページの告知にてご覧ください。

「野崎島」のパートで出演予定です。


番組ホームページ
https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202509/23083_202509051925.html