2018年8月15日

石神社/石の神神明社(三重県四日市市)


三重県四日市市川尻町

参考文献

宮田嘉七・編『四日市市河原田地区郷土史 前編』四日市市河原田地区連合会 1965年
四日市市・編発行『四日市市史 第5巻 史料編 民俗』1995年

村社。石の神神明社と表記される場合もある。
創建時期不明ながら、弘化3年(1846年)の棟札が伝わっている。
近くに木ノ下社(祭神:八天狗)という無格社があったという。

明治37年、神明社・菅原神社・石神社を合祀して石神神明社(石の神神明社)と改称した。
さらに大正4年、石神神明社は上記の木ノ下社などと共に同町の熊野神社に合祀され、実質上消滅した。

このような二度の合祀を経ているため、石神社の由来の詳細はすでに失われている。
旧社地があったあたりも住宅地となっており、現地でよすがを偲ぶことはできない。
唯一、『四日市市史』の聞き取りによれば「石神社のことをシャゴジさんと称した」と記述がある。
シャグジ信仰を石神の字に当てる事例と見られる。

社名が示すような、石のご神体があったかどうか、あったとして現在どこにあるかはまったくの不明であるが、岩石信仰があったかもしれない例としてここに紹介しておく。

また、当地の地名に河後(かご)があり、当地名がいつまで遡れるかは調べていないが、コウゴ石信仰との関連性の余地も指摘しておきたい。

熊野神社(三重県四日市市川尻町)
石神社が合祀された熊野神社

熊野神社(三重県四日市市川尻町)
境内には、山神と刻された石が集められている。山神社も合祀されていることによる。

熊野神社(三重県四日市市川尻町)
写真左下と右上に穴あき石が置かれており興味深い。

2018年8月5日

粟島神社/大元社の巨石(愛媛県大洲市)


愛媛県大洲市北只424 粟島神社

鳥居龍蔵博士・樋口清之博士の調査によって、戦前に一躍脚光を浴びた「大洲の巨石遺跡」。
その一つに数えられるのが粟島神社にある巨石である。

粟島神社の巨石

「大洲文化発祥の地 巨石遺蹟ドルメン」(昭和5年建立)の碑がある。

粟島神社の巨石

神社の本殿が、巨石の上に築かれている。
これを「ドルメン」に当てはめたものと思われる。

粟島神社の巨石

「高さ4.2m、幅5.7m、厚さ5mという、実に驚くべき巨石である」(大洲市誌編纂会『大洲市誌』1972年)

粟島神社の巨石


粟島神社の巨石

粟島神社の巨石

この巨石は白色珪岩であるが、社域の地質は絹雲母片岩で白色珪岩は産出せず、どこからか運ばれてきたに違いないと前掲『大洲市誌』は記述する。

地表を1m掘ると地層の母岩である絹雲母片岩に達するが、母岩と白色珪岩の傾斜軸がそれぞれずれていることから、元は同一の岩石同士ではないともいう。

地表下には数個の石が混ざっており、これは敷き石であり、母岩の上に人工的に埋め土をした上でこの巨石を設置したという、驚くべき内容が書かれている。

1972年当時の知見であり、現在の地質学・考古学がこれをどう再評価するかが見ものである。


五藤孝人「南久米ものがたり 石の古代史と民俗誌」(大洲史談会『温古』復刊第27号、2005年)に、この粟島神社について詳細な検討が加えられている。

まず、粟島神社という名前は昭和9年(1934年)に合祀されたことによる名称で、それ以前は大元社(大元神社)と呼ばれていた。
大元社自体も安政6年(1859年)に社殿が今の形で建てられたものであり、それより前の当地および巨石のあつかいはわかっていない。

神社境内裏からは常森遺跡が見つかっており、ここからは縄文時代早期~弥生時代中期にわたる石器(石笛もあったというが現在行方不明らしい)・土器群が出土していることから、当時からの人足があった場所であることは間違いない。

また、拝殿の石垣と石段に計4カ所、盃状穴が残っているというが見逃した。

2026年7月23日追記

2026年7月17日にNHKで放送された番組「ひめDON! 愛媛ミステリー〜巨石の上の神社~」では、粟島神社の巨石について地質学の専門家の意見を仰いだ結果、人工的に運ばれたものや川の氾濫で流れ着いたものではなく、固い石英の部分が残った現地性の岩石であるとの判断がなされた。


2018年7月29日

Twitterを始めました+その理由

遅ればせながら、本日からTwitterを始めました。




始めた理由は2つです。
長文になりますがすみません。

1つ目は、仕事でTwitterを使うようになったので、Twitterへの抵抗感が(いまさら)なくなったこと。

2つ目は、こちらのほうが喫緊の課題だったのですが、このブログにお問い合わせの方とのメール上の送受信が最近うまくいっていないのでは?と感じたこと。

本ブログの下部にはお問合せフォームがあり、時々、こちら経由でお問い合わせをいただきます。
これはGoogleのBlogger経由で私のフリーメール(旧:hotmail/現在:Gmail)に届きます。

これはお問合せフォーム経由なので、確実に私は受信できている(と思う)のですが、それ以降のお相手へのやりとり(送受信)がうまくいっていないようなのです。

私から返信をしても、お相手から返信が来ないタイミングが多いなと感じることが多いのです。
1回2回はやり取りできても、3回目ぐらいでやりとりが途絶えることも。
私の話がつまらなくて、返信不要レベルという可能性もありますが(苦笑)

私のメールが、お相手の方に届いていないのか。
はたまた、もしかしてお相手の方はメールを送っているのに、こっちが届いていないのか?
最近、その辺りが疑心暗鬼なのです。



そうこうしていたら、知人の方からhotmailは不通になりやすいよという話を聞きました。
たしかに、hotmailを使っていた某学会のメールアカウントも、今年に入ってからhotmailをやめたなあと思いだしました。

web検索してみると、同じ悩みを持つ声が出ます出ます。

hotmailで受信できない-マイクロソフトコミュニティ

hotmailは特に注意!フリーメールの送信・受信トラブル対処法

迷惑メールフォルダに入るレベルならまだ対応できるのですが、迷惑メールにすら入れてくれないのが現状。その切りすて判定基準もよく分からないようで、

  • URLやリンクつき文章が入っているとアウト
  • 添付ファイルがついているとアウト
  • メールアドレスの文字列によってアウト
  • スパムメールと似た文体をしていると認識されたらアウト

返信するとき、メールのヘッダーが自動引用されていたら、それだけでもうアウトじゃないでしょうか。

そんな経緯で、今月に入って問合せフォームの宛先をhotmailからGmailに変更しました。

ですが、最近はYahooメールやGmailなど他のフリーメールも謎判定基準で、正常なメールの送受信を私たちの知らないところで闇に葬りさっていることが多々あるようです。

ではプロバイダメールなら安心かというと、これも迷惑メール基準が厳しくなっている昨今、ユーザーの関知しない不定期なタイミングで基準見直しが行われている様子。
携帯のキャリアメールも以下同文。



つまりメールという、ここ20年以上は使われていたインターネットユーザー同士のコミュニケーション手段が、もう信用できない時代に入っているのです。

私が返信をしない失礼な人になるのも不本意ですし、皆さんを疑心暗鬼することも無礼です。

そこで今回、コミュニケーションの間口を一つ広げ、Twitterアカウントを作ってみました。
Twitterユーザーの方は、今後こちらでご連絡いただければうれしいです。



2001年、インターネットの自由さ素晴らしさに触れた私は、自分自身が公開した情報は誰でも平等にアクセスできるようにしたいと考えて、登録しないと見れないSNSではなく、無料HP、そして誰でも見れるブログをつかってきました。
でも、無料HPの時もそうでしたが、ずっと同じサービスで提供しようと思っても、時代が変化しているので、新たに登場する制約やトレンドに合わせて、形態を変えていくしかないと感じるようになりました。
そもそも無料で使わせていただいている立場ですしね、出すぎたことを言いました。

Twitterなら、自分さえ鍵をかけなければ、誰でもアクセスして見れるツールなので、SNSの中でも最もオープンマインドなツールとして、今回採用しました。

無料で自由に有益な情報に触れられたあの時の初心は大切にしつつ、今あるツールを有効活用していき、新たな世界に出会えることを楽しみにしたいと思います。

*7/15にメールをくださったT様、当方より返信をしております。
*7/23にメールをくださったY様、当方より返信をしております。
もしこの記事をお読みになられたら、Twitterあるいは新メールmegalithmury☆gmail.com(☆を@に)までご連絡ください。
→7/31追記:さっそくご返信をいただきました。ありがとうございました!

他のhotmailでご登録いただいていた方も、上記Gmailへ登録変更いただければ幸いです。
(ただ、Gmailもこの頃挙動が怪しいと聞きました。届いたメールはすべて返信してきましたので、届いていない場合はお許しください)

岩窟・岩屋は信仰対象でしょうか?

先日、メールでお問い合わせを受けました。
メールで返信した内容をもとに、このブログでも共有します。

>三重県熊野市の「花の窟」に代表されるような、窟と名前がついているものは蔵や倉のような働きなのでしょうか?それとも神や仏と同列の信仰対象なのでしょうか?

「窟と名前のついているものは、すべて~タイプですよ」と言えないのが悩ましいところです。
一言で言えばケースバイケースです。

岩手県の平泉に、達谷窟毘沙門堂という場所があります。
堂の後ろには岩窟があり、そこは昔、この辺り一帯を支配したエミシの首長が住んでいた場所だといいます。
これを坂上田村麻呂が延暦20年(801年)に打ち破り、その戦勝記念に、田村麻呂がこの窟に毘沙門天を祀る堂を建てたというのが縁起です。

この場合、窟が神聖視されているかどうか、なかなか判断に苦しむ事例です。
エミシの首長を奉る人々がいたならば、そういった人々にとってこの窟は神聖視される場所だったことでしょうが、少なくとも寺側にとって窟は「討伐されるべき悪路王」たちの住処だったことを考えれば、窟は決して神聖視されるものではないでしょう。
討伐された後、仏化されるパターンもあるのでこの限りではありませんが・・・
敵地を討伐した田村麻呂伝説を現代の人の記憶にとどめるための、記念物としての岩石とも言えます。

またこれは、むかし旧HPの掲示板で書いたことのある話ですが、三重県名張市に千方窟という場所があります。
ここは藤原千方という逆賊が巣食っていた場所なのですが、討伐後、地元の人々によって千方明神としてまつられています。

達谷窟の場合は、賊のいた窟を覆うように「英雄」の坂上田村麻呂が顕彰されている形ですが、こっちの千方窟は賊である藤原千方が千方明神として神格化されています。

見る人の立場が違えば、類型は変わるというか、複数の類型を宿すというのが私の今の考えです。
信仰者でない私から見れば、達谷窟も千方窟も「名勝」ですしね。これも岩石に対する一つの見方。

話を戻して、お問い合わせの花の窟は祭神の墓所という位置づけなので、神が最終的に宿った岩という意味では、私が以前『岩石を信仰していた日本人』で提示した分類では「BAB類型 信仰対象が宿る施設――蔵・窟」が近いですね。
神の装置として選ばれたという点では、道具感が強い。
窟を信仰しているというより、窟の中に宿っている抽象的なもの(神観念)を信仰している。
岩石の視覚的要素は、その神格を盛り上げる装い的なものかなと。

同様に私が提示した「A類型 信仰対象」型は、元からその石が信仰対象である(信仰対象が入る前の歴史が想定されていない)意味合いがあり、これは目に見えない抽象概念よりも岩石自体の造形から発したものに当てはめたいところです。

でも拙著で書いた通り、このあたりの境界線はあいまいです。
あいまいな理由は、時代と人の立場によって、その類型が変化したり混ざり合ったりするからです。とくにそこから時間経過した現代ではどれか1つをピックアップしにくいから、一言で言いにくいのです。

2018年7月19日

塩釜市竜頭島のニュースに接して感じたこと

「塩釜・竜頭島が削られる 宮城県、防潮堤工事中断し保存へ 市民『びっくりがっかり』」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180719-00000014-khks-pol

宮城県塩釜市の竜頭島。岩礁のようです。
40年前、県の工事でつぶされる予定だった島ですが、当時の地元の保存要望を受けて守られた場所だそうです。

それが今回、県が防潮堤の接続道路を通すため改めて工事区域に入り、工事中に壊されていることに気づいた人が抗議して、取り壊しはストップ。今は保存に向けて動いているそうです。

これだけだと県が悪いようですが、県も事前に確認や伺いは立てていたようで、

>県は防潮堤工事に先立つ調査で島が特別名勝・松島に該当しないことを確認。近くの市魚市場関係者らに工事の是非を尋ね、「支障ない」との返答を得たため重機を入れたという。

ヤフーニュースに上がったので色々なコメントも載っていて、人によって色んなリアクションが出たことに興味を惹かれます。
いくつかピックアップすると、

Was***** | 1時間前

それほど大事なら、市が文化財に指定しておかないと、県の指定にもならないしね。この話からしたら間違いなく手続き上、問題なく扱われて普通に更地にされます。
もう少し早く市に働きかけておくべきでしたよね。

hak***** | 1時間前

少なくともこの程度の岩山を観光資源にするのは無理だろう。
思い入れがある人がいるのは分かるが、あの津波を経験してそれでも岩山のほうが大事なの?

tsu***** | 1時間前

双方言い分はあるのはわかる、、
闇雲に壊す計画ならNGでしょうが、
弊害になるのならばやむを得ない、
ですよね。

反対したあなた方、あなた方の命より
岩が大事ならば勝手に命をたてばよい。

** *a*8*** | 2時間前

文化財等に登録しないと、
役人の変更では継続なんかしない。
結果的に不必要な物にされてしまう。

yam***** | 1時間前

命や財産を守る防潮堤より大切なモノってなんだろ。

一介の石好きとしてはグサッと刺さる声もありますが、
一方、正論として聞くともう、どれもおっしゃるとおり。
どれも肯けるんですよね。
石は正論とは真逆の存在でしょうから、正論をぶつけられるとどうしようもない。

竜頭島自体は接続道路の通り道で、防潮堤になるわけではなかったみたいですが、コストで考えてこうしたわけですから、県が保存を決めたことでコストアップは必至でしょう。
県も大変です。

なによりも、近くの市魚市場関係者らが「支障ない」と答えたことからも、地元の方すべてが「びっくりがっかり」というわけではないことも事実。

正論やコスパで考えれば、それは40年前の人間の思いより、今の人間の声を大事にすることは当然です。

私は石好きですが、何が何でも石保存派ではありません。
どちらかというと歴史重視派です。

石の扱い方を文化財や観光地にするとかあまりに一面的で、別に指定しなくてもいいし、その結果で石が淘汰されるならそれも歴史です。
一つだけ言えるのは、原状は回復できないということ。二度と元の石には戻せません。
その重みを知るのなら、何をしても良いと思います。 組織ですからだれも責任はとらないものですが。

4分の1だけ削られた竜頭島。
こんな状態だともう意味ないじゃんという気持ちもわかりますが、私個人はこれはこれで、守りたい人間と壊して別のものを作りたい人間の両方の歴史が見た目で残ったという意味で、まさに文化財もの。
何にでも人間の起こした営為に意味は見出せます。

石そのものより、石を人間がどう見るかという歴史の方に注目しています。
だから、石よりも大事なものがあるよねという大勢の感性に理解しつつ、このブログで逆張りする意味合いは再認識できました。